第07話 一人だけの夏休み
暦はすでに七月最終週へと移ろいでいた。
午前十時頃になってようやく起床する。いつもよりたくさん寝たはずなのに体がだるい。
遅めの朝食を取りながらテレビをながめる。ニュースでは、成績不振で有名クラブの監督が辞任したこと、夏期商戦を控えた経営陣のインタビュー、国立大学の協同チームが新たな医薬品の試作に成功したこと、などをハイライトしている。
世の中は日々動いている。わたしには遠い世界のニュースに感じられることでも、社会はしっかりと生きている。
テレビがCMに入ったところで時計を見上げると午前十一時。お父さんは仕事で、お母さんは町内会の会合があるとの書置きがテーブルにあった。誰も居ない家を後にして、今日も図書室へ直行する。
晴夏の葬儀から数日が経っていた。あの日、両親に怒鳴ってしまってから顔を合わせづらくなった。わたしには反抗期らしい反抗期もなく、従順で、もの静かに生きてきた。両親の愛情を一身に受け、わたしもそれに裏切らない成長を見せた。
そんなわたしがあんな感情的な一面を見せたので、お父さんもお母さんも驚いたのだろう。加えて、親友を失った心のケアを考えて、今はそっとしておこうという結論に至ったらしい。
わたしはわたしで家は居心地が良くないので、日中は図書館にこもる。だいたいは学校の図書室だが、市の図書館を利用する日もある。
今日もそうやって閉館ギリギリまで粘ってから帰宅した。
「雨愛ちゃん、おかえりなさい」
「……ただいま」
家計簿をつけていたお母さんに続いて、リビングでくつろいでいたお父さんも「おかえり」と言ってくる。わたしはそれに素っ気ない返事をする。
別に喧嘩しているわけじゃないけど、どこか
お風呂から上がると、二人ともすでに寝室に戻ったらしい。わたしは、「温めてから食べてね」というメモ用紙と上に被せてあるサランラップをよけて、お母さんが作ってくれた夕食のおかずをレンジに入れた。
今日はわたしの好物のエビフライだ。温めなおした料理を自室へ持っていく。この前まで家族三人で食卓を囲んでいたのに、今は別々で食事をとっている。
ご飯を楽しむというよりも、エネルギー補給のために機械的に食べ物を腹に収めている感覚に近い。大好きなエビフライもどこか無機質な味に感じられた。
「ふぁ……。どうしよう。ちょっと眠いかも」
お腹が満たされると甘い睡魔に視界が霞む。
いつもなら、夜が深くなるまで読書に
今日しなければならない事なんて無い。明日しなければならない事も無い。好きな時に好きなことをやって、好きな時に眠ればいい。誰にも迷惑はかけないのだから。
思っていたよりも疲れが溜まっていたらしく、眠りに落ちるまで時間はかからなかった。
*
『業者清掃のため、終日閉館』
「え~。先に言ってよ、もう」
閉館の案内に肩を落とす。どうやら今日は学校の図書館は使えないらしい。仕方ない、市民図書館に行こう。
『書庫整理のため、本日定休日』
「マジか……使えないな~」
普段から利用させてもらっているのに、我ながらこの言い草である。しかし、館内の開館カレンダーを事前にチェックしていればよかったわけで、図書館に通うのが習慣化していているのにそれを怠っていた自分が悪いのである。
「ん~どうしようかなぁ」
考えあぐねた結果、バスを利用して中心街へ。
チェーンのコーヒーショップに入り、季節限定のタピオカマンゴーを注文。文庫本を取り出して時間を潰すことにした。
しばらくして。
コーヒーショップを出ると時刻はまだ午後二時を少し回った頃。その気になればいくらでも読書に熱中できるのだが、お客さんが増えてきたので遠慮して退店した。
「次はどこ行こうかな……」
欲しいものがあるわけじゃないし、お金も
訪れたのは若者向けの複合型ショッピング施設で、衣料品店、レストラン、美容室など、色々な専門店が入っている。真夏の外界とは対照的に、中はクーラーが効いてて少し寒い。
しばらく歩いたところで、レディース向けの小物を扱っているアクセサリーショップ前で足を止めた。店前のショーケースに飾られた指輪に目がいったのだ。
指輪というと銀のイメージがあったが、これは南国の海のような青色。勢いよく海に潜って目を開けると、そこにはどこまでも続く青い世界が広がっている。その光景を小さな指輪にぎゅっと詰め込んだような色合いだ。
「いかがですか、こちら」
ショーケースを見ていたら若い店員さんに声を掛けられた。気品を漂わせる優しそうな女性の店員だ。
「指輪をお探しですか?」
「あ、いえ、その、すいません。見ていただけで……」
店員さんはにっこりして、大丈夫ですよと言ってくれた。人見知りのわたしはこういう積極的に接客をしてくるお店が苦手だ。思えばこのショッピングセンターはそういうお店の
でも、目の前の店員さんは優しそうな人で助かった。もちろん、これも接客の一環で、この柔和さも洗練された営業技術の
「最近はプレゼントで指輪を贈られる方も多いんですよ」
「それってやっぱり、プロポーズとかですか?」
「もちろん、そういうお客様もたくさんいらっしゃいますが、ご自分用に買われたり、お友達の誕生日にプレゼントされたり、記念日にご家族に贈られる方もいらっしゃるんですよ」
「へ~そうなんですね。でも、ごめんさない。今はちょっと、お金がなくて」
確かに結婚指輪みたいにゼロの桁を数えなくてはいけないほどの価格じゃない。それでも、わたしの一年間のお小遣いをかき集めて、ようやく手が届くくらいの値段だ。
「ふふっ、大丈夫ですよ。もちろん、ご予算もあると思いますので。どうぞ、いつでも見に来てくださいね」
「あ、ありがとうございます!」
その後もお店の中を見て回った。指輪以外にもたくさんの可愛いアクセサリーに溢れていて、まるでそのお店が一つの宝石箱のようだった。一つ一つのアクセサリーに目を奪われながらも、さっきの指輪のことが頭から離れなかった。
わたしはたぶん、あの指輪を欲しいと思っている。でも買ってどうするの? と心の中の「わたし」が問う。
自分用に買うの? それとも知り合いにプレゼント? 贈るなら、お母さん? お父さん? それとも……。
ふと思い浮かんだ可能性を消す。それは、想ってはいけない過去であり、願ってはいけない未来だから。
でも……。仮に、……仮にでいいから、わたしは考えてしまう。
もしも、その人へ指輪を贈れたらどんなに幸せだろう、って。
もしも、その人からあの指輪をもらえたら、どんなに嬉しいだろう、って。
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