第08話 欲しかった言葉

 特に理由はない。前もって予定していたわけでもないし、本当にただの気まぐれなんだけど、帰りのバスで停留所に降りたわたしは、その足で『あがさ商店』に向かった。


 夕焼けが辺り一面を染める中、その駄菓子屋はひっそり佇んでいた。わたしの記憶が正しければあと三十分もすれば、おばあちゃんが店じまいをする頃だ。


 中に入って誰も居ない店内をぐるりと見渡す。色とりどりのお菓子と玩具。ここには子ども達の宝がつまっている。


「あっ! レカちゃん人形だ!」


 縦に積まれたラジコンの箱の上にあった着せ替え人形。女の子なら誰もが通る道である。


「懐かしいな~。わたしもお母さんに買ってもらったっけ」


 手を伸ばそうとして、手前の箱に引っかかってしまってバランスを崩した。


「わわっ! あ、あ、きゃーーーーっ!」


 ガタガタガタという音とともに、箱の城が崩れる。その音に気付いたのか奥からおばあちゃんが現れた。


「おやおや、大丈夫かい」

「いててて。あ、おばあちゃん、こんにちは」

「はぁい、こんにちは。怪我はないかい?」

「うん、大丈夫だよ。それよりごめんね、売り物の箱落としちゃった」


「心配ないよ。それよりあめちゃんに怪我がなくてよかったねぇ」

「でも、箱汚しちゃった。高いんでしょ、このラジコンとか」

「いっひっひっひ。もう古いからね、どうせ売れないよ。それに、たま~~~に物好きな大人が買いに来てくれるのさ」


「そうなの? 箱が汚れてても買ってくれるの?」

「いっひっひっひ。見てくれの古い方が味が出るんだと。世の中、どういうモノに価値が生まれて、どういう人に需要があるか、わからないもんだねぇ」


 おばあちゃんはまたイタズラな笑みを浮かべた。


「あめちゃんは優しいからねぇ。本来心配する必要のないことまで心配しちゃうのさ」

「だって……」


 わたしはブツブツ言いながら落とした箱を元の位置に戻した。


「悪いことじゃないんよ。優しいのは、あめちゃんの良い所だよぉ」


 老眼鏡の奥にある豆粒みたいな目でわたしを見る。昔と変わらない優しい瞳だ。


「今のままのあめちゃんでいいんだよ。でもね、時々でいいから、雨愛ちゃんのやりたいこと、本当の気持ちをお友達に話してみてもいいかもねぇ」


「やりたいこと……、わたしの本当の気持ち……」


 わたしは右手を自分の胸に当ててみた。


「そぉだよ。あめちゃんはとても謙虚な子。それはすごく素敵なことさぁ。みんなが真似できることじゃないよ。でもね、あめちゃんは気にしなくてもいいことまで心配になっちゃう。他の子の目を気にしちゃって、遠慮しちゃうこともあるでしょ?」


