第09話 告白と告白

 南橋みなばし家の墓石。晴夏はるかと、晴夏へと命のバトンを紡いでくれたご先祖の眠る場所。


 わたしは手を合わせて目をつむりながら、深くお辞儀をした。目を開けるとそこに晴夏がいてくれたら――なんて考えながら。


 目を開けると、何も語らない墓石もなんだかわたしの言葉を待っている様に感じた。


「久しぶり、晴夏。ちゃんとお話しするのは終業式の前日以来、かな」


「夏休みに入ったよ。毎日暑くてさ、十年後はもっと暑くなってるのかな」


「夏休みはどうかって? んーふつうかな。宿題やったり、本読んだり」


「わたしらしい? くすくす、えーそーですよー。どーせ、勉強ばかりしてるマジメちゃんか、本の虫ですよーわたしは」


「……昔は楽しかったよね。読書ばかりしてるわたしを晴夏はよく遊びに連れて出してくれた。危ないこともしてお父さんとお母さんに叱られたっけ」


 見上げると、朱色の夏空に入道雲が浮かんでいた。


「中学の頃はいろいろあったけど……。でも、また会えた。晴夏とまた、一緒に過ごすことができた」


 胸の前で手を小さく握る。


「……晴夏。…………っ、はるかぁ……」


 大粒の涙が墓前を濡らした。


「声が聞きたいよ……。また一緒に遊びたいよ。また、……晴夏に会いたいよ」


 今日と変わらない日々が明日も続いていくんだって、そう思ってた。あまりに突然で早すぎる友との別れは、わたしに悲しませてくれる時間さえ与えてくれなかった。


 何もないと思っていた昨日までの一日一日が、晴夏の死によって意味を帯びてくる。


(なんだ……。わたしの学校生活、楽しかったんじゃん……)


 晴夏のいない明日からの世界を考えた途端、涙がこぼれてきた。今さら色づいた過去をもはや懐かしむことしかできない。


「ごめんね、晴夏。ちゃんとお別れ言えなくて」


 親友の急死が信じられなかった。認めてしまったら、泣いてしまったら、晴夏が本当に死んでしまうような気がして。きちんと「さようなら」ができなかった。


 そして、わたしはここ数日探し続けた想いを告げる。頭の中を整理し、心の中で葛藤し、そして見つけた一つの答え。


 長い時間をかけて考えたのに、いざ言う時はとてもシンプルだった。


「晴夏。好きだよ……大好き」


 友達としての意味じゃない。むしろ、普段のわたしなら「友達としての意味」でも恥ずかしくてこんなことは言えない。男が女を、女が男を好きという意味の。透き通った純度の高い告白だった。


 不思議と、恥ずかしさは無かった。やっと言えたという気持ちと、言うのが遅くなってごめんという気持ちが強かった。


(わたし、こんなに好きだったんだ……)


 言葉にすることで、改めて想いの強さに気づく。いつも晴夏に支えられてきた。南橋晴夏という、ひとりの人間に恋をした。いつも眩しい笑顔を追いかけていた。


「晴夏、大好きだよ。これからもずっと……ずっと」


 今さら気付いた祈りの声を、もはや届かない空へと向ける。


 涙を拭くと、なんだか晴夏が側にいて笑っているような気がした。もし生きていたら、「雨愛は笑ってる方がかわいい! だから泣かないで」と励ましてくれるだろう。晴夏はそういう子だ。


「ありがとう、晴夏。また来るね」



 帰り際、前方から一人の女の子がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。背丈も年齢もわたしと同じくらい。花を携えているので、彼女も誰かのお参りかもしれない。彼女は前方を見ながら……ん?


 そこで少し違和感を覚えた。前方ではなく、わたしの方を、いや、わたしを見てる……?


 距離が近づいてくるほどに確信する。彼女はわたしを見ている。そして、道の真ん中、ふたりがちょうどすれ違う時に目が合った。


 長いまつ毛に碧い瞳。その瞳には、凛々しさと、背筋を凍らせるような冷たさが混在していた。


 彼女はわたしを一瞥すると、直線の道を一定の速さで歩いていく。特に理由はないけど、彼女の行き先が気になって、後ろを振り返って彼女の背中を目で追ってしまった。


「え……?」


 彼女はとある墓前に持ってきた花を供えると、しゃがんでお参りをした。それは、ついさっきまでわたしがいた場所だった。


 その姿を見て、思い出す。そうだ、わたしは彼女を見たことがある。お葬式の日だ。彼女も参列していた。


 晴夏の友達か、クラスメートか。


 声を掛けようと思ったが、お門違いかもしれない。わたしは彼女を知らないし、向こうだってそうだろう。適当な挨拶を交わして変な空気になるくらいなら、そっとしておくのがお互いの為だろう。


