第04話 帰らない夏

 校長先生のありがたーいお話を聞き、担任から通知表をもらって放課後。夏休みが開幕したわたしは晴夏はるかの姿を探した。


 晴夏とは別々のクラスだ。昨日は彼女の方から迎えにきてくれたので、今日はわたしが彼女のクラスに向かうことにした。


 教室を覗くと晴夏の姿はなかった。すれ違い……なわけはない。同じ学年で廊下は一直線なのだから。終業式直後に部活も考えにくいし。


 カバンからスマホを取り出してLIMEのアイコンをタップしようとしたところで、


「あのぉ……」


 突然話しかけられてドキッとした。


「うちのクラスに何か用事かな?」

「え、あ、はいッ。ちょっと、友達を探してて……」


 案の定、人見知りモード発動。晴夏と一緒じゃないときの自分なんてこんなものだ。


「南橋さんなら、今日はお休みだよ。風邪みたい」

「あっ、そうなんですね。ありがとうございます」


 クラスメートの女の子はとても優しくて、初対面のわたしにも親切に教えてくれた。


 出来れば今日も一緒に遊びたいと思っていたけど、風邪なら仕方ない。学校に残る意味がなくなったわたしはそのまま昇降口に向かった。


 学校を出る前に改めてLIMEを起動させる。


〈風邪、大丈夫?〉


 続けてスタンプも送ったが、返事はなかった。もともと晴夏はそこまで返信が早い方ではない。いろいろな『用事』があるときは少し遅れてから、「遅れてごめんねー」という趣旨のスタンプから会話がスタートする。


「昨日はあんなに元気そうだったのになぁ」


 よりによって、一学期の終業式という最も気分が晴れる日に風邪とは。親友ながら不憫に思う。


 昇降口を出ると夏の暑さが照りつけた。数メートル先の視界が蜃気楼しんきろうのように歪む道を歩き出した。


 結局、その日は夜まで待っても晴夏からの既読や返事がくることはなかった。



 スマホを時折ちらちらと確認しながら夏休みの課題に取り組む。ちなみにわたしは課題を七月中に全て終わらせて、八月を目いっぱい謳歌おうかするタイプだ。


 息抜きにリビングでテレビをだらりと見た。どろどろの愛憎劇の昼ドラに、まともにルールを知らない野球。息抜きになったか不明だが、暇つぶしにはなった。


 CMの合間にスマホをチェック。晴夏からの返事はまだない。通知音がないから返信がきてないことは明白なんだけど、ついついスマホを手に取ってしまう。


「晴夏、大丈夫かなぁ……」


 体調を心配しながらも、一緒に遊びに行けないことを残念がっているのは少し不謹慎だろうか。まずは元気になってもらうのが一番なのだから。


 またLIMEしようとも思ったけど、昨日の返事がきていない手前、厚かましいのではと遠慮した。それに、わたしの想像よりも重症で、ずっと寝込んでいるかもしれない。


 学校がある日は一日が長く感じるのに、休みだとこんなに夜が訪れるのが早い。


 寝る前に窓を開けると、涼しい風が部屋の中に吹いた。見上げると群青色の夜空に明るい満月が浮かんでいる。


 月と目が合った気がした。夏の夜に目を細めつつ、そっとカーテンを閉じた。



 夏休み二日目。その日は朝から気温が上がり、立っているだけで意識が持っていかれるような暑さだった。午後からは一転して、激しい雨となった。


 終日晴れという天気予報に完全に裏切られたわたしは、カバンで頭を守りがら家に向かって走っていた。服はびしょ濡れで、体に張り付いて肌が透けて見える。雨は靴の中まで浸水していて、地面を蹴る度にちゃぽんちゃぽんと音を立てる。


「まあまあ、雨愛あめちゃん、大変だったわね~。さ、お風呂沸かしてあるから早く入りなさい」

「うん、ありがとう。お母さん」


 家に着くと、わたしの帰りを待っていた母がお湯を溜めていてくれた。


 服の端を両手でつかんでぎゅっと握ると、ぞうきんを絞ったような水が床に滴り落ちる。カバンも撥水加工はされているけど完全な防水ではないので、きっと中の本やノートもぐちゃぐちゃだろう。


 脱衣所で服を脱いでいると電話が鳴った。母が出るとすぐに声のトーンが一段階高くなる。どうやら知り合いからの電話のようだ。


「ふぅ……」


 シャワーで体を流して湯船に浸かると、やっと一息つけた。冷えた体の芯がじんわり温まる。窓の外では叩きつけるような雨の音がいっそう強くなる。反対に、浴室内では結露した雫が滴って、ちゃぽんと心地良い音が反響する。


 お風呂から上がってドライヤーを手にする。ショートヘアーだから髪が乾くのが早くて楽だ。部屋着のパーカーに袖を通して脱衣所を出ると、お母さんはまだリビングで電話していた。


 しかし、お風呂に入る前の賑やかな感じはなく、どこか真剣な会話をしているようだ。会話というよりも母が「ええ、ええ」と一方的に相槌を打ちながら聞いている。


 大人同士の大事な話かもしれない。邪魔をしてはいけないと思い、自分の部屋に行くことにした。


 階段を上る前に、キッチンのケトルでお湯を沸かしてココアを作った。粉末タイプのインスタントココアで、お湯に溶くだけで出来る。お湯が沸くのを待っている間、電話中のお母さんと目が合った。


「?」


 わたしに何かを訴えかけるような目。すぐさま目線を手元のテーブルへと戻し、再び「ええ、ええ」と相槌を打つのであった。


 気のせいかもしれない。特に気にも留めず自室へ向かった。


 ベッドに腰かけてテレビをつけると今日の豪雨の特集をやっていた。都内の駅構内は足首くらいまで水が浸水していて、電車も遅延しているらしい。レインコートを羽織ったリポーターが必死に中継している。


「大変だねぇ……」


 凪ヶ丘だけでなく日本全国で大雨らしい。夏に似つかわしくない温かいココアを飲みながらテレビをぼーっと見る。チャンネルを変えても、どこもかしこも豪雨の特集で持ち切りだ。


 ココアを飲み終えて、うとうとしかけていた意識を覚醒させたのはドアのノック音だった。


「雨愛ちゃん」

「どうしたの、お母さん」


 ようやく電話を終えたお母さんが立っていた。わたしが帰宅してお風呂に入るときから話し込んでいたので、随分な長電話だ。何の話だったのだろう。


 部屋の中に招いても、お母さんは一歩も動かず、ただそこに佇んでいる。


 お母さんの顔は、まるで何ヶ月も海上を彷徨さまよって命さながら帰還してきたかのような、やつれた表情。わたしを見ているはずなのに、瞳は忙しなく動いていて、焦点の拠り所を探している。


 お母さんをこんなにも憔悴させた元凶――それは、あの電話に他ならない。そして、その内容は決して良い知らせではないことを、目の前の表情が雄弁に物語っている。


「晴夏ちゃんのお父さんから、だったんだけど」

「晴夏のお父さん?」


 わたしと晴夏の両親はとても仲がいい。家族ぐるみの付き合いだ。親たちもよく電話で話をするが、会話を終えた後は決まって心の栄養を補充したような晴れやかな顔になる。


 だから――さっきの話し相手は本当に晴夏のお父さんだったのか、と疑念を抱いてしまう。


「雨愛ちゃん、落ち着いて聞いてね」


 それは、わたしに向けた言葉。同時に、自分自身にも言い聞かせるような口調。渇いた唾を飲み込むと、青銅のように重々しい口を開けてお母さんは言った。


「晴夏ちゃんがね、……亡くなったそうよ」

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