断章   甘粕中尉の華麗なる土曜日  令和十年十二月十六日(土) 甘粕真琴

令和十年十二月十六日(土) 北海道札幌市・帝国陸軍札幌衛戍地北部方面軍司令部


 我が国の『同化政策』は、実に巧みなものだ。『かつてアイヌがどうであった』という文脈で語られることはあっても、『現代のアイヌがこうである』という話はなかばタブーである。内務省警保局図書課は、そのような言論を認めはしない。――だからこの島には、『四族協和』の理想郷が訪れないのだ。

「……長。分隊長!」

「失礼。私としたことが。これから司令部の武装解除に向かいますよ。スタックを組んで……先駆けは私が」

 杉原少尉と別れた私……それから憲兵隊の部下たちは、新しく建国される『アイヌモシリ共和国』の『共和国軍』機能編成のため、札幌衛戍地にある北部方面軍司令部を訪れていた。勿論、陸軍大臣直々の命令を受けてのことである。珍しく私も、今夜は制服に着替えている。すでに司令部以外の将校は、最初から通謀していた北部方面軍情報部が武装解除させていた。武装解除に従わない者は――当然、射殺である。

「三……二……一……今ッ、突入ッ!」

 敵の幕僚たちは、北部方面軍司令官室に籠城していると思われる。私は錠前をレーザーポインタのついた9ミリ拳銃で破壊すると、司令官室の扉を蹴破った。

「銃を捨てて両手を頭の後ろに組め!」

「ルームクリア!」

 部下たちの声に、何度も写真を確認した『司令官』の姿を拳銃の照門に納める。

「……ほう。やはりここにおられましたか、司令官閣下。その様子では、閣下はこの政変における『椅子取りゲーム』に負けて間抜け面を晒す羽目になったようですね」

「な……なにを言って……操縦士き章の、憲兵……? 貴様、『北限中尉』――甘粕真琴だな!?」

 名指しされた私は、うやうやしく頭を下げる。

「いかにも。私が元陸軍航空総軍の甘粕――甘粕真琴、憲兵中尉です。新しく建国される『アイヌモシリ共和国』国家公安委員会委員長内定者のね」

「この反逆者め……このままで済むと思……」

「――だから、貴方がたは負けたんですッ!」

「……」

 私の一喝に、司令官は言葉をなくす。

「まだ気づいておいででないのですか! 貴方がたはすでにこの政変を巡る敗者なのだと! 大日本帝国からしても、あるいはアイヌモシリ共和国からしてもです!」

 ……こういう無能が上に巣食っている限り、『四族協和』の理想は絶対に達成されない。くだんの『教科書』に記載がある財閥解体も農地開放も、『こちらの世界』では行われていない。私の役目は大日本帝国政府の利益を代弁しつつ、新国家に理想郷を建設することだ。

 『あちらの世界』の日本は戦争に負けて、外交に勝っている。吉田茂なる人物がやった偉業と言える。対してこちらの世界では戦争には負けていないものの、外交戦では遅れを取っていると言わざるを得ない。『アイヌモシリ共和国独立戦争』はそのレジームを塗り替えるための、一つの試練だ。

「……我々にどうしろというのだ、甘粕中尉?」

「死は、誰に対しても権利を持つ……と言いたいところですが、あいにくと私はそこまで無能ではありません。私はゲームの駒ではなく、指し手なのです。東京との交渉にくらいは役立ってもらいましょう……副分隊長、全員拘束です。真駒内の衛戍監獄に入れておいてください」

「生きて……虜囚の辱めを受けよと、貴官はそう申すのか……」

「あいにくと、私は性根が戦闘機乗りなものでね。そういった美学は持ち合わせていません。司令官及び幕僚連、計十三名――全員、確かに連れて行くように」

「はい」

 物静かで冷静な副分隊長には、いつも助けられる。腰を壊してびっこを引いており戦闘能力はないが、頭のほうで役に立ってくれている。


「……憲兵隊移動本部、こちら甘粕分隊長。北部方面軍司令部の制圧を完了。主要メンバーは真駒内衛戍地に護送済み、終わり」

 覆面パトカー仕様のブルーバードから、無線の送話機を延ばして状況を報告する。あたりには硝煙の匂いが漂っており、憲兵隊の赤色灯が衛戍地に明滅している。

 と。

「甘粕先輩……?」

 先程まで車の横の座席で聞いていた声に、思わず振り向く。見るとそこには、『剣姫の杉原』こと杉原たかね陸軍少尉が佇立ちょりつしていた。

 服装はスーツではなく、第一種軍服。右腰には拳銃を、左腰には兼定を吊るしている。……挙動が少し不自然だ。体幹……おそらくは腹部に、傷を負っている。

 彼女は姿勢を正すと、挙手の敬礼を示した。

「……アイヌモシリ共和国軍少尉、杉原たかねであります」

 その言葉に、私も敬礼を返す。

「ご苦労。私はアイヌモシリ共和国国家公安委員会次期委員長、甘粕真琴です」

 それは、これからの『お互いの立場』を確認するための大切な儀式だった。

「だから言ったのですよ。『どこへなりと好きなところに』と。行き着く先は、どう転んでも『ここ』しかないのですから」

「先輩はお味方……と考えてよろしいのでしょうか?」

「とりあえずは結構です。ただし今後共和同盟のなかで派閥争いが生じた場合には、その限りではありません。できうるなら貴女には敵方に回ってほしくはないですが……あなたは北川小五郎と色々あった身です。難しいでしょうね」

「……」

「一つだけ、あなたに忠告しておきます。榎本隆之なる内務官僚を、過度に信用しないように。これだけの博打を打つ人物です、普通の公務員の通帳ではないはず。洗ってみたら、国内軍需産業から多額の送金の履歴がありました」

「なぜ、それを自分に?」

「言っておいて損はないと思った、それだけに過ぎません。……ああそうです、杉原少尉。拳銃弾を数発、分けてもらえませんか? 先程の制圧で、残り二発まで減っていまして」

「そんなことでしたら」

 杉原少尉は拳銃をホルスターから引き抜き、弾薬を弾倉から抜く。その僅かな不自然さ。……間違いない。怪我は右腹、しかしそれでも生きているということは、望月さくらは無事に仕留めたのだろう。

「ありがとうございます」

 受け取った銃弾を弾込めする。もとより剣客の彼女には拳銃弾など不要だったのだろう、こちらの残弾が『満』になるまで渡してくれた。

「……さて。私はこれから、満州国駐札幌総領事館に新規国家樹立の交渉に赴かねばなりません。新政府の閣僚としてです。私は私の仕事をします。ですから、貴女は貴女の仕事をしなさい。いいですね?」

「はい」

 私はその言葉を聞き遂げると、ブレーキを踏むとブルーバードのエンジンスイッチを押して車を始動させたのだった。

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