第41話 ビター味の再会

 雷花弥文らいかやぶみ。腰の辺りまで伸びた茶髪カールに、派手な付け爪。制服も気崩している。


 昔から身だしなみは派手だったが、久しぶりに会って悪い意味でその派手さに磨きがかかっている。


「なんで……ここに!?」

「あたしら修学旅行なんだよね。そっちもでしょ?」


 カーディガンに手を突っ込んで、キャンディーを舐めながら見下すような目でこちらを窺う。こういうガラの悪い子が棒付きキャンディーを口に入れていると、まるでタバコを吸っているように見えるから不思議だ。


「マジで退屈。こんな古臭せぇ寺回ってホントしょーもなっ。面白そうな店もないし、こんな平日の昼間じゃ良い男の一人も捕まんないし。はぁ、つまんない。これじゃあ、地元にいるときと変わんない」


「はは、相変わらずだね……」

「相変わらず……?」


 苦笑するわたしをギロッと睨んだ。


笹希ささきはどう? 高校楽しい?」

「うん……それなりかな……」

「ふうん……」


 雷花が面倒くさそうな、少し苛立ちを滲ませるような目を向ける。


「まぁ、そりゃそうだよね。あたしらと違って、あんたは優等生だからね。高校も偏差値の高い所通ってんでしょ? そりゃあ毎日楽しいわけだっ」


 「そんなことないよ」と、わたしは右手で自分の左腕を掴みながら、力弱く答えた。雷花は舐め終わったキャンディーの棒を地面に吐き捨てた。


「まっ、いいけどね」


「あっ!! いたいた! やーちゃん、こんな所にいたぁ! もぅ、探したんだよ……って、笹希じゃん! やっほー久しぶり!」

「笹希さん、お久しぶりです。卒業式以来ですね。笹希さん達も修学旅行ですか?」


「あぁ、うん、久しぶり、喜多河さん、御津木さん」


 続いて現れた二人の女子生徒。喜多河きたがわさんと御津木みつきさん。雷花も含めてこの三人は中学の頃のクラスメートだ。


「やーちゃん! 勝手にどっか行かないでよ! 探すのも大変なんだから」

「ごめんごめん。遠くで笹希の姿が見えたからさ」


 喜多河さんには優しく返答し、即座に冷たい目つきでわたしを見る。


「やーちゃん、どうしたん? なんか機嫌悪いん?」

「べっつにー。たのしく笹希としてただけだよ。ね?」

「う、……うん」


 言葉の圧に押されて弱腰になってしまう。


「そうなんだ! なら良かった!」


 と、喜多河さんがパチンと手を鳴らして、


「笹希がやーちゃんの機嫌を損ねるようなこと言ったんじゃないかって心配になっちゃった」


 それまで穏やかな口調だった喜多河さんの声が一段階低くなる。


「もし、やーちゃんに何かあったら、私……許さないから」


 その冷たい口調に鳥肌が立つ。そうだった。そういえば喜多河さんは


 すると、スマホから電子音が鳴る。LIMEのグループチャットからだ。帰りが遅いわたしを心配して、竹坂さんがメッセージを飛ばしてくれたみたいだ。


「友達?」

「うん……早く戻って来いって」

「へぇ……。ねぇ、笹希のLIME見せてよ」

「え!? いや、それはダメ」

「ちょっとくらいいいじゃん。あたしら友達でしょ? 友達が高校でどんな生活してるか気になるな~」


 都合よく『友達』という単語を持ち出す雷花に不愉快な感情が芽生える。『友達』なんて……一度も思ったことないくせに。


「ほぉらあ、見せて見せて。ちょっと読んだらすぐに返すから」

「別にイタズラなんかしないからさ。ちょっとだけやーちゃんに貸してやってくんないかな?」

「私も……賛成です。これ以上、雷花さんの機嫌……じゃなかった。私も、笹希さんが高校でどんなお友達と過ごされてるのか気になります」


 早くよこせと催促する雷花に、両肩の喜多河さんと御津木さんが同調する。


「ね~見せてよ。笹希はあたしらよりもずっっっっっと優秀な女の子だからね。そりゃ素敵なお友達がたっくさんいるでしょうね~。華やかな高校生活を送ってることでしょうね~。見せてよぉ、ねぇねぇねぇッ!!」


 スマホを庇いながら後退りする。じりじりと詰め寄ってくる三人に恐怖心を覚える。それは今の状況だけを指しているのではない。あの頃の、思い出したくない日々を思い出してしまうからだ。


