第3話

 それから僕は、彼女と話を合わせたいがために、難しそうな本を好んで読むようになった。太宰治とか、三島由紀夫とか、彼女が好きそうな本は明らかに読みこなせなかったけれども、自己満足でもいいからと必死になって読み続けた。

 読むペースが遅すぎて、途中でそれまでのあらすじを忘れてしまうこともしばしばあった。全然彼女には追いつけないものの、「この主人公、なんでこんなこと言ってんの?」とか、「どうして彼女はこんなことしてんの?」などの僕の幼稚な質問に、彼女は楽しそうに、ひとつひとつ自分の考えをきかせてくれた。そうして僕たちは、講義が始まる前だけでなく、昼食を一緒にとったり、休み時間を共に過ごしたりする友人同士になっていったのだった。

「優ちゃんって、サークル入ってるの?」

 ある日、昼食をとっているときに、彼女は言った。

 ゴールデンウィークも終わり、昼間は半袖を着る日も増えているこの頃。彼女が着ている木綿のシャツの、薄い黄緑色は実に僕好みだ、と思いながら、答える。

「入ってないよ」

「私興味のあるサークルがあって、ついてきてほしいんだけど、いいかな」

「チアリーダー、とかじゃなければいいよ」

「もう、優ちゃんってば」

 僕らは軽く微笑み合った。

 今思えば、ものすごい量の幸せが突然やってきて、僕はまだ戸惑っていたのだと思う。受け止め方をよく知らなかったのだと思う。ただ、指をくわえて見ていることしかできなかったあの日。

 しのちゃんが興味があるというのは、文芸サークルだった。部室の前まで勢いよく歩いてきたはいいものの、彼女はドアの前で立ち往生していた。

「緊張しちゃう」

「大丈夫だよ、別に試験があるわけじゃないだろう」

 余裕を見せて、さっと前に歩み出る。ドアをノックすると、扉が開いた。

「あの、見学させてもらえますか?」

 と言うと、「どうぞ」と言って、優しそうな男の人が僕たちを迎えてくれた。しのちゃんは、僕にだけ聞こえる声で、「優ちゃん、頼りになるね。ありがとう」と言った。僕は有頂天になった。

 もう新入生勧誘の時期は少し過ぎているはずだったけど、ボックスの中には、数人の先輩達がいた。運動部のように堅苦しい雰囲気ではなさそうだ。先輩たちは、ちょっとおとなしそうな感じもするけれど、なかなか面白そうだった。

 ここでの生活にも慣れてきた頃だし、活動も大変そうではなかいし、しのちゃんが一緒だったら僕も入ろうかな、という気になりつつある。

「しのちゃん、どうする?」

「私、入部しようかと思う」

「そう。じゃあ、僕もそうするよ」

「本当? 優ちゃんがいるんだったら心強いな」

 しのちゃんはにっこり笑った。この笑顔で「校庭を十周してきて欲しいな」と言われたら、多分今すぐするのだろうなと思うくらいに、可愛い笑顔だった。

 僕らはその場で入部届けを書き、外食へ行くという先輩達について行くことにした。もちろん、飯代は先輩達のおごりだ。

 いきつけらしい定食屋に着くと、みんなカツ丼やらカツカレーやらを注文している。みかけによらず、みんながっつり食べるようだ。僕もカツ丼にして、しのちゃんは親子丼を頼んだ。おそろいのようで、うれしくなる。

「浜野君は、どんな作家の本が好きなの?」

「ええと、僕、今まで漫画はたまに読んだんですけど、小説って読んだことなかったんですよね。だから、何かお勧めがあったら教えて下さい」

「やっぱ基本は夏目漱石だよね」

 少し格好つけた感じの先輩が、得意気に言う。

「おまえ、何言ってるんだよ。いつも官能小説ばっか読んでるくせに」

 他の先輩が、すかさずつっこみを入れ、笑いが起きる。

 そうして、夕食の時間はなごやかに流れていった。

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