第14話 孤高の花

 今夜は少しだけ涼しい風が吹いていた。


 お風呂から上がり、半乾きの髪をタオルで拭きながらベッドに寝転がる。肘をついてうつぶせの姿勢になり、スマホを確認するとLIMEの通知がきていた。雪原さんからだ。


〈こんばんは、笹希さん! さっそくLIMEしちゃった〉


 続けてピースサインのクマさんスタンプ。わたしも返信して会話を開始する。何度か直接会話はしたけど、スマホ上でお話するのは初めてなので、最初の文を打つときは緊張した。


 晴夏は共通の知人ということになるが、その話題はタブー。改めて自己紹介も兼ねて、お互いの話で会話は盛り上がった。雪原さんの温和な人柄のおかげで、安心してメッセージのやり取りができた。


 次の日の夜も雪原さんとLIMEをする。アニメをよく見ることや、部活で使う画材のほとんどは中心街にある大型の文房具店で買い揃えることなど、雪原さんの色々な日常を知ることができた。


 雪原さんは友達だ。でも、葵ヶ咲さんの素性を知るために、雪原さんと連絡先を交換したのも事実。


 そんな当初の計画を忘れてしまうくらいに雪原さんとの会話は楽しい。ずっとスマホを握りしめていたくなる。そうやって会話が盛り上がるほどに、罪悪感という黒い影が心を侵食していく。


〈今日も楽しかった! おやすみなさい、笹希さん〉

〈うん。おやすみなさい、雪原さん〉


 それが本日の区切りになると思ったが、雪原さんから最後にもう一つだけメッセージが届いた。


〈笹希さんと友達になれてよかった。またね〉


 天井を見上げて脱力する。


(友達…………)


 LIMEの友達一覧から晴夏を選択する。会話のログには晴夏の風邪を心配するわたしのメッセージで途絶えている。七月末に送ったものだ。もう永遠に既読も、返信も届くことはなくなった会話の跡。


 晴夏と家族くらいにしか使っていなかったSNSアプリ。そこに新しく加わった雪原さん。思えば、晴夏が亡くなってから、いや、晴夏を除けばわたしにできた本当の友達だ。


 そう、……”友達”だ。


 なのに、わたしはその友達を利用している。雪原さんはわたしのことを友達と言ってくれた。すごく嬉しかった、それは本当だ。哀愁と戸惑いの日々に差し込んだ一筋の光だった。


 でも、どうしてもわたしは表面だけが甘く、嫌な酸味を含んだ果実を食べているような感覚にならざるを得なかった。



 次の日の夜。


 まるでテストに臨むような姿勢で机に向かう。いよいよ動く時がきた。いつも通り雑談から入って、いい頃合いで葵ヶ咲さんの話題を振る。


〈そういえば、初めて会った時も言ってたよね。笹希さんって葵ヶ咲さんと知り合いなの?〉

〈ううん、顔と名前を知ってるくらいかな〉


 霊園で一度会ったが、わたしが水面下で葵ヶ咲さんのことをかぎ回っていることが、雪原さん経由で彼女に伝わるのもマズイので、面識の事実を否定した。


〈ほら、葵ヶ咲さんってけっこうミステリアスじゃない!? だから、普段の様子はどうなのかなーって〉


〈ん~クラスにいる時も、絵を描いている時も、特に変わらないかなぁ。すごくクールで自分の世界を持ってるって感じ。良い人なんだけど、正直、私もあの子が何を考えているか分からないんだよね。他の部員もそんな感じ。彼女との距離を測りかねてるっていうか〉


 それは、わたしが葵ヶ咲さんに会ったときに持った印象と全く同じだった。


〈その、……晴夏とはどんな感じだったのかな?〉


 そこで初めて晴夏の話題は出さないという暗黙の了解を、わたしは破った。


〈南橋さんとは……〉


 雪原さんが少し間を空ける。テンポよく続いていた会話途切れたことで、何か言いにくいことがあるか、もしくは慎重に言葉を選んでいるのかもしれないと思った。


〈ちょっと言いにくいけど、仲がよかった……とは言えないかな〉


 …………!


 すぐに〈詳しく聞かせてもらってもいい?〉というメッセージを送る。そこからは、わたしは相槌代わりの反応を送ることなく、雪原さんの話をじっくり読むことにした。


〈葵ヶ咲さんって南橋さんと同じくらい絵が上手なの。美術って腕を競うものじゃないけど、それを承知で順位をつけるなら、間違いなくあの二人がうちの部でトップなのよ〉


〈南橋さんは葵ヶ咲さんの絵をリスペクトしていた。葵ヶ咲さんも自分には足りなくて、南橋さんにあるものを理解していたと思う〉


〈他の部員は葵ヶ咲さんとあまり積極的に関わろうとしないのよ。誤解しないでね。無視してるとか、仲間外れにしてるとかじゃないのよ。ただ葵ヶ咲さんは、どこか浮世離れしていて、彼女もそういう人間関係を望んでいるのよ〉


〈そんな中でね、南橋さんが唯一彼女と対等にコミュニケーションをとっていたの〉


〈前にも話したけど、南橋さんは他の人の作品を褒めて、足りない部分を優しく諭すのが上手だったの。当然、葵ヶ咲さんにも色々とアドバイスをしていたわ〉


〈でも、ほら、葵ヶ咲さんってああいう性格でしょ? なかなか他人の声に耳を貸さないのよ。ましてや南橋さんは部内の一位二位を争う存在だから、ライバル視していただろうし〉


〈仲がよくなかったって言ったけど、正確には葵ヶ咲さんの方が一方的に嫌っていた……って感じかな〉


 そこまで聞いただけで大体の事情は察した。話をまとめるとこうだ。


 まず、葵ヶ咲さんの人柄は、あの日墓地で会った時の印象そのままということ。


 そして、部内で孤高の存在である葵ヶ咲さんは、晴夏に対して少なくとも好意的な印象は持ち合わせていなかったということ。


 話を聞く限り、葵ヶ咲さんの実力は群を抜いていたわけではないらしい。いつも隣には晴夏という「壁」があった。もし二人の関係が良好なものだったら、今頃は互いに切磋琢磨し合う良きライバルになっていただろう。


 しかし現実は違った。葵ヶ咲さんは晴夏の美術の腕に嫉妬していた。晴夏も晴夏で、葵ヶ咲さんの気持ちも知らずに要らぬお節介を焼いていた。


 もちろん晴夏は、葵ヶ咲さんの作品がより良いものとなるようにと願って、色々とアドバイスをしたのだろう。でも葵ヶ咲さんからしたら不愉快だった……。


 あの日しか葵ヶ咲さんと言葉を交わしてないのに、なんだか随分と彼女の日常を垣間見れた気がした。そして、ふわふわと浮遊していた疑念の中にひとつの可能性が浮上する。


 それは、……ということだ。


 殺人の動機に大小は無い。人間関係のほつれは、いつどういう形で豹変するか分からない。


 葵ヶ咲さんの口から語られた霧の告白が、だんだんと形を帯びてくる。


 身内の愚痴を零させてしまった感じになったけど、雪原さんも連日の雑談の一環として受け取ってくれたのか、特に不審がらずいつも通りスタンプを交換しておやすみなさいした。


 部屋の明かりを消してカーテンを開く。灰色の雲に覆われて、月の光が町に届くことはなかった。

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