第12話 ふたりの空、孤独の空
昨日得られた情報は大きい。
しかし、この先どうしたらいいか分からないのも事実。事件の真相なんて誰も知らない。あのポーカーフェイス女に何か因縁やトラブルがあったか訊いても絶対に答えない。
考えてみればおかしな話だ。推理小説では、探偵がかき集めた証拠や見聞を基にして、犯行を否定する容疑者を追い詰める。
しかし今は、犯人が自ら罪を告白してきている。偶然、探偵的ポジションにいるわたしが犯人の供述を否定できる材料はないかと探している。
わたしは今でも晴夏の死が不運な事故だと信じている。それが無理でも、せめて自殺であって欲しい。誰かに殺害されたなんて悲しい事実に比べれば遥かにマシだ。
しかし、晴夏は他殺だと葵ヶ咲さんは主張する。その言葉を呑み込めばいいのに、わたしはこうして二人の関係性を調べて、葵ヶ咲さんが嘘をついている可能性、つまり、警察の言う通り晴夏は自殺だったという可能性を模索している。それは間接的に葵ヶ咲さんの無実を立証することに他ならない。
事実は小説よりも奇かもしれない。
家でじっとしてても事態は進展しないので、こうしてまた学校に向かっているわけだ。
(わたしって、少し変わったかな……?)
消極的な性格は変わらない。でも、頭で考え過ぎて何もできなかった過去の
学校に到着して二年三組に移動する。晴夏のクラスだ。静寂の校舎に扉を開ける時のガラガラという音が響く。
ゆっくり、ゆっくりと一つの席に歩み寄る。一番左端の窓辺の列。そのちょうど真ん中の席。
机の天板をそっと撫でる。晴夏が笑いながらこちらを見上げているような気がした。椅子を引いて、座る。
「ここが、……晴夏の席。晴夏が……いつも見ていた風景」
右を向けば教室全体を、左の窓外を見ればグラウンドを一望できる。
左頬を机にくっつける。蒸し暑さが立ち込める教室に、机のひんやりした温度が気持ちいい。
「……晴夏」
愛しい名前を呼ぶ。胸の中が温かい。
「晴夏……」
心を落ち着かせるように、もう一度呼ぶ。愛しい名前が優しい温度に溶けていく。
目蓋が重い。昨晩はちゃんと寝たつもりだったけど、ここ最近いろいろあったので、疲れが溜まっているのかもしれない。
好きな人の机に体を預けて、好きな人の名を呼ぶ。まるで、ゆりかごに包まれているような安心感を覚えて、わたしの意識は白い光へと消えていった。
*
夢を見ている。蝶になったわたしは空を飛んでいる。前にも同じような夢を見た気がする。いつだっけ。……思い出せない。
ふと横を見るともう一匹の蝶が並行して飛んでいる。一緒に飛んでいるのが楽しくて、温かくて。この先も一緒に飛んでいたくて、向こうもそう思っていてくれたら嬉しいなって思った。
その蝶がわたしの方を向いて何か喋っている。何かを伝えようとしているのに、わたしはそれを理解できない。
なんで? わたしが人間だから?
いいや、違う。今のわたしは蝶だ。相手と同じ蝶だ。言葉の障害は無いはずなのに、こんなに「距離」も近いはずなのに、なんでわたしはそれを理解できないの?
相手の蝶は、自分の言っていることが伝わらないことにもどかしさを覚えているのか、それともわたしが必至で理解しようと努めている姿に悲しくなったのか、少しだけ寂しそうな目をする。
そのまま「彼女」は一人で孤独の空を飛んでいく。彼女がスピードを上げたのか、わたしが遅くなったのかは分からない。距離がどんどん広がり、わたしもまた孤独の空を浮遊する一匹の蝶になった。
(まって……、まってよ……!)
声にならない声を振り絞る。もう後ろ姿も見えなくなった彼女に届けと願う。胸が締め付けられるような痛みがじわじわと身体に広がって、そのままわたしの意識は現実へと浮上していった。
*
ガラガラ。
「ひゃあっ!」
「きゃあっ! びっくりしたー!」
「ご、ごめんなさい! 寝ちゃってて」
意識が覚醒する瞬間に、教室のドアが開く音が重なって、思わず体がびくっとなってしまった。おまけに変な声も出しちゃったし、恥ずかしい。
「えっと、他のクラスの子だよね?」
「は、はい。一組の
「私はこのクラスの
「あっ! そういえば」
終業式の日。晴夏を探して教室の前をうろうろしていたわたしに親切にしてくれた人だ。
「笹希さんは何かうちのクラスに用だったのかな」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
理由を説明する訳にもいかないので言葉を濁す。いろいろ言い訳を考えながら目線を手元の机にそっと置いた。
「笹希さんって……、南橋さんの……」
「晴夏を知ってるの!? あっ、ごめんなさい、タメ口で」
「あはは、いいよ。だって、タメじゃん」
「そうだね」
雪原さんは晴夏とわたしがよく一緒にいたことを知っていて、そしてわたしが今ここにいる理由をなんとなく察してくれたみたいだった。
「南橋さんのことは知ってるよ、だって同じクラスだし」
それもそうだ。さっき「このクラスの」って言ってたじゃないか。
「それに、わたしも南橋さんと同じで美術部なんだ」
「あっそうなんだ! あの、晴夏ってさ、部活ではどんな感じだったのかな?」
とても良い人だったよ、と雪原さんは窓を開けて懐かしむ様な瞳を宙に向けながら話し始めた。
「いつも笑っていて、クラスでも部活でもムードメーカーだった。彼女の笑顔には周りを笑顔にさせる力があった」
わたしも相槌を打つ。笹希雨愛も、南橋晴夏の笑顔に助けられた人間のひとりだからだ。
「絵もすごく上手だった。他の部員からも尊敬されるくらい。悩んでる子の相談にもよく乗ってあげてた。ここがダメとかネガティヴなコメントは避けて、その人の良い所を見つけて褒めるの。相談者が元気になれる優しい言葉を添えてね」
「うん、…………うん」
その穏やかな情景が目に浮かぶ。
「笹希さん、大丈夫?」
「え、何が?」
「だって、泣いてるから」
「え?」
手で目元を拭う。あれ、わたし、なんで泣いてるんだろう。
ああ、きっと優しさに触れたからだ。クラスの出来事とか、部活の様子とかは晴夏からそれとなく聞いていた。でも、わたしの知らない晴夏の優しい一面を、他の人から聞けたことが嬉しかったんだ。
涙が止まらないわたしに雪原さんがハンカチを貸してくれた。
「辛かったね、笹希さん」
雪原さんも葬儀に参加してくれていた。クラスメートとして、同じ美術部員として。わたしが言うのもどこか変だが、それでも感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言った。
窓から吹く風がふたりの髪をフワッと舞い上がらせる。教室の壁に貼ってある掲示物がパタパタと泳ぐ。
「笹希さんと知り合えてよかった。南橋さんのこと、こんなに大切に想っていてくれて」
雪原さんは風でなびく髪を抑えながら、ぼそっと寂しそうに呟いた。
「葵ヶ咲さんも、そうだったらよかったのに……」
「え…………!?」
思わぬ名前が出たことに驚く。
「雪原さん、今、葵ヶ咲さんって……?!」
「葵ヶ咲さんを知ってるの?」
「まぁ……うん……」
「そう」
ドクンという心臓の鼓動が聞こえた。はやる気持ちで次の言葉を待つわたしに、雪原さんは寂しそうな目でこう言った。
「葵ヶ咲さんもうちのクラスで。私たちと同じ、美術部よ」
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