 案外、長所と短所は同じなのかもしれない。おばあちゃんの話を聞いてそう思った。人生の大先輩からの達観たっかんした台詞はわたしの胸にストンと落ちた。


 ここ最近の事情も、今のわたしの沈んだ気持ちも、おばあちゃんには話してない。それなのに、おばあちゃんは今一番ほしい台詞、必要な考え方を与えてくれる。


 無意識なのか、わたしの様子から察したのかは分からない。けれど、どちらにしても……、


「敵わないな……おばあちゃんには」

「ん? なにがだい?」

「ううん。なんでもない」


 心に浸透した温かい波は、ここ数日忘れていた心地良さ。それを思い出させてくれた。


「ありがとう、おばあちゃん。なんか元気出た。もうちょっと自分に積極的になってみる」

「それがええ。こんな老いぼれでよければ、いつでも相談すりゃいいんさ」

「うん。ありがとう」


 少しだけ気力が湧いた。思えば、おばあちゃんは昔から側で見守ってくれていた。子どもの時は気付かなかったけど、わたしはいつもおばあちゃんに助けてもらっていたんだ。


「そういえば、今日ははるちゃんと一緒じゃないんかい?」

「……うん。晴夏は、……遠くにいっちゃって」


「旅行かえ? 夏休みだもんねぇ」

「うん……」


 どうやらおばあちゃんは晴夏の一件をまだ知らないらしい。教えるべきか悩んだけど、事情を知ったおばあちゃんはきっと悲しむ。


 ここに遊びに来る子ども達にとって、おばあちゃんが自分の祖母のように感じるのならば、おばあちゃんにとっても、子ども達一人ひとりは本当の孫のような存在。


 そんな「家族」の不幸を知ってしまったら、おばあちゃんはきっと悲しむ。わたしの口から事態を伝えて、おばあちゃんの悲しむ顔は見たくない。


 いつかはおばあちゃんの耳にも届くだろう。それは今である必要はないし、伝える人間がわたしである必要もない。


 自然とおばあちゃんの耳に届くのを待つべきだ。だから、わたしは喉まで出かかった言葉を黙殺した。


「あめちゃんはどっか遊びに行かないんかえ?」

「今日は中心街のショッピングセンターに行って来たよ。それに今もこうして駄菓子屋さんに来てるし」


「いっひっひっひ。若い女の子がしょっちゅう、こんな何もない所にくるのも感心しないねぇ」

「わたしはこういう何も無い場所好きだよ」


「いっひっひっひ。自分で言うのは良いけど、人からって言われるのはすこーし傷つくよぉ」


「ご、ごめん、おばあちゃん。そんなつもりで言ったんじゃ……安心できる場所って意味で――」

「いっひっひっひ。分かってるよ、冗談だよ。あめちゃんは本当に優しい子だねぇ」


 もうっ! と頬をふくらますわたしを見て、おばあちゃんがまた邪悪な笑い方をする。そんな様子を見て思わずクスっと笑みが零れ、声を伴ってお腹の底から笑った。


 なんだか久しぶりに笑った気がした。笑顔ってこんなにも心の温度を上げてくれるんだなと思った。


 心の中で感謝して、そして謝罪する。


 ありがとう、おばあちゃん。引っ込み思案なわたしに勇気をくれて。

 ごめんね、おばあちゃん。大事なことを秘密にして。



 一階へ下りるとお父さんは新聞を読みながらコーヒーを口に運んでいた。お母さんは趣味の手芸に勤しんでいる。休日の朝のまったりした空気だ。


「おはよ」

「雨愛ちゃん、おはよう」

「おはよう、雨愛」


 挨拶をしていつも通り素通りすると思っていたのか、わたしがテーブルについて父と対面するような形になったので、お父さんは少しだけ驚いた表情をした。


「あのね、お父さん、お母さん」と、一拍置いてから、


「ごめんなさい」


 その一言で、わたしの言わんとしていることが伝わったのだろう。お父さんとお母さんはお互いに一度視線を交わすと改めてわたしの方へと向き直った。


「雨愛。おまえが謝ることじゃないんだよ。その、お父さんたちも悪かった。ごめんな」

「もっと雨愛ちゃんの気持ちを考えるべきだったわ。辛いのは雨愛ちゃんだって、わかっていたのに」

「大丈夫だよ。それに、一番辛いのは晴夏と晴夏の家族だから……」

「雨愛ちゃん……」


 お母さんが切なそうな声を漏らすのを見て、話題を変えるように明るい声で言った。


「ねっ、お父さんのお盆休みっていつから?」

「え? ああ、いつも通りだよ。八月の中旬に土日と合わせて一週間だ」

「えへへ。じゃあいっぱい遊べるね。旅行でも行く?」

「今からだと遠出は予約が埋まってるかもしれないなぁ。近場ならなんとかなるんじゃないか。でも疲れるぞ?」

「それも夏の思い出でしょ?」


 三人はニカッと笑った。久しぶりに咲いた家族の笑顔。それが仲直りの合図になった。


「わたしね、晴夏のお墓参りに行ってこようと思うの。そして、ちゃんと『お別れ』を言ってこようと思う」

「雨愛……」

「それにほら、頻繁に会いに行くって晴夏のお父さんとも約束したしね」

「うん。晴夏ちゃんもきっと喜ぶわ」


 支度を済ませると、目的地に向けて家を出た。おばあちゃんから温かい言葉をもらって、両親とも仲直りした。


 鉛のように重かった体に羽が生えたようだった。

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