第36話 声なきメッセージ

 退院した翌日、笹希雨愛ささきあめの姿は中心街にあった。


 昨日知った晴夏はるかの秘密。この発覚によって尚更分からなくなる。


 晴夏は治る見込みのない病気に冒され、苦悩の末に自殺した。一方、葵ヶ咲さんは自身の手で晴夏を殺害したと主張している。


「どっちが正しいの……?」


 葵ヶ咲さんは本人がそう言っているに過ぎない。反対に、自殺説には橘先生と晴夏のご両親が証言している。どちらが信用に足るかは言うまでもない。


 葵ヶ咲さんの発言は嘘だった――そう思えば全てが丸く収まる。


 晴夏は自分の病気のことを家族と医師以外には明かさなかった。それは優しい理由だった。晴夏の両親が救いの言葉を掛けられず親失格だと卑下するならば、わたしだって彼女の悩みに気付いてあげられなかったのだから親友失格だ。


 でも晴夏はわたし達を責めない。これは彼女自身が選んだ道だから。


 だから、誰も悪くないし、誰も責めることはできない。そう思えば、全てが丸く収まる。やっと終わるんだ。長かった夏が、ようやく終わる……。


 ……そう思いたいのに。


 わたしの意思を汲み取るように、「それ」は後ろから跡をつけてくる。わたしが前に進もうとすると追いかけてきて、立ち止まると同じように足音を止める。


 姿は見えないし、音も聞こえず、周りの人には感知されない。でも確かに存在している。霧のような希薄な存在なのに、わたしはそれに後ろ髪を引かれる。


 最初は得体の知れない「それ」が恐いと思った。でも、それはまるで、声の出せない子どもが親の背中を追ってくる様。


 自立歩行ができるようになって間もない赤子が、よたよたと危なげに歩きながら、待って……待って……と母親の後ろ姿に小さな手を伸ばそうとしているように感じた。


 晴夏の件に区切りをつけて前に進もうとするわたしに、形なき違和感は懸命に手を伸ばす。


(まだ何かを見落としている? そう言いたいの?)


(あなたは一体……誰? わたしに、何を伝えようとしているの?)


 訊いても返事は無い。姿の見えない「それ」は黙って跡をつけてくる。伝えたいけど、伝えられない。無言の主張を訴え続けている。


「ん?」


 ふと、街に張り出されたポスターに目がいった。デパートの催し会場で開かれている絵画展覧会の案内だ。晴夏と最後に遊んだ日に行った展覧会である。夏休みの最終日まで開催されているので、そろそろ見納めなのだ。


