第6話
小暮は一度大きく息を吸い、とめてから潜り、直子の後ろから脇の下に手を入れる。その両手を上に突っ張り、足で水を蹴り、シンクロスイミングの選手が水の中からもう一人を持ち上げるように、直子の上体を水面に出そうとした。そうやって息を吸わせてやれる。
フィンのおかげで、二人の体は、ぐん、と上へ行く。直子の踵が小暮の腹を蹴る。凶暴な動物を扱っているようだった。
ちゃんと息は吸えてるか? たっぷり吸えてるか……そう思いながら、木暮は水を蹴り続ける。太腿がだるくなり、自分の息が続かなくなる。だが、他にどうしようもない。
腹を蹴っていた直子の足が止まった。と同時に、その体が少し軽くなった。
一瞬、死んだのか、と思う。だが、小暮の両手は直子の筋肉が動くのを感じていた。小暮の息は限界だった。直子を支えたまま自分も浮き上がる。水面に出ると同時に、シュノーケルの水を吹き出し、息を吸う。三回、四回、五回……これ以上吸えないほど深く、肺が勝手に空気を吸い込む。その間も、足は休ませないようにしておく。
直子は顎をのけぞらせて咳をしていた。喉からゲップのような音が出た。唇の端に、透明なよだれがこびりついていた。
直子のシュノーケルがなかった。水中メガネもなかった。
小暮はどこかで読んだ救助法のまねをし、直子の頭を左肩に乗せて無理にでも水面上に出し、足をかきつづけた。太腿はもう感覚がない。
二人分の重さは思った以上だった。このままではダメだ。気を緩めると、すぐに沈みかける。
シュノーケルはどうした?
小暮は海面を見回して探す。あれがあれば直子は泳いで帰れる。
沈んだのか? ……いや、ああいうものは、浮かぶように出来ているはずだ。
もう一度見回すが、海面は大きくうねっているので見通しがきかない。うねりの大きさに今さらに気づいた小暮は恐くなる。
「大丈夫か?」直子の耳元で言う。
直子はまた咳をする。体が固くなり、沈みそうになるのを小暮は支える。
「あなた」直子はまるで、ベッドの中に二人でいる時のように言った。
「シュノーケルは?」と小暮。「俺のを着けろよ」
「いいの?」
こんな時に、いいも何もあるもんか。
小暮は、片手で自分のシュノーケルを外そうとするが、直子の体から手を離すのが不安で、できない。
「自分で顔出してられるか?」と小暮。
「だいじょうぶ。少しなら立ち泳ぎできる」
「じゃあ、俺のをあげるから、自分で着けられるか」
「できると思う」
「いま、手、放すぞ」
直子は自力で体を立て、立ち泳ぎを始めた。フィンを使っているので首から上がゆうゆうと水面に出た。だが、足の力が長く続かないことはわかっている。
木暮は自分の水中メガネとシュノーケルをむしり取り、直子に渡した。直子はバランスを崩して沈みそうになりながら受け取り、それを着けた。シュノーケルを噛み、溜まっていた水を吹き出した時咳き込んだが、咳がおさまると直子はすぐに周囲を見回し、海岸の方角を見つけ、小暮を見もせず、頭を沈めて泳ぎはじめた。
小暮の足は楽になった。だるさはあるが、浜には戻れる。
浜には白いパラソルが点々としている。さっきと何も変っていない。小暮は、海面に浮ぶ直子の、シュノーケルの先が立っているのを確認してから泳ぎ出す。
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