第13話 友達作り

 帰宅してからぼーっとしていると雪原さんの顔が思い浮かぶ。


 晴夏しか友達がいなかったわたしが、他のクラスの子と仲良くなるなんて今までになかったことだ。今日は、笹木雨愛という人間にとって非常に実りのある一日だったといえる。


 しかし、それ以上の収穫もあった。


(葵ヶ咲さんも、晴夏と同じ美術部……)


 どうやら、わたしが思っていた以上に晴夏と葵ヶ咲さんには接点があったらしい。わたしが知りたいのはただひとつ――


 そして、その事実が彼女の発言と異なるならば、なぜそんな嘘をついたのかという疑問が湧く。その理由は葵ヶ咲さん本人からは明かしてもらえなかった。だからわたしが究明しなければいけない。晴夏の死をこのまま終わらせないために。


(もしかしたら、雪原さんに近づけば葵ヶ咲さんの情報を聞き出せるかもしれない)


 なんだか他人を利用するようで良い気分ではない。しかし、これは自分の為ではない。晴夏の為のなのだ。


 そう自分に言い聞かせた。



 学校の四階は芸術関係の特別教室が連なる。二年生の教室は三階なので、移動教室や特別な用事が無い限り普段はこのフロアに訪れない。


 わたしは廊下の角にコソコソ隠れながら、遠目に美術室の前を観察している。


 美術室は、第一美術室、第二美術室、そして美術準備室に分けられる。時折、美術部の人達が画材を取りに行ったり、絵の具の水を替えに水飲み場に行ったりと、美術室を出入りしている。


 葵ヶ咲さんと遭遇したらどうしようと懸念していたが、今日はまだ姿を見ていない。休みだろうか?


 それはひとまず置いておいて、今日の目的は別にある。廊下を行き交う人に怪しまれないように、適度にうろうろしながら(これだけでも十分に怪しい気もするけど)その機会を待つこと三十分。ついにその「目的」が顔をのぞかせた。


 ――雪原久美さん。


 筆洗ひっせんを手にした彼女が、水飲み場があるこちらの方角へ歩いてくる。

 

 徐々に近づいてくる足音と、大きくなるシルエットを見計らって、わたしは廊下の陰から飛び出した。


「あれ? 笹希さんだ!」

「あっ、こんにちは、雪原さん。今は部活中?」

「うん! 今日は『塗り』なんだ」


 雪原さんが筆をグッと見せつけて芸術家のようなポーズをとる。


「ごめんね、部活中に。邪魔しちゃったかな」

「大丈夫だよ。今は休憩時間だから」


 と言って、雪原さんは手際よくバケツの水を替えていく。


「笹希さんも何か部活してるの?」

「ううん、わたしは帰宅部。夏休み中は課題をやりによく学校に来るんだ」


「へぇ~偉いね! 私も宿題は早めにやらなきゃって分かってるんだけど、どうしてもギリギリになっちゃうんだよね」


「雪原さんは部活もあるし仕方ないんじゃないかな。それに、わたしも家だとなかなか集中できないから、気分転換も兼ねてこうして学校に来てるし」


「あっ、それなんとなくわかるよ! 私も自分の家で絵を描けっていわれても微妙なんだよね。美術室に入ると『さぁ、やるぞーーー!』って気分になるんだ」


 しばらくそんな感じで談笑した。とても楽しそうに笑う雪原さんの笑顔が、わたしは好きだ。


「ところで笹希さんはこんな所でどうしたの? 図書室なら反対の方だけど」

「あー……え~っと、……教室に忘れ物しちゃって」

「私たちのフロアって下の階だよね?」


「あー……そうなんだけどね。考え事しながら階段上ってたら一階分多く上っちゃって。そうしたら、雪原さんと会ったって感じ」


 我ながらなんと苦しい嘘なんだろう。もう少し上手い作り話はできのか。


 でも――


「ぷっ。やっぱり笹希さんておもしろいね」


 あれ、これいけるんじゃないか……。


「ほ、本当? わたしもね、雪原さんとおしゃべりするのとっても楽しいよ」

「ありがとう。またお話ししようね」


 欲しかった台詞がやっと引き出せた。乾いた喉に無理やり潤いを与えて本題を持ち出すことにした。


「あっ、あのね、雪原さん!」


 ちょっと声が大きくなってしまい、雪原さんもびくっとなった。


「もし迷惑じゃなかったら、その、連絡先……教えてもらってもいいかな?」


 人付き合いが苦手なわたしにとっては、それはまるで一世一代のプロポーズのように緊張した。


「うん! いいよ! 私も、もっと笹希さんとお話したいし」

「――――――っ」


 雪原さんの連絡先を入手すること――それが今日の本題。たったそれだけ。普通の人なら誰もが当たり前のようにやるコミュニケーションの入り口。


 友達は自然にできない。作る努力が必要だ。頑張って声を掛けて、交流の日数を重ね、仲良くなる。


 それを傍からは「自然」と見えるだろう。人は意識していないのか、偽善的でありたいのか、友達は自然とできるものと考えてしまう。


 でも違う。友達とは、意図的に作るものだ。誰もが、それこそ”自然”とそうしている。


 しかし笹希雨愛という人間にとって、それはとてつもなく高いハードルなのだ。


 断れたらどうしようって悩んでしまう。失敗したときの言い訳を探してしまう。また「あの頃の自分」に戻ってしまうのではないかと不安になってしまう。


 でも、そんな心配事を雪原さんは簡単に払拭してくれたのだ。わたしの悩みが些末に感じてしまうくらいに。


 お互いのスマホでQRコードを読み取って連絡先を交換する。


「ありがとう笹希さん。今日の夜さっそくLIMEしちゃうね」

「うん」


 美術室へ帰っていく雪原さんの後ろ姿を見送る。


 トクントクンと、まだ心地いい鼓動のリズムが聞こえる。同時に幾ばくの罪悪感がその穏やかな鼓動の波を荒らす。


 本当なら、もっと純粋なお付き合いがしたかった。普通に出会って、普通に仲良くなって、普通に友達になりたかった。こんな打算的な思惑なんて持ちたくなかった。


 でも、仕方ない……、仕方ないよね……。


 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。全ては、晴夏の為なんだから。


 美術室に戻る瞬間、最後にもう一度雪原さんが手を振ってくれた。無垢な笑顔に、わたしは不器用な作り笑いを返すしかできなかった。


 その後もしばらく美術室の付近を観察していたが、結局その日は葵ヶ咲さんの姿を確認することはできなかった。

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