第02話 少女だった頃に

「あがさ商店に行こうよ!」


 向かいのテーブルに座っていた晴夏はるかが突然言い出した。展覧会の余韻をそのままに、今は喫茶店で休憩中だ。


「あがさ商店って、あの駄菓子屋?」

「そう! ねっ、いいでしょ?」


 駄菓子屋『あがさ商店』――わたしと晴夏が小さい頃によく遊びに行ってたお店だ。多分、中学に上がってから……いや、小学校の高学年になった頃からパタリと行かなくなり、それっきり全く訪れていない。


 それなのに、夏の天気のように気まぐれな性格の晴夏は、突然行こうと言い出した。


「まぁ、いいけど」


 こういう時の晴夏は一度言い出したら曲げない。それに時間ならたっぷりある。勢いに折れて、わたし達は駄菓子屋に向かうことにした。


 中心街からバスに乗って来た道を戻っていく。バス停を降りて五分ほど歩いた所に公園があって、道路を挟んだ向かい側に目的のお店はあった。


「あっ! あった、あった! まだあった! 雨愛あめ、あったよ!」


 強い風が吹けば崩れてしまいそうな木造の建物。屋根には『あがさ商店』と書かれた錆びついた看板。


「懐かしいな~。おばあちゃんまだ元気かな~」

「あたしは、二代目へバトンタッチに一票!」

「ちょっと晴夏、少し不謹慎じゃない?」

「うそ、うそ、冗談だって」


 ペロッと舌を出す晴夏を横目に引き戸を開ける。最初はガタッガタッとつっかえていたけど、力任せに引いたら鈍い音ともに開いた。


 あぁ……この匂い、この匂いだ。店内の懐かしい匂いをかいだ瞬間、わたしの記憶は幼き少女の頃へとタイムリープするようだった。


 あの頃のままだ。店内のレイアウトも、駄菓子の種類も、昭和を彷彿ほうふつさせる壁のポスターも。すべてがあの頃のままだった。まるで、世界の時間の流れから、ここだけが取り残されたような。


「見て見て、雨愛!」


 晴夏が笛のような玩具を見せてくる。


「覚えてる? これピーッって吹くと紙が伸びるやつ」

「あったな~そんなの。夏祭りの屋台とかでも売られてたっけ」

「小さい頃さ、あたしがこれ吹いたら雨愛びっくりして泣いちゃったんだよ」

「えー泣いてないよー」

「雨愛はまだ小さかったから覚えてないだけです~」

「晴夏だって同い年でしょうが!」

「いいのよ、雨愛ちゃん、ムキにならなくて。さっ、雨愛ちゃんおいで。ママのお胸でバブバブしましょうね~」

「は~~~る~~~か~~~! いい加減にしなさいっ!」


 などとじゃれ合っていると、違和感に気付く。出入り口の戸が閉まっている。昭和の家だ(もしかしたら大正かもしれないけど)もちろん自動ドアじゃない。


 わたしは閉めてない。晴夏も閉めてないのはわたしが確認している。じゃあ、誰が閉めたの?


 不意に後ろから肩にポンと手が置かれた。もちろんわたしのじゃない。目の前にいる晴夏も当然違う。じゃあ……これは誰の手?


「あ、あ、あ、雨愛……」


 晴夏がガタガタと震えながらわたしの後方を指さす。


 ……見たくない。


 だって、絶対に「霊的な」オチじゃん、この流れ。それでも振り向かないと何も始まらないし、何も終われない。わたしは諦め半分、恐さ半分で後ろを振り向いた。


「ばあ!!!!!」

「きゃああああああああああああ」


 ぺチン!!