「や、やめて……こないでッ!」


 語気が強くなる。反発した態度が気に入らなかったのか、雷花が眉を歪めて舌打ちをした。


「いいからぁ……寄こせって言ってんだよッ!!!」


 ガシッとスマホを持っている方の手首を掴まれた。非力のわたしにとって、それは万力のように感じられた。


「痛いッ!! やめてッ!! 放してッ!!!」

「スマホを貸してくれたら放してやるよ」


 必死に手を上下左右に振っても全くほどけない。


「ほぉら~ちょっとだけだから笹希。やーちゃんも本当は乱暴したくないんだからさ~」

「私も笹希さんが怪我するのは嫌です。スマホを貸してもらえれば丸く収まるんですから。ちょっとだけ、雷花さんの言う事聞いてもらえませんか?」


 身動きが取れないわたしの体の左右から、喜多河さんと御津木さんが体の力を抜くように擦ってくる。


「なんで……なんでこんなことするの……ッ」


 目尻に薄っすら涙が浮かぶ。


「昔から気に入らなかったんだよ。どうせ、あたしらのこと心の中では笑ってたんでしょ!?」

「そ、そんなことない……ッ」


「チッ、ホントムカつく。いいから、さっさと寄こせよ! 笹希ぃッ!!」


 手首が千切られる位にいっそうの力が込められる。血流が手首でせき止められて、指の末端が麻痺してきた。もう痛みすら感じない。


 あぁ……もう……ダメ。


 わたしの中で何かがぷつりと切れる音がした。


 結局、どんなに足掻いても、わたしじゃ雷花に敵わない。スマホを渡せば、言う事を聞けばこれ以上痛い目にあうことはない。


 早く渡して楽になろう。そう諦めて目を瞑った瞬間――。


 万力の手から徐々に力が失われていくのを感じた。目を開けると、周りの三人も目を丸くしていた。雷花の手をガシッと掴んでいる手があったからだ。それはこの場にいた誰の手でもない。


 ボーイッシュな髪がさらさらと揺れ、透き通るような碧眼が場を制圧する。


 少女が発した空気を凍り付かせるような声。その恐怖心を抱かせる絶対零度の声も、わたしだけには温かなぬくもりを与えてくれた。


「あんたら、雨愛あめに何してるの?」

 


***



「放せよッ!! てめぇ!!!」


 雷花が雲璃くもりの手を勢いよく薙ぎ払った。


「雨愛に何してるの」

「何だよてめぇ! 何ズカズカと……」

「雨愛に……何してたの」


 そんなピンと張り詰めた糸を柔らかく解いたのは喜多河さんのあまりにも空気を読めないような能天気な声だった。


「やっぱり葵ヶ咲あおがさきさんだ! やーちゃん、葵ヶ咲さんだよ。同じ中学だった」

「知らないわよ。こんな陰キャ記憶にないわ」

「それはお互い様ね。私だって、あなたみたいなケバイ女、眼中になかったし」


 刺し殺すような視線で睨む雷花と、冷酷な瞳で見下す雲璃。赤と青の炎がせめぎ合う。


「ちょっと遊んでただけじゃん」

「そんな感じには見えなかったけど」

「はーうっさいなぁ。と遊んでいる所にあんたはいちいち介入してくるんですかぁ?」

「友達……?」

「そうよ。あたしらと笹希はと・も・だ・ち! ね? そーだろ、笹希~」


 雷花がニマニマしながら無理やり雨愛に「はい」と言うように圧力をかけてくる。


「友達ですって? 笑わせないで。雨愛があんたらみたいな下種と友達な訳ないでしょう」

「葵ヶ咲だっけ? あんた口悪いな。ま、それって根暗で陰キャの特権だったりすけどね。あはは」

「品に欠けるという意味では貴方たちの足元には遠く及ばないけどね」


 雲璃が一蹴すると、雷花の怒りのパラメーターがぐんぐん上がるのが目に見えた。


「ホント腹立つな、お前。さっさと消えてくんない? あたしら今、お友達同士で楽しくやってんだからさぁ」


「暴力に任せて他人の私物を取り上げようとして。最近のお友達って随分と粋な遊びをするのね」


「合意なら問題ないでしょ」

「雨愛は嫌がってるじゃない」

「そんなことないよ~。あたしら『お友達』だよな~。そうだよね~さ・さ・きぃ~」


 雷花が醜悪な笑みを浮かべながら雨愛の肩を抱く。その光景が、まるで宝石を泥で汚されるように感じたのだろう。雲璃は眉に皺を寄せて奥歯を噛んだ。


「汚い手で雨愛に――ッ」


「おーい! 笹希さぁん!」


 竹坂さん達が手を振りながらこちらにやってくる。


「こんな所にいたぁ。集合時間になっても来ないから心配になって……って、お取込み中だった?」

「いえいえー私達、笹希と同中だったんすよ。久しぶりに会ったからお話してて」


 グループリーダーの海音さんと喜多河さんが代表して答える。


「これ、どういう状況?」


 他クラスの雲璃に、他校の生徒。流れる気まずい空気。竹坂さんと猫貝さんが右往左往している。


「チッ……行くよ、キー子、ミッツ―」


 雷花が喜多河さんと御津木さんを連れて去っていく。さっきまで楽しかった修学旅行二日目は、なんとも後味の悪い最後となった。

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