夢イストの夜明けに

礫奈ゆき

Episode 1 晴れのち雨

第01話 夢イスト

 晴夏はるかの訃報を知ったのは、夏休みに入って二日目のことだった。


 その日は朝から気温が上がり、立っているだけで意識が持っていかれるような暑さだった。


 午後からは一転して激しい雨となった。憂いも、悲しみも、すべての感情を洗い流すような、そんな雨だった。


 ――南橋晴夏みなばしはるか


 彼女を想って、墓前で手を合わせる。今一度わたしは――笹希雨愛ささきあめは思い返す。この数日間の出来事を。


 頭を整理して、気持ちを整理するために。そして、この想いを形にするために。



「雨愛、いっしょに帰ろ!」


 ホームルームが終わって帰り支度をしていると、廊下の方から明るい声がした。ドアの方を向くと晴夏が顔をちょこんとのぞかせて、こちらを見ている。目が合うとスタスタと駆け寄ってきた。


「いっしょに帰ろ、雨愛」

「うん」

「この後遊びに行こうよ!」

「いいけど……どこに行くの?」

「ふふん。実はね行ってみたいところがあるの。付き合ってくれる?」

「いいよ。明後日から夏休みだもんね」


 七月下旬。明日は皆が待ちに待った終業式。


 期末試験も終わり、あとは明日の終業式を残すのみ。だからここ最近は半日授業なのだ。行き先を話しながら二人して校舎を後にした。


 人口一万五千人ほどの小さな町――凪ヶ丘なぎがおか。自然と調和した暮らしは疲れた現代人の心を癒し、『あかり岬』に足を延ばせば美しい海岸線と、どこまでも続く青い海を一望できる。


 ――というのはきっと町おこしのために大人たちが考えた宣伝文句なのだろう。


 近年の都市開発によって中心街こそ栄えてきたが、わたし達の住む郊外には娯楽の類は何にもない。


 というわけで、二十分ほどバスに揺られて、中心街の一画にあるデパートにやってきた。ここの七階は催物会場になっていて、年中いろいろなイベントが開催される。ちなみに今は絵の展覧会をやっている。


 展覧会というと少し堅いイメージがあるかもしれないが、審査員の目に留まった作品は、年齢や実績に関わらず評価される。匿名やペンネームでの応募もできる。


 趣味で絵を描いている人にとっては自分の作品を気軽に発表できる場であり、将来絵で食べていくことを考えている人にとっては腕試しの場でもあるのだ。


「わあ~~~! 色んな絵があるんだね」


 晴夏と肩を並べて、ゆっくり画廊を歩く。テーマは自由なので、風景画から抽象画、お母さんの似顔絵を描いた園児の作品まで、幅広く展示されている。


「んふふ。でしょでしょ。あたしも勉強になるし、見てるだけでも楽しいからね」


 晴夏は美術部だ。だから頻繁にこのコンクールには足を運んでいるという。


「晴夏はさ、こういう上手な人の作品を見て勉強してるの?」

「ん~勉強というよりは、どっちかっていうと憧れや尊敬の方が強いかな~」


 晴夏は人差し指を頬にあてながら言った。


「もちろん参考になる点はいっぱいあるよ。でもさ、上手い人の真似をしようとしても、あたしはその人にはなれないからさ」


 おどけたように晴夏は笑う。


「それよりも、この人はこんなすごい絵が描けるんだ! すごいな~! あたしも頑張ろう! って感じで……勝手に尊敬して、勝手に元気をもらう場にしてるんだ」


 ネガティヴなわたしとは違って、晴夏は昔から前向きな性格だ。眩しい彼女をついつい追ってしまう。こんなに性格が反対なのに、晴夏はいつもわたしの隣にいてくれた。


 わたしの時間は晴夏そのものだった。


「晴夏も……そうだったらいいな」

「ん? なにが?」

「えっ、あっ、ごめん。なんでもない」


 顔を赤らめて手をブンブン振って否定する。ぼそっと呟いたのが晴夏に聞こえたらしい。


「ふふ、変な雨愛」


 再び出展作品を見て回る。

 しばらく歩いていると、一枚の絵に目が留まった。風景画だ。


 北欧にあるような深緑の森林。その中には、まるで空の色を盗んで、そのまま大きなコップに注ぎ込んだかのような湖。日陰に咲く一輪の向日葵が、緑と水色のコントラストに深みを与えている。


 青葉の色味からして季節は夏だろう。さっきまで雨が降っていたのか、雨の雫を吸った青葉の爽やかな香りが、こちらにまで届いてくるようだ。それらを淡い絵タッチでまとめている。


「こういうの水彩画っていうんだっけ?」

「うん、水彩絵の具を使って描くの」

「普通の絵の具とは違うの?」

「そうだよ。ぼかしとか、にじみとか、きれいな発色を出せるように成分が調整されてるんだ」

「ん~分かるような、分からないような」


 わたしは腕を組んで、首をかしげる。


「簡単に言うと、水とめっちゃ仲良しな絵の具ってこと!」

「なるほど。なんか、いいよね。人の手で大切に描かれたって感じがして」

「うん、本当だね」


 横を見ると、晴夏もどこか優しい瞳をゆらゆらさせていた。晴夏もこの水彩画に心を奪われたのかもしれない。気付けば二人して言葉と時間を忘れて見入っていた。


 この作品の魅力は何だろう? もちろん技術的に上手いのは一目瞭然。それ以上に、この絵には見ている人を虜にするような不思議な力が秘められているような気がする。


 が、わたしにはその正体が掴めず、瞬きを忘れて眺めることしかできなかった。


「雨愛はさ、この絵好き?」

「うん。素人意見だけど、なんだか温かい感じがして、すごく好きかな」

「そっか、……そっか」


 晴夏は柔らかい表情をして、まるで甘酸っぱい果実を口の中でぎゅっと噛みしめるように口角を上げる。


 作品名は、……『夢イスト』


 ゆめイスト? むイスト? なんて読むんだろう、不思議な名前だ。


「出展者は“夏暮れ”さんって人みたい。晴夏知ってる?」

「……ううん、知らないかな。たくさんの人が参加してるし、それにあたしは一介の美術部員。有名な画家の知り合いなんて、全然いないよ」


 これほどの絵を描ける人であれば著名な出展者かもしれないと思ったけど、どうやら晴夏でも知らないみたいだ。


「わたしは晴夏の絵、好きだよ」

「ふふ、ありがと」

「でも、会ってみたいね、こんな絵を描ける人。どんな人なんだろう~」

「うん、そうだね……」


 素晴らしい力作の数々は、最後までわたし達から興奮の余地を奪わなかったが、結局を超えるものはわたしの中には無かった。


 会場の各所には感想記入シートが置かれている。気になった絵の感想を記入して出入り口のポストに投函。それぞれの出展者へその感想が送られることになっている。


 きっと描いた人からすれば、もらったフィードバックは何よりものかてであり、次もがんばろうという原動力になるに違いない。


 実際、ここでの経験を活かして他の展覧会にも応募し、実力をつけていく人も数多あまただという。


 わたしはやっぱり『夢イスト』に感想を投じることにした。美術に疎いので稚拙な感想しか書けないけど、素直な感想を記した。


『また、あなたの絵が見てみたいです』と文末に添えて。

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