 甲高い声と心地いい叩打音が店内に響く。


「ひぃぃ。なになに、なんなのぉ」


 後ろでモゾモゾ動いていた「それ」が姿を現す。


「あいた~。痛いよぉ、あめちゃん」

「お、おばあちゃん!?」


 緩やかに曲がった猫背に、ブラウンのカーディガン。後ろで結い上げられた白髪。丸眼鏡の奥のつぶらな瞳。


 彼女が『あがさ商店』の店主である、おばあちゃんだ。


 あの頃よりしわが増えたかな、ほうれい線がくっきりと刻まれている。


 そして、柔らかい頬には真っ赤な手形。さっきわたしが引っ叩いた跡だ。


「ご、ごめんさい! おばあちゃん!」

「いいのよ、いいのよ。イタズラしたのはこっちなんだから」


 と、おばあちゃんは目線をとばした。その先に膝を叩いて大笑いしている悪友の姿があった。


「あめちゃんに声かけようと近づいたら、はるちゃんと目が合ってね。おどかしてって合図してくるのよ」


「でも、おばあちゃん、こんなに真っ赤に腫れて。本当にごめんさない」

「だからいいのよ、あめちゃん。それに、今は若い女の子からビンタされるのがご褒美なんでしょぉ?」

「おばあちゃん、そういうのは覚えなくていいから」


 申し訳なさそうにするわたしを、おばあちゃんがなだめてくれる。なんだか懐かしいな、この感じ。


「それにしても久しぶりだねぇ。あめちゃん、はるちゃん」

「そうだ! それ。さっきも、わたし達の名前……」

「ん? どうかしたかい。あめちゃん」

「……ううん。なんでもない」


 心がじわっと温かくなる。長い間訪れてなかったし、身長だって伸びた。それに、他にもたくさんの子ども達が遊びに来ていたはず。なのに、わたし達のことをちゃんと覚えていてくれた。それがなんだかとても嬉しかった。


「それで、今日は何用だい?」と優しい口調で尋ねるおばあちゃんに、

「うん、なんとなく」と晴夏。


 それからは学校の話で盛り上がった。駄菓子屋を卒業してから、わたし達がどういう風に過ごしていたかという話だ。


 子どもは急に大きくなる。成長したら今まで好きだったものや、夢中になっていたものを卒業してしまう。


 わたし達もふとここに足を運ばなくなった。わたし達だけじゃない、きっと他の子もそうだ。新しい子が遊びにくるようになっては、通い慣れた子はだんだん来なくなる。


 迎えては見送って、迎えては見送っての繰り返し。おばあちゃんはどんな思いだったんだろう。ある日突然、子どもが好きな物に関心を示さなくなる瞬間を見守る大人たちは、どんな思いなんだろう。


 それでもおばあちゃんは、「うん、うん」と優しい相槌あいづちを打ちながら、わたし達の話を聞いてくれた。


「雨愛、何か食べない?」

「お菓子には困らないからね、うちは。いっひっひっひ」とおばあちゃんがここぞとばかりに駄菓子を勧めてくる。

「ん~何にしようかな~。あっ、これ!」


 手にしたのはスマホのホーム画面みたいに並んだピンク色のグミ(?)で、爪楊枝で食べる駄菓子。


「これ三十円したんだよね。昔は買えなかったな~」

「雨愛はいつも十円とか二十円のお菓子買ってたもんね」と晴夏が横からニヤニヤしてくる。

「いっひっひっひ。子どもにとっての十円の壁は富士山よりも高いからねぇ」

「ん~今日は別のものが食べたい気分かも」

「それならアイスキャンデーはどうだい? 暑いからねぇ」


 おばあちゃんが店の外に案内してくれる。軒先には昔ながらのアイスケースがあって、剥がれたロゴがレトロな味を出している。


「これなんてどうだい。アイスの棒が二本ついてて、真ん中でパキッと割れるんさ」

「雨愛、これにしよ! 何味にしようかな~」


 ソーダ味を選んでおばあちゃんにお金を渡して、アイスを割る。真ん中できれいに割れなかったけど、晴夏は大きい方のアイスをわたしにくれた。


 それからまた三人で雑談。昔を懐かしんで、近況を報告して……。時間がいくらあっても足りなかった。壁掛けの時計を見る頃には、閉店時間をとっくに過ぎていた。


 おばあちゃんは、わたし達が駄菓子屋に来なくなった理由も訊かず、ただただ懐かしい顔ぶれがもう一度会いに来てくれたことを心から喜んでくれた。


「今日は楽しかったよ。またおいで、あめちゃん、はるちゃん」

「おばあちゃんも元気でね! 長生きしてよ!」

「あれぇ晴夏? さっきと言ってること違くなぁい? 二代目にバトンタ――」

「さあ!!! 行こう雨愛! 晩ご飯が私たちを待ってるよ!」


 名残惜しさを覚えつつ、思い出の地を後にした。

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