第43話 思い出は君と一緒に

 修学旅行 最終日――USJ。


 帰りの集合時間に遅れないこと。他の人に迷惑をかけないこと。節度ある行動を心がけること。それさえ守ればあとは自由。三日目の自由行動は二日間頑張ったご褒美に等しい。


 昨日はなんとも後味の悪い最後となってしまった。雷花らいかたちの学校もUSJに来てるのかなと不安になったけど、どうやら別日程らしくて安心した。


 だから、今日は気分転換だ。そして、修学旅行のラストを飾る日。いっぱい楽しんでいっぱい思い出を作ろう。


 そう思ったのに……。


「なんでわたしはベンチでダウンしてるんだーーー!!」


 遡ること三時間前。起床して顔を洗っている所に声をかけてきたのは意外な人物だった。


「ねぇ笹ちーん。今日のUSJ一緒に回らん?」


 『働くのは嫌だ。でも金はくれ』とプリントされたダボダボの寝巻Tシャツで現れた猫貝歩ねこかいあゆむさん。おっとりしてて気ままな女の子。


「え!? いいの、わたしなんか」

「何言ってんの。笹ちんも同じグループじゃんか。仲間っしょ、うちら」


 寝起きの頭が覚醒するようだ。今日はボッチ行動の予定だったから、誘ってもらえただけで心が跳ね上がる思いだった。それ以上に、昨日のグループ研修を通して仲良くなれたのが嬉しい。


 マイペースな猫貝さんだが、自分の意思をしっかり伝えられる素敵な子だ。寝惚け眼でシャコシャコ歯を磨いている姿もなんだか凛々しく見える。


「ありがとう! 一緒に回ろう!」

「おーけぃー。海んと竹ちんにも声かけとくー」


 低血圧なわたしの脳に光の鱗粉りんぷんが降り注ぐ。高揚感に包まれ、朝食もおいしく感じられた。ビュッフェ形式だったので、つい食べ過ぎてしまった。


 そしていよいよ最終日の幕が上がる。集合したわたし達四人はザ・フライング・ダイナソーに向かった。雑談しながら歩く、一緒に同じものを楽しむ――ただそれだけのことが幸せに感じられた。


「よーし! アトラクション全制覇目指すよー!」

「いやいや、笹希さん。流石にそれは無理でしょ」


 竹坂さんに突っ込まれ、海音さんと猫貝さんも笑う。こんなにはしゃいだのは何年ぶりだろう。


 カシャカシャと見えないカメラで青春の一ページが切り取られていくようだった。



***



「おえーーーーーッ」


 その青春の一ページは開始三十分ほどで終わりを告げた。


「あー……まだふらふらするぅ~」


 きっと二日酔いってこんな感覚なのだろう。祭り気分に浮かれて自分が絶叫系に弱いことを完全に失念していた。朝ごはんを大量に食べたせいもあって胃が逆流して吐き気がする。


 竹坂さん達は心配してくれたけど、わたしのせいで折角の修学旅行が台無しになるもの忍びないので三人だけで遊んできてと見送った。みんな最後まで心配してくれた。本当に良い友人に巡り会えた。


(確か近くのホテルが待機所になってたはず。そっちに行こっかな)


 一般客の中にうちの生徒が混じる。クラスメートと、部活のメンバーと。男女のペアで回っているのはカップルだろうか。こういうイベントがあると、あの二人付き合ってたんだ……と知る機会も多い。


