第8話:しおどき


 世界は、バランスだ。正の対極には必ず負がある。釣り合いが取れなければ、イコールは成り立たず、世界の秩序は崩壊する。つまり、そういうことなのだピョン。



 **


 貧乏ゆすりをする。人の声が聞きたくなって、テレビをつける。誘拐、詐欺、災害、虐待、殺人、暗いニュースばかりだ。アナウンサーが今日の曜日と、時刻を告げる。……ちっさな女子高生がいなくなってから、ちょうど3日が経過していた。


 いつも、ふざけた調子で女子高生は俺に接してしたから、俺はどうも真剣にあいつと向きあえなかった。あいつを探しに行くのは簡単だが、その理由が定まらない。寂しいから?…そうだ、寂しい。なんなら居なくなって二日目で俺はチンアナゴの抱き枕を購入した。でも、寂しいから、心配だから、という理由で、あいつを素直に探しに行くのはどうにも恥ずかしかった。男心は、知恵の輪よりも複雑なのだ。

 貧乏ゆすりをやめて、俺はようやく立ち上がる。色々考えるのは面倒だし、やめにしよう。そうだ、大量に買ったあたりめが勿体無いから、とでも言えばいい。それにしよう。



 扉を開けて、外に出た。一直線に隣の301号室に向かう。ピンポンを連打する。しばらくして、寝癖をつけた由良透流がひどく不機嫌そうな顔で出てきた。


「……朝からうるさいな。なに……?朝ごはん作るのなら、意味ないからもう辞めたんだけど」

 

 俺はそれに返事をしないで、無理矢理扉をこじ開けて部屋の中に侵入する。由良透流の制止を振り切って、大声で女子高生を呼んだ。だが、でてこない。どこかに閉じ込められているのだろうか?


「ちょっと、勝手に人の部屋入らないでよ、志位君」

「うるせえ誘拐犯。お前が拐ったんだろ?」


 いい加減返せ、と俺が言えば、由良透流はその綺麗な顔を僅かに傾けた。


「拐った、って…。あの女子高生のこと?」

「三日間俺の家に帰ってきてねえんだよ、お前以外に考えられない」


 今にも掴みかからん勢いで俺がそう詰め寄ると、由良透流は、銃を突きつけられたときのように両手を上げながら、「僕じゃないよ」と眉根を寄せて言った。


「僕なら三日あれば口くらい割らせられるし。ていうか、この二日間はサークルの合宿に行ってたんだ。だから、僕じゃない。なんなら確認とってみる?」


 部屋の隅に置いてあった片づけられていないキャリーケースが目に入る。嘘をつくにはあまりにも簡単にバレる嘘だ。俺は少しだけ冷静になって、胸ぐらを掴んでいた手を離した。


「全く酷いな。寝てたっていうのにさ」

「…悪かったよ、あいつのことしってんのお前くらいだから完全に誘拐犯だと思ってた」




 俺は、上がった息を抑えるように深くため息をついて、その場に座った。……由良透流でないとなると、本当に、一体どこへ行ったのだろう。他にあいつが行きそうなところなんて、思いつかない。イカの原産地か?いやまさかな。


 考えても考えても、女子高生については、よくわからないということしか分からなかった。結局俺があいつについて知っていることなんて、野菜嫌いであたりめが好きで、俺の鼻毛を定期的に抜いてきて、日曜のプリキュアをおっさんのように横たわりながら見て、理不尽なラップバトルを仕掛けてきて、生命線がやたらと長いということ、ただそれだけだった。なんであいつが俺の部屋に現れたのか、あんなにも小さいのか、由良透流とはどういう関係なのか、何一つ知らないし、知ろうとはしなかった。




 なぜか、それを知ったら、この生活が全てが壊れてしまいそうで怖かったのだ。

 ……でも、もう、この辺が、俺の日常の潮時なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る