第40話 修学旅行

 そんなこんなで、あっという間に修学旅行当日の朝を迎えた。


 まだ宵が明けきらない空を見上げ、朝の軽い空気を吸い込みながら歩き慣れた道を進む。いつもはお父さんが先に仕事に行くから、わたしの方が早く家を出るのがなんだか新鮮だ。


 学校に着くとすでに大半の生徒は集合していて談笑していた。これから始まる三泊四日の旅行にテンションは最高潮だ。


「ふぁ……。みんな、元気だな……」


 わたしはどちらかというと夜型で、しかも低血圧だ。だから朝は弱い。周りの興奮を見るに、本当に自分と同じ生き物か疑ってしまう。


 点呼と先生からの連絡事項が終わるといよいよ出発。ここからはバスと新幹線を乗り継いで移動する。


 移動中の車内も周りのテンションはマックスだった。何回先生から注意を受けたか分からない。その注意さえも興奮のスパイスになった。


 周りとの温度差はあるけど、わたしも内心では楽しみだ。いつものメンバーと、いつもと違う場所に行く。家族や駄菓子屋のおばあちゃんに良い土産話ができればいいなと思いつつ、到着まで短い微睡に耽った。



***



「ふぅ……」


 大浴場のお風呂で疲れた四肢を伸ばしつつ一息つく。午前中は移動が大半だったので、なんかあっという間に一日目が終わった気がする。


 初日はクラスごとで広島を観光した。教科書やテレビでしか見たことなかった世界遺産を目の当たりにすると、つい圧倒された。自分の語彙力では語れない歴史の重みが伝わってくるからだ。


 わたし達の他にもガイドさんの説明に耳を傾けている人達がいた。現地に住んでいる人かもしれないし、わたし達と同じ旅行者かもしれない。


 ”連れてこられた”わたし達と異なり、きっと彼らは有志で歴史に触れに訪れたのだ。この国に生まれた身として、母国の歴史や文化を自らの意志で学びに来たのだ。


 わたし達はとても貴重な体験をさせてもらっている――純粋にそう思えるほど有意義な一日だった。


 

 消灯時間になり各自ベッドに入る。クラスメイトに囲まれて寝る機会なんて無いから緊張する。みんなもきっと修学旅行の夜に浮かれて寝れないはずだ。


 ……そう思ったけど、


「すぴー…………」

「んん……んごごぉ……んもぉぉ」

「むにゃむにゃ……おねーちゃん……午前の紅茶はぁ……午後に飲んじゃらめらよぉ……むにゃむにゃ」


(みんな、けっこう寝るの早いな……)


 夜更かしの習慣が身についているので、こんな早い消灯時間から寝られる訳がない。スマホの仄かな明かりを頼りに読書でもしようかと思ったけど、明かりで周りの安眠を妨害するのも気が引けるので仕方なく目を閉じた。。


 曇璃や雪原さんもこの旅行を楽しんでいるだろうか。明日はグループ行動だ。雪原さん達とは行き先は違うみたいだけど、雲璃とは会えるかな……。


「ぁ……」


 目を開ける。暗闇にも慣れて天井の模様が薄っすら見える。


(なんでわたし今、雲璃のこと考えたんだろう。なんで雲璃の顔を思い浮かべたんだろう)


 友達だから? そうだよね。友達だから、今日何してたかなとか、明日会えるかなとか考えるのは普通のことだよね。


 そう……だよね。



***



 二日目はグループ研修。四~六人のグループで目的地を決めて観光する。後日、巡った観光スポットの記事をまとめることになっている。


 わたし達のグループは和喫茶で昼食を挟みながら二ヵ所の神社を回り、残すは清水寺のみとなった。


「笹希さん、大丈夫? 具合悪い?」

「あっ、ううん。大丈夫。ありがとう」


 グループの一人が心配して声を掛けてきた。インドアなわたしにとって長距離に渡る町歩きは苦行だ。バスや電車も利用したが、荷物を持ちながら慣れない土地での移動はなかなか身体にくるものがある。残暑の厳しい京都が今だけは憎い。


 そんな糸の切れた操り人形みたいな姿勢で歩くわたしを気にかけてくれたのは竹坂有紗たけさかありささん。準備の時から色々気遣ってくれていた。今まで特にお話したことなかったけど、この修学旅行で少しだけ距離が縮められた気がした。