 みんなのキラキラした笑顔が眩しい。園内の賑やかな音がどこか別世界の様。わたしもついさっきまではあっち側にいたはずなのに、と卑屈になってしまう。


「つめたっ!!」


 朦朧とした意識に鋭い感覚が走る。額にひんやりした感触があったからだ。見上げるとペットボトルを手にした少女が立っていた。


「なんで……雲璃くもりが……!?」


「どーせ張り切って全部のアトラクションに乗ろうとしたのはいいけど、自分が乗り物酔いな体質なのを忘れてて、具合が悪くなったってところじゃないの?」


「見てたの?」

「まさか。雨愛あめのことは何でも知ってるだけだよ」

「それはそれで怖い」


 わたしの隣に座るとスポーツドリンクを一本わたしにくれて、もう一本を自分で飲み始めた。コクンコクンと動く彼女の喉につい見惚れてしまう。


「雲璃は美術部の人たちと一緒に回るんじゃなかったの?」

「私、部活のメンバーとあまり仲良くないの。一緒に回るわけないじゃない」


 不仲というか、他の部員と親しくないのは雪原さんから聞いていた。それでも、この修学旅行で少しでも関係が変わるなら陰ながら応援したしたいと思っていたのに。


「わたしの純粋な気持ちを返して」

「何それ?」

「知らない!」


 頬を膨らませる。


「どうして部活の人の誘い断ったの?」

「雨愛と一緒がよかったからだよ」

「ま、またそうやって恥ずかしいこと言って!」

「でも本当だよ?」


 まったくこの子は。こちらが照れることを惜しげもなく、心の声をろ過せずに言う。トクントクンって鼓動が気持ちのいい律動を繰り返す。


「雲璃はなんで雪原さん達と距離を置くの?」


 なんとなく訊いた質問に曇璃がきょとんとした目で見る。


「雪原さんから聞いたんだけど。雲璃は一年生の子達からも人気があるみたいだし」

「ヤキモチ?」

「ち、ちがうもんっ!」


 曇璃の美術の腕は折り紙付き。ルックスだって悪くない。男子よりも女子からモテそうな容姿だ。後輩からは人気の的だろう。


 でも彼女は、わたし以外の人と親密になることを避ける。


 わたし達はもう子どもじゃない。いや、世間からみたら子どもなんだろうけど、でも、付き合う友達くらい自分で決められる。だから、わたしが一々口を出すことじゃないのは百も承知。その上で考えてしまう。


 雲璃がその気になればいくらでも友達は作れるし、充実した高校生ライフを謳歌できるはずなのに。なぜ、自分の殻に籠ってしまうのか。


「特に理由はないよ」


 宝石のような綺麗な瞳が逆光で白く反射する。


「それに。雨愛も、そんなに自分のこと卑下しないで」

「わたしなんか、コミュ障だし、本ばっかり読んでるし、自分の言いたいことも言えないし、友達少ないし。良いとこないよ」


「そんなことないよ。雨愛は優しいし、可愛い。それに、少しずつ。そんな雨愛だから好きになったんだし」


「ま、またからかって……」

「からかってない」


 その時だけは真剣な目でわたしを見た。


「それに比べて私は違う。後輩から尊敬されるような立派な人間じゃない。だって……」


 その続きがなんとなく分かってしまったから、雲璃もわたしも何も言わなかった。


 沈黙。ベンチの背後で流れる噴水の音だけが生きた時間。


 わたしは勢いよく立って俯く雲璃に手を差し伸べた。


「雨愛……」


「昨日はわたしのこと助けてくれたでしょ。そのせいで、雲璃はグループ行動を抜ける羽目になったわけで。だ、だから、その今日はその埋め合わせっていうか……その……」


「別に昨日のは私が好きでやっただけで……」

「借りを作るのが嫌なの。わたしも雲璃のために時間を割かないとフェアじゃないっていうか……」


「でも雨愛、具合悪いでしょ?」

「もう大丈夫だもんっ!」


 本当はまだ少し気持ち悪いけど。


「無理しなくていいんだよ?」

「もうっ! なんでこういう時だけ鈍いの!!」


 両手をぐーにして空振りする。


「とにかく! これじゃあ雲璃の修学旅行の思い出が台無しなの! だ、だから、わたしが上書きしてあげなくちゃ駄目なのッ!」


 ポカンとした雲璃だったが、やがて口元を綻ばせた。


「雨愛はいつからツンデレさんになったの?」

「ヤンデレ女子高生に言われたくない」


 ふふっと笑う雲璃の顔がとても優しく見えた。


「またコースター酔いしても知らないからね。雨愛が無理って言っても全アトラクション制覇するまで帰さないからね」


「うっ、それはちょっと勘弁かな」


 わたしの手を取ると、そのまま前へ出た。わたしが手を引くつもりだったのに、雲璃に引っ張られてわたしも走り出す。


「行こっ雨愛。ちゃんと、上書きしてね。私の修学旅行を大切な思い出に」


 修学旅行の最終日。それは人生の中で最も彩られた日になった。USJの中を一緒に歩いて、同じ物を食べて、そしてまた一緒にアトラクションを楽しんで。


 広い館内といえど、見渡せばうちの生徒たちがいる。クラスメートや見知った顔とすれ違うかもしれない。手は握ったまま。知り合いに見られたらって最初は緊張したけど、もうどうでもよかった。


 まるでデート。恥ずかしさは無かった。衆人の目も、修学旅行という設定も忘れた二人だけの世界。夏休みに戻ったみたい。


「なんだか、夏休みのデート思い出しちゃうね、雨愛」


 隣の少女も同じことを思っていたらしい。あの時よりも、実感を伴ったデート。わたしは雲璃のことをどう想っているのか――それはまだ分からないけど、今この瞬間だけは――。


 数学の授業が嫌いだ。時間が長く感じるから。でも、今、この瞬間の時間は数学の授業よりも嫌い。大嫌い。時計の針がどんどん早く進んじゃうから。



 帰りの新幹線では皆が健やかな眠りについていた。きっと一人一人が旅の夢を見ていることだろう。わたしも心地いい疲労感に身を任せる。列車の適度な揺れが幸せな気持ちをじっくり煮詰めている様に感じた。


 甘く熟成されていく幸せ――それが修学旅行最後の記憶となった。

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