第6話 地に足を付けないと生きられないから


夢の矛先は何処へ向うのだろう。


彼女とキスをしている時、ふとそう思った。

生産性のない行為、もしくはセックスの前戯なのかもしれないこの行動をそれを為しえない個体がするのになんの意味があるのだろうか。悲しさがどっと胸を襲う。人に触れ合って満たされた後に奈落に落とされるこの感じは、たとえ同性愛者ではなくても感じるのではないかと私は思う。

ひたすらに不安定で、辛く、冷たく、終わりがないこの人生の中にもかかわらず終焉を突きつけられるような、この感覚。


「もう辞めよう」


彼女のえっ、という響きを脳がゆさぶる。この背筋の真ん中に冷たい水を流されたような、冷静なのに燃えたぎるような感覚。この感覚がわたしと彼女の最後のシンクロだと思う。

知ってるよ、わたしが“こっち”に呼び寄せたこと。知ってるの、無責任だってことも。

でもね、わたしと貴女では深さが違って、共感できないところにいるの。

当然ながら、「なんで」だとか「何が悪かったの」とかそんな質問が飛んでくる。

違うのよ、何も無いし、何も悪くないの、ただ、押し切れると思っていた壁の熱さにわたしが怖気付いただけなの。ごめんね、だから私の返す言葉と言えば「なにも貴女は悪くないの」だとか「私の問題なの」とか出てこなくて、そんな言葉鵜呑みにして貰えるはずがなくて、泣きながらいろんな不平不満をぶつけてきてさ。なんだか、貴女がわたしとは別の生き物に思えてしまう。どうか、どうか。






「ひどい顔をしているな」


声をかけてきたのは百合根だった。確かに今のわたしは無駄に泣き腫らし、化粧もろくにせずだ。珍しく時間通りに登校したからか会ってしまったけれど、わたしにはこいつの対応をするほど体力は余っておらず、ふい、と顔を逸らす。そう言えば、なんか始末書?みたいなのの期限もとうに過ぎていた気もする。そんなことを考える素性でもないし、こいつくらいなら丸め込めると高を括った。

ふと手が視界を遮る。「長く預かってしまった」そう言って百合根が出したのは彼女とのプリクラだった。ふっ、と反射的に笑いが出る。この頃のわたしといえば彼女と上手くやるつもりでいた。無理とどこかで分かっていながら愛みたいなソレで誤魔化せると信じていた。ずるい、本当に


「いらないこんなもの」


そう言ってその場を去ろうとすると百合根に腕をぐっと掴まれる。力が強い、いいな、男というのは成長するだけで力が強くなり、体格が良くなり、感覚や考えも、その生命のマニュアルに沿った創りへと容易くなってしまう。そうして、わたしの恋焦がれるものへの愛を容易く手に入れてしまうのだ。



「これを持たされても僕は困る!」



人は欲にまみれていると思う。いいじゃん、お前は持とうと思えばなんでも持てる人種だろ。これくらいのことくらい、背負ってくれよ。なんの疑いもなく、愛されるくせに。わたしのほしいもの全部難なく持てるくせに。そう思う自分の気持ちが正しくないことも一丁前に分かっている。目の前の百合根や、酷く傷つけた彼女は、多分わたしの不幸に巻き込みたかっただけなのだ。

大概情緒不安定なわたしの心がいきなりこの場で軋みをあげそうだ。

もう本当に最初から心と身体がバラバラのわたしは、常に限界をさ迷う様に生きていて、この、生きて夢に溢れているだろうこの手に掴まれている手首の熱がどうも不愉快でたまらない。なんだ、なんだ、誰か、助けて欲しい。この悔しいような悲しいような気持ちを誰かに吹き飛ばして欲しい。こんなことを考えられないくらいに支配して欲しい。


「離してよ!いらないって言ってるんだから、捨てたりだとか、どうにかしたら!?」

「そんなことは出来ない!これは神谷くんにとって大事なものなんじゃないのか!?」



百合根の大きな声がずんと体を竦ませる。なに、なに、なんで、わたしよりお前がこれに価値を置いてるの?やめてよ、もうこれは捨てたんだって。また、わたしの不幸に巻き込もうとして巻き込まれた人間を見てしまった。そうしたくてしたのに辛い気持ちばかり重なっていく。わたしが1番酷いのに、こんな気持ちになるのはおかしいのに。


「大事、なんかじゃないよ…」



振り絞った言葉を出した時にガタン、と遠くて渡り廊下の扉が閉じる音がした。きっと1限目に別棟に行く生徒がいたんだろう。あぁ、もう、乖離しかけた心が戻ってくる。また、学校生活が始まる。

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