「そっか……。もう、夏休みも終わるんだ……」


 あっという間の一ヶ月だった。


 親友を失い、新しい友達ができた。ある日、親友を殺した犯人が目の前に現れる。わたしと同い年の女の子。わたしは復讐を計画するも失敗する。


 後日、わたしを待っていたのは予想外の展開だった。わたしは親友の命を奪った犯人と何度もデートを重ねて夏を過ごす。不思議な時間だった。


 紆余曲折の果てに、その犯人との歪な関係を終わらせる。しかし、同時に新しく出来た友達との間にも亀裂が生じた。


 また、ひとりぼっちになるのが怖かった。親友を失い、友達も離れていって、また一人になると思った。


 でも、神様はそこまで残酷じゃなかった。仲直りの機会を与えてくれた。そして、「弱虫」だったわたしはさなぎを経て、勇気の羽を持った蝶になる。



 失っては得て、無くしては与えられての繰り返し。そんな夏だった。


 きっと、こんな夏は二度と訪れない。まだ気温は三十度を超すと言うのに、夏の終わりを意識したら、なんだか涼しい風が体の脇を吹き抜けていく気がした。


 一ヶ月前を懐かしむように、わたしは展覧会の会場へと吸い込まれていった。



***



 作品名『夢イスト』 出展者:夏暮れ


 磁石のS極とN極が引き寄せられるように、わたしの足は自然とまたこの絵に向いていた。一ヶ月前に感銘を受けた作品だ。


 雨上がりの空に、森林に囲まれた湖。広い風景の端で日陰に咲く一輪の向日葵が緑と青の色彩バランスに深みを与えている。何度見ても息を呑んでしまう。


 陳腐な表現をすれば絵に吸い込まれる様。穏やかな金縛りにあい、意識が遠のく気分になる。


「あーっ! 悪い子、発見~!」

「!?」


 振り向くと口元をニンマリさせた少女が立っていた。


「ゆ、雪原さん。おどかさないでよ」

「ぶっぶぅ~~~! 雪原じゃありませぇん! 悪い子発見探知機ですぅ~~~!」

「”発見”と”探知”って意味が被ってるような……」

「そこは論点じゃない!!」


 雪原さんは両手を腰に当てて仁王立ちする。多分、本人的には怒ってますアピールなんだろうけど、顔をぷくっと膨らませた表情が可愛い。


「わたし何か悪いことしたっけ?」

「してるよー! 現在進行でしてるよー! だって”ここ”に居るじゃん!」

「? この展覧会って入場は無料でしょ?」

「違う! そこじゃない! 笹希さんが外を出歩いている事が問題なの! あなた昨日のこともう忘れたの?」


「あー……」


 晴夏の件で頭がいっぱいだったけど。そう言えば昨日、わたしは風邪で倒れて病院に運ばれたんだった。


「まったくもうっ! 少しは自分の身体のこと心配してよね、笹希さん」

「ごめんごめん。もう大丈夫だから」


 ぷくっと膨れた雪原さんの頬を指で突くとプシューと風船から空気が漏れるようにしぼんだ。


「雪原さんもよくここに来るんだ」

「一応、美術部だからね。インスパイア目的でね」


 晴夏も同じような事を言っていた。人によって作風はまるで違うけど、他人の作品から何か得る物があるのだろう。


「絵ってね、不思議なのよ、笹希さん。見る度に視点や感想が変わるの」

「あっ、それなんとなく分かるかも。嬉しいことがあった時に見るのと、悲しいことがあった後に見るのとで印象が変わったりするよね」


「二回目に鑑賞した時は、一回目とは違う部分に目がいったり、初回には気付かなかった発見があったりするしね」


 同じ絵でも、時期や心理状態で全く違う作品に感じられるのだ。


「それはやっぱり、絵画には作者の想いが反映されているからだと思うの」

「メッセージみたいなもの?」

「うん。鑑賞者にこう思ってほしいとか、特定の個人に宛てた密かなメッセージを込めたりね」


「なんか絵って手紙みたいだね」

「なかなかロマンチックなこと言うね、笹希さん」


 自分で照れくさいことを言っておきながら考えてしまう。『夢イスト』にも何かメッセージがあるのだろうか……と。


 この絵も、声なきメッセージを発しているのか……と。


 刹那――バラバラだったピースが集結して、すごい速度で噛み合っていく。一ヶ月に渡る夏のパズルが音も立てずに仕上がっていく。それは光の速さを超えた一瞬の閃き。


「ああ、そっか。そうだったんだ……。”君”だったんだね……」


 真実は熟慮じゅくりょと苦悩を重ねた果てに、重い扉を切り拓く様に現れると思っていたけど、そうじゃないんだ。ふとしたきっかけで、何の前触れもなく訪れる。


「ありがとう、雪原さん」

「え? なにが?」


 人差し指を顎につけて頭上にクエスチョンマークを浮かべる雪原さんと別れて、わたしは会場を後にした。


 別れ際に聞こえた「真っ直ぐ家に帰って安静にしてるのよー」という悪い子発見探知機の小言を無視して、学校に寄ってを済ませる。


「もうすぐ二学期か……」


 静まり返った校舎にもうすぐ活気が戻ってくる。よかった。再び賑やかな声が戻ってくる頃には、わたしは「わたし達の夏」に決着を付けられそうだ。



 家に帰って家族三人で夕ご飯を囲んだ。一時的とはいえ病院のお世話になったので、お母さんとお父さんも心配していたが、ご飯をおかわりするくらいに体調が戻りつつある様子を見て安堵していた。


 事件の影響で家族間のコミュニケーションもぎくしゃくしていたが、ようやく元の日常が戻って来たと実感する。


 お風呂にも入って、部屋に戻って一日を終える準備をする。最後にLIMEを起動してメッセージを送った。返信は無かったけど、それが了解の合図だということを、わたしは知っている。


 どうやら明日は天気が崩れるらしい。風邪がぶり返さないように掛布団をしっかりと被って瞼を閉じた。


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