第06話 繭の蝶
夏休みということもあり、
お葬式は親族とクラスメートに囲まれてひっそりと行われた。
「
晴夏のお母さんとお父さんが丁寧にお辞儀をする。わたしもそれに倣って、
「いえ、こちらこそ突然のことで……。あの、この度は心よりお悔やみ申し上げます」と一言。
言葉遣いは間違っていないだろうか。若干の不安を
晴夏のお父さんの
明葉さんはお菓子作りが趣味で、よく手作りのマドレーヌをご馳走してくれたし、夕渡さんは晴夏と同じくらいわたしの学校生活を気にかけてくれた。
昔から変わらない温和な笑みに、少しやつれた陰が見て取れる。悲しみをおくびにも出さず、二人とも
(ふたりとも大人だ……)
大人になった時、そして同じような立場に立った時、わたしは二人のように振る舞えるだろうか。
告別式になると、各々がそれぞれの想いで花を添えていく。故人を目の前にして、人は何を思うのだろう。
その時になれば自然と気持ちが湧き上がると思っていたが、本人と対面してもわたしの心は無のままだった。
(久しぶりだね……晴夏)
白い装束に身を包んだ少女。小さな窓から見える真っ白な顔からは、もう生命の力は感じられない。なのに、生前以上の美しさと、儚さを覚えてしまう。
まるで白雪姫だ。キスをすれば深い眠りから覚め、またいつもの笑顔を咲かせてくれそうな、そんな眠り顔。
(何日ぶりだろう、晴夏の顔見るの)
再会までの数日間は、永遠のように長く感じられた。
*
式はつつがなく終わり、わたし達は火葬場に向かった。
「雨愛ちゃんさえよければなんだけど、もし迷惑でなかったら、最期のお見送りしてもらえないかな」と事前に夕渡さんから話されていた。
「わたしなんかがいいのでしょうか?」
「もちろんよ。晴夏も喜ぶわ。晴夏の一番のお友達なんですもの。私達だって嬉しいわ。むしろ、お願いするこちらの方が心苦しいのだけれど……」明葉さんが言った。
「……わたしは大丈夫です。わたしでよろしければお手伝いさせてください」
気持ちの整理もつかないまま、そう返事をした。
火葬炉で晴夏の体が焼かれている間、控え室で待っていたわたしは一体どんな気持ちだったのだろう。きっと、この世のあらゆる感情と言葉を引用しても、その時の「わたし」を表すのは不可能だろう。
それでも、あえてひとつ選ぶなら「虚無」だ。
絵の具は異なる色を重ねていくと黒に近づく。わたしの心と似ている。限りなく黒に近い塗り重ねられた色彩。それは、鮮やかさとはかけ離れた、虚しさの色。
拾骨室の中は独特の匂いが漂っていた。晴夏の親族と一緒に遺骨を丁寧に収めていく。
つい先日まで元気に動いていた命の塊が、今はこんな無機質な灰と化している。
てっきり収骨の際にはボロボロに泣くと思っていたのに、ここまできて涙の一滴も流さない自分が不思議だった。
生々しい光景なのに嫌な気分にもならなかった。親友の遺骨だからだろうか。それとも、最期の見送りを許可してもらえたことへの誇りや感慨みたいなものが内心で生まれているのか。
自分の気持ちにすら答えを見いだせないまま、ひとつずつ、ゆっくりと、丁寧に、遺骨を紡いだ。
*
「これからは、ここが晴夏のお家になるから。雨愛ちゃんも、いつでも来てね。晴夏も、……きっと喜ぶから」
お墓に遺骨を収めると、今まで平静を装ってきた夕渡さんの言葉が震えた。明葉さんも右手を口に当てて静かな涙を流した。
愛する娘を失った悲しみなんて、当事者しか分からない。わたしはまだ愛を知らない。我が子への慈しみも知らなければ、育てる苦労も知らない。手塩にかけた宝物が、ある日ぷつりと消える。そんな心中など察することはできない。
わたしと晴夏のご両親。晴夏を失った現実は変わらないのに、その間にはとても大きく、共有しきれない壁があるように感じた。
「ありがとうございます。ぜひ近いうちに、……ううん、これから何度も会いにきます」
頭を下げるわたしに、ふたりも「ありがとう」と言って、その日は解散となった。長い一日になると思っていたけれど、終わってみるとあっという間だった。
後部座席からすっかり暗くなった夜空を見つめつつ、お父さんが運転する車にゆられて家路についた。
*
「雨愛ちゃん、ちゃんと塩をまかないと」
「必要ないよ」
「でも、ほら、こういうのは穢れを払うから。ちゃんとしましょ、ね?」
玄関に着いて塩をまこうとしてくる母に得体の知れない憤りを覚えた。
「穢れ……? 穢れってなによ! まるで晴夏が悪いものみたいに言わないで!」
「雨愛。穢れっていうのはな、晴夏ちゃんのことじゃなくて、邪気を払うためなんだ。だから決して悪いものじゃないんだよ」
お父さんが横からなだめるように仲裁してくるが、その時のわたしには逆効果だった。
父の言う通り、お清めの塩は故人を不浄のものとして扱うものではない。そんなの分かってる。でも、心が拒絶した。
思えば今日のお葬式での作法も同じだ。大人から、「こうするのもの」と教えられた通りに従う。
故人を弔う作法。それは極めて洗練された儀式的なもので、わたしの意思が介在する余地を奪っている様に感じられたのだ。
「晴夏は、いつも一緒だった。いつも……」
「雨愛ちゃん……」
唇をぎゅっと噛んで俯くわたしを心配そうに見つめる両親。
「――っ!」
「雨愛!」
お父さんの呼び止めを無視して走り出す。乱雑に扉を開け、靴を脱ぎ捨てる。そのまま自分の部屋に直行し、明かりもつけずにベッドに入った。
「わたしって子どもだ……」
矛先を失った怒りを、たまたま目の前にいた無実の両親に向け、成長していない自分に嫌悪する。
複雑に絡んだ感情の糸は、
どうやら夢を見ているらしい。わたしは蝶で、空を飛んでいる。前方にも一匹の蝶が飛んでいて、おそらくそれは仲間なのだ。わたしはその仲間を追っている。しかし、飛んでも、飛んでも、追いつけない。
どんなにスピードを上げても、その距離は縮まらない。
向かい風が強い? それは前方の蝶も条件は同じはず。
磁石が反発し合うような見えない力が阻害している? じゃあ、それは一体なに?
前に進めず、手が届かない息苦しさを覚えて飛ぶのを諦めた瞬間、わたしの意識は現実へと戻っていった。羽が焼かれて、片翼を失った蝶が、地上へ墜ちていくように。
「――――っ!? はぁはぁ、はぁはぁ……」
目が覚めると肩で息をしていた。心臓がドクンドクンと波打ち、熱帯夜ということもあり全身が汗でびっしょりだ。
「はぁ、はぁ……夢?」
そう、夢を見ていた気がする。どんな夢だったっけ。脳の左端に意識を集中させようとするけど、あと一歩の所で夢の記憶には届かない。
「……ダメだ」
時間が経って、頭が冴えてくるほどに夢の残滓は消えていく。十秒前のことですらもう記憶の彼方。
時計を確認するとちょうど日付が変わった頃。カーテンを開けると、ほどよく欠けた綺麗な月が顔をのぞかせる。
月の輝きを際立たせる、よく晴れた夏の夜だった。
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