 竹坂さんは細かい所に気を配れる優しい人だ。反面、自分の意見を言うのが不得意で、周りからは「良い人」止まりの評価を受けてしまう。


 結果、クラスに上手く馴染めず、わたし達の「余り者グループ」に仕分けられた訳である。


「笹希さんは、京都は初めて?」

「うん。っていうより、あんまり凪ヶ丘から出たことないかも。竹坂さんは?」

「一度だけ来たことあるよ。でも広島と大阪ははじめてだから、今回の修学旅行とても楽しみにしてたの」


「私はね、親戚が京都に住んでるよ」


 竹坂さんと話していると前方を歩いていた子が振り返って会話に入って来た。海音景子うみねけいこさん――わたし達のグループリーダーだ。


「そうなん。じゃあ海音の家行けば千枚漬け食べ放題だ」

「あんたなかなか卑しいね、猫貝さん」


 最後に会話に加わった猫貝歩ねこかいあゆむさん。強気で自分の気持ちをズバズバ言ってしまう海音さんと、おっとりペースでよく冗談を散らかす猫貝さん。わたしと竹坂さんとは違うタイプだけど、このグループに属している時点で色々と察してもらえると助かる。


「笹希さん、本当に具合悪かったら言ってね。近くで休めるし」

「そーだーよー。ていうか、私もつーかーれーた。漫喫で休もうよ、リーダー」

「あんたはもう少し体力つけなさい」

「ぶーっ! 笹希さんと私で待遇が違う~」


 海音さんと猫貝さんの軽口のたたき合いが始まり、竹坂さんがまぁまぁと調停に入る。


(なんか楽しいな。人の輪の中にいる感じがする)


 クラスにはこんなにも優しい人がいたのだ。それなのに、わたしは勇気を出せずに友達を作ることを諦めていた。晴夏さえいればいいって、当時は思っていた。


 そう思うと、もったいない時間を過ごしてしまった。もう少しだけ勇気を出して友達作りの努力をしていれば、わたしの高校生活は違った色合いを見せていたのかもしれない。


 竹坂さんと海音さん、猫貝さんが笑っている様子を見て、いつの日か駄菓子屋のおばあちゃんから聞いた台詞を思い出す。


――雨愛ちゃんの、本当の気持ちを伝えてみてもいいかもね――


 そうだ。周りの表情とか、先のことを不安がるのはもうやめたんだ。大事なのは自分がどうしたいかだ。わたしはみんなとどうしたい?


 「あのねっ……」


 自分から話しかけた。自分のことを話した。退屈な話でいい、言葉につまりながらでもいい。「わたし」を知ってもらいたい。


 数分後。そこにはもう恥ずかしがり屋で臆病な「わたし」はいなかった。まだぎこちない笑顔がグループ内に咲く。でも、それも時間の問題。きっとすぐに自然な笑顔になる。


 ほら、簡単だったでしょ? ちょっとだけ勇気を出せばいいんだよ。


 そんな簡単だけど、今まで出来なかったことが、ようやく出来た。一歩を踏み出せた気がした。



***



「よしっ! じゃあ三十分後にここに集合! 何かあったらLIMEで連絡してね。それでは散開ッ!!」


 清水寺入口に到着したわたし達は海音さんの合図で各自の持ち場に散っていった。学校に帰った後に作成する修学旅行記事の材料を集める。


 無料で配布されているパンフレットをゲットしたり、地元の人にお話を伺ったりする。ちなみにわたしは、周辺の外観や風景の写真を撮ってくる係だ。


 スマホで一枚一枚丁寧に撮っていく。今撮影している写真が後々の記事に使われると思うと心が躍る。写真やイラストは記事の顔だ。この任務、意外と重要だぞ。


 一通り写真を収めた所でLIMEを起動。加入したばかりのグループチャットで撮影した写真を添付する。


竹坂〈おお! いいね~〉

海音〈めっちゃ綺麗! 笹希さんってカメラマンの素質アリ?〉

猫貝〈迷った~ここどこぉ~?〉

海音〈グッジョブ! 笹希さん! お疲れ~〉

海音〈あんた今どこにいるの? 笑〉

竹坂〈地元の小学生たちが遠足に来てるね。かわいい〉

海音〈無事、パンフレット収集官僚であります〉

海音〈完了だった〉

猫貝〈海音くんお疲れ。速やかに帰還したまえ〉

海音〈道に迷ったあんたが言うな、猫貝〉


 シュバババとメッセージが並ぶ。


(ああ、なんか良いな、こういうの……)


 雲璃や雪原さんとはよくLIMEするけど、こうしてグループでやり取りするのは初めての経験だ。その途切れることを知らない賑やかな会話が楽しい。


 しかし、穏やかな眼差しでチャットを眺めていた矢先のこと。わたしの周りだけ空気の温度が急に低下したような寒気を覚えた。


「やっぱり笹希だ」

「え……」


 嫌な圧を帯びた声に、わたしの意識は夢の世界から現実へと引き戻される。


 “ささき”なんて名前、佐々木さんもいるし、笹木さんもいるので、とりわけ珍しい名前でもない。でも、その声は周りの喧騒を掻い潜って、笹希雨愛という的を正確に射貫くようであった。


 なんでそんなことが分かるかって? 分かるに決まっている。中学の頃、嫌というほど聞いた声だからだ。


「久しぶり、笹希」

雷花らいか……」

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