第32話 仲直りの羽
薄っすら
「
隣に座っていた少女が声を上げる。まだ頭がぼんやりしていて、その鋭い声に鈍い脳の処理速度が追いつくのに時間がかかった。
「ゆ……き……はら……さん?」
わたしの左手を、雪原さんが両手で強く握っていた。
「ここは……?」
「病院よ。凪ヶ丘総合医療センター。笹希さん、いきなり倒れたのよ。覚えてない?」
消毒液の匂いが染みついた病室。右腕から伸びている点滴の
「部活に行く途中で、交差点で立ち止まっている笹希さんを見つけて。最初はね……声を掛けずにスルーしようと思ったの」
雪原さんとは現在、喧嘩中というか、冷戦中だ。
「でもね、何か様子が変だと思ったの。そしたら急に倒れて。気付いたら体が勝手に動いてた。笹希さんぐったりしてて何度声を掛けても起きなくて……」
ああ、そうか。意識を失う寸前に聞いた声――あれは雪原さんだったんだ。
体の
「雪原さん……目、腫れてる?」
「当たり前でしょ!! 目の前でいきなり倒れて、何度呼んでも起きなくて。本当に……心配したんだからッ……」
雪原さんの目尻に涙が溢れる。わたしにとってはただの風邪(わりと重症だが)でも、目の前で人が不自然な倒れ方をしたら最悪の事態まで想像してしまう。
雪原さんには謝罪を重ねても許してもらえないほどの心配をかけてしまった。
「救急車が到着するまで、どうしたらいいか分からなくて……。もう目を覚まさないんじゃないかって……。笹希さんまで遠くにいっちゃうんじゃないかって思った」
「雪原さん……」
両手で涙を拭きながら、雪原さんは顔をぐしゃぐしゃに歪める。本人には秘密だが、その泣き顔がとても可愛らしく思えた。それ以上に、わたしの為にこんなに泣いてくれるのが嬉しかった。
「もう嫌なのッ!!
友達――その言葉に、自分の愚かさが雪原さんの優しさで浄化される感じがした。反射的にわたしの頬にも温かい涙が伝う。
「わたし、雪原さんに謝らなきゃいけないことがある」
「……うん」
雪原さんは小さく頷いて、わたしが話しやすいように改めて座り直した。わたしがベッドから上半身だけを起こすと雪原さんがゆっくり支えてくれた。
「わたし、雪原さんに酷いことした。
ベッドに座ったまま深々と頭を下げる。わたしは最低の人間だ。だから許してもらおうなんて虫のいい事は言わない。それでも、ここで誠意をみせなければ本当に人間の屑になってしまう。
「葵ヶ咲さんのことが好きだから?」
「……それは違うの」
「理由は言えない?」
「ごめんさない」
わたしがそう言うと、雪原さんは少しだけ沈黙した。
「いつか、その理由は教えてくれるのかな?」
「約束する。絶対に」
「そっか……」
雪原さんは勢いよく立って両手をパチンと合わせた。
「なら、この話はお終い!」
「へ?」
「だーかーら、おーしーまーいッ!」
空元気っぽく雪原さんは笑顔を繕った。
「私の方こそ、ごめんね。笹希さんに酷いこと言った」
「そんな! 全部わたしのせいで、雪原さんが謝ることじゃないの!」
「ううん。笹希さんもちゃんと謝ってくれたから、私にもけじめ付けさせて」
雪原さんはもう一度心からの「ごめんなさい」を伝えた。
「それに、笹希さんは本当は優しい子だって知ってるから。葵ヶ咲さんの件も、何か事情があったんでしょ?」
「それは……」
「だから、この話はもうお終い。理由があるって分かっただけで充分。笹希さんが話したいと思った時に教えてくれたらいいから、ね?」
「うん……うん……ッ」
両方の手の平で溢れる涙を拭う。涙には悲しい時に流れる「冷たい涙」と、嬉しい時に流れる「温かい涙」の二種類があって、久しぶりに温かい涙に触れた気がした。
「笹希さん。私の方から距離を置こうって言った手前アレなんだけど……」
と言って、雪原さんは両手を後ろで組み、太ももを擦こすり合わせながら、わたしをチラチラ見る。
「私と――本当の友達になってくれないかな?」
「本当の……友達」
それは、単なる仲直りとはまた少しニュアンスの違った響きに聞こえた。
「
うん……、うん……。
「だから、笹希さんさえ許してくれるなら。私と……友達になってくれませんか」
その一言で、わたしはまるで転んで大泣きする子どものように、顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。雪原さんは側に寄って背中を優しく撫でてくれる。
「いいの……? ホントに……わたしなんかでいいの? こんな酷い奴なのに……」
「笹希さん。そんなに自分を
ここが病室ということも忘れてわんわんと泣く。泣いて、泣いて、泣き続けた。もう嬉しくて
「それに、私まだ笹希さんと一回しか遊んでないでしょ? あれも、まぁ、あんまり良い思い出じゃないし……てへへ。だから、もっと笹希さんのこと知りたいな」
「うん……ぐすん、……うんッ」
過ちを赦してもらい、途切れかかった縁が結び直された。わたしは今、人としての最大の幸福を享受しているに違いない。
わたしが泣き止むまで、雪原さんはずっと背中を擦りながら隣にいてくれた。その後は、身体に障るからと一足先に帰っていった。
最後まで申し訳なさそうにするわたしに、「心配かけた分はそれ以上に元気になって、また一緒に遊ぶこと! それでお
病室を出ていく彼女の顔も、それを見送るわたしの表情も、雨上がりに吹く風のような爽やかな色合いだった。
一人じゃなかった。わたしには、友達がいた。
暗い殻の中に閉じこもっていた臆病な
繭の殻がパラパラと崩れる。生えたばかりの勇気の羽を携えて外の世界へ羽ばたいていく。
そこはどんな場所? ――不安になる夢の中の臆病なわたしに言ってあげたい。
「大丈夫。目が
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