 そう思った矢先、彼女は鋭い視線をわたしに向けた。そして、ゆっくりと立ち上がって、こちらに歩み寄ってくる。


「あ、あの」


 対峙するような形になって、なんて切り出していいか分からないわたしに、沈黙を破ったのは彼女だった。


笹希ささきさんも、南橋さんのお参り?」

「えっ? わたしのこと知ってるんですか?」


 名前を言われてドキッとした。どうやら、わたしを知っているらしい。そして、晴夏とも面識があるようだ。


「そっか……。そうよね」


 視線を伏せて、すぐにまた、わたしに戻した。


「笹希さんとは同じ小中学校だったのよ。覚えてない?」

「ご、ごめんなさい。わたし、人の名前とか顔とか覚えるのが苦手で。あと、その、昔は色々あって」

「ううん、いいのよ。昔は昔、だもんね」


 彼女は右手で横髪をさらりと耳にかけた。わたしと同じ黒髪のショートヘアだ。


「葵ヶ咲よ。葵ヶ咲雲璃あおがさきくもり

「あっ、笹希雨愛ささきあめです、はじめまして。あっ、いや、はじめましてじゃないのか。ご、ごめんなさいっ」


 ぺこぺこ謝るわたしをふふっと笑う葵ヶ咲さん。記憶を参照しても、やっぱり思い出せない。向こうはちゃんと覚えているだけに、自分の記憶のポンコツさ加減が恥ずかしい。


 彼女は晴夏の墓石に視線を向けると、寂しそうに目を細めた。


「悲しい事件だったね」


 ………………。


 ――事件。その言葉に少し違和感を覚えた。晴夏の死因は崖からの転落死――自殺だ。自殺は事故ではない。かといって、事件とも言えないから定義が難しい。なのに、彼女は「事件」と断定したのだ。


 言葉の綾かもしれない。でも彼女は、水平線の彼方を見つめる鳥のような、どこか遠く寂しい表情をするのだ。


 彼女の態度からは、言葉以上の何かを秘めている気がしてならなかった。


 もしかしたら葵ヶ咲さんも晴夏と親交が深かったのかもしれない。晴夏の死は彼女にとっても受け入れがたい報せだった。それで、自殺と認めたくないから、あんな表現になったのかもしれない。


 そうだとしたら、きっと葵ヶ咲さんとは仲良くなれる。理解し合える。同じ宝を失くし、同じ痛みを分かち合う者として。


「あのっ、葵ヶ咲さん!」


 勇気を振り絞って話しかけた途端、葵ヶ咲さんはわたしの言葉を遮るように言葉を重ねてきた。


「七月十九日。午前四時二十三分」


 …………え?


「白いワンピースに、一冊の文庫本」

「葵ヶ咲さん、なにを……」


 葵ヶ咲さんは無作為に単語を羅列する。


「これ、なんだかわかる?」


 じっとわたしを見つめた。地に足がついていないような感覚がした。


「南橋さんが亡くなった時刻、その時の服装、そして遺留品よ」

「――――?!」


 え、ちょっと、待って……。


「南橋さんはね、他殺よ」

「た、他殺!? こ、殺されたって……こと!? だ、だれが、どうして……」


 頭の中がぐちゃぐちゃで話すこともままならない。しかし、こんな泥のような思考回路をクリアにしてくれる疑問があった。


 ――彼女はなんでこうも冷静なんだ?

 ――なんで警察もわたし達も知らないようなことを知っている? 


 服装や遺留品などの細かい情報は警察と晴夏の家族しか知らないはず。なのに、どうして葵ヶ咲さんが知っている?


 死亡推定時刻は本来、非常に大まかなものだ。技術に優れた医師でも、ここまで正確な時刻は割り出せない。なのに、どうしてそれを葵ヶ咲さんが知っている?


 まるで…………。


 まるで、


 得体のしれない恐怖が足元から背中にかけてゾワゾワっと這い上がってくる。


「南橋さんはね、自殺でも、事故死でもない。殺されたのよ」


 瞳を大きく見開くわたしに、葵ヶ咲さんがもう一度言う。わたしの中の第六感が告げる――この先を聞いてはいけないと。聞いてしまったら、もう元には戻れないと。


 それでも、わたしはゆっくりと動く葵ヶ咲さんの滑らかな口から目を離すことができなかった。


 彼女が口を開く刹那、一瞬だけ周りの音がすべて消えた気がした。


「私が、南橋晴夏を殺した犯人よ」

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