第3話
木暮は直子にならって、自宅から持って来たスキー用の日焼け止めを取り出す。キャップを開け、手に絞り出すと、中味は熱湯のように熱く、油と白い成分が分離していた。去年の残りだから仕方がない……そう思って、構わず体に塗りつける。
「首のうしろとか、ちゃんと塗っといた方がいいよ」
「ああ。……あとは?」
「あと、腿の裏っ側。意外と忘れるのよ」
木暮は、ふくらはぎの裏側にも擦り込みながら、水平線を見渡した。明るく光る海が、さっきと同じように盛り上がっていた。
会社のいやな思い出は、遥か彼方に置き去って来ていた。巨大で清潔なビル、画策を巡らす部下、弄ぶようなやり方で俺を解雇した取締役たち……そんなものは、雲の裏側の、何十キロも先に行ってしまった。鈍感になった皮膚の上の痛みのように、ぼんやりと思い出されるだけだった。
空港で、木暮は、自分が制作の指揮をとった観光ポスターが張られているのを見た。グアムまで行って撮影した写真は良く撮れていた。だが小暮は、自分の死骸を見つめるように、冷めたくそれを見た。
直子はフィンとシュノーケルを持って、波打ち際に向かう。木暮も立ち上がり、同じようにフィンとシュノーケルをぶら下げて後に従う。
もう先頭に立つ必要はない。
直子がやるのを真似してフィンをつける。足とゴムの間に入った砂粒が痛い。
「こうするの」
直子はゴムと足の間に人差し指を差し込んで隙間を作り、そのまま足を海水に浸し、じゃぶじゃぶとやる。木暮もそのとおりにすると、砂は流れ去った。
「これ、わかる?」直子がシュノーケルを掲げる。「こうするの」
直子は、シュノーケルの口ゴムを、歯をむき出して噛んでみせた。
それくらい分かっている、と思いながら、木暮はその通りにし、水中メガネもつけた。
海は青く盛り上がっていた。
二人は浅瀬を歩きはじめる。フィンをつけているので歩きずらい。ふと見ると、直子はもう体を浮かべていた。木暮もそうした。顔を伏せて浮かぶと、手の届く砂底に、馬糞のようなナマコがたくさん転がっていた。水中で前を見ると、直子の黄色いフィンの先がゆらゆら揺れている。フィンの先端が起こす泡まで見えた。木暮は時々前を見て、フィンを見失わないように進む。
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