第十六章 ひときり! たかねさん  令和十年十二月十七日(日) 高山圭介

令和十年十二月十七日(日) 北海道札幌市・旧北海道庁学務部


「旧北海道逓信局の郵便物保護銃は、当分の間そのままにするとして……総務大臣には、万国郵便連合との交渉もやってもらう必要があるな。いまだに国際郵便じゃないと何も送れない地域は多い」

 ああ、もう忙しい。なんだって他の省庁の素案まで、門外漢の私が書かねばならんのだ。人遣い荒すぎですよ、榎本先生。

 と、部屋の隅のハムスターケージがコロコロと音を立てる。時計に目をやると、そろそろエサの時間だった。

「あーよしよし、将監しょうげん頼母たのも源吾げんご主水もんど主計かずえ主税ちから。ごはんだぞ、ごはん」

 ちなみに、六匹ともメスである。私はペレットをスプーンですくいあげると、エサ置き場に置いた。

 私がハムスターのモフモフとした動きに癒されていると、電話が鳴る。発信元は……これは旧北大の番号だな。現在、書類上では『国立アイヌモシリ大学』ということになっているが。

「はい、こちらは文部科学大臣の高山――なに、それでは解読が終わったのか! それは素晴らしい! でかしたぞ! それで、内容は……? なんだと!?」

 いや、確かにさっきの話……将来的に時間遡及を可能にする危険な科学技術が開発される可能性が高いのなら、それを法規制すればいいという腹案だったが……しかし、まさかそんな……。『元の世界』ではあの異体文字、まだ解読ができていないんだろうか。

 大日本帝国はソシュールから始まった近代の言語学を用い、多民族・多言語国家となった日本の領域に存在する各種言語の研究を統治のために徹底させた。その一つが『北海道異体文字』であり、南高歴史学研究室の私も当然、そのプロジェクトには関わっていた。

「『時の門』を開ける実験は、成功したんだな? そしてまだ、その門は誰もくぐっていない。よし、『ムー』編集部にだけは嗅ぎつけられるな。パニックになる。大手柄だ、よくやった」

 閣僚入りするに当たって、私が唯一榎本先生に要求した条件。それは、とある遺跡と石器をアイヌモシリ共和国文部科学省の管轄下に置くことだった。今もその遺跡は、旧十一旅団の分遣隊が押さえている。

 私がつい最近にも授業でレプリカを取り扱った、北海道異体文字が刻まれた謎の石器。あれは言語学的解析の結果、アイヌ語とは一致しなかった。よって、それ以前にこの島に存在していた謎の民族のものだと推定される。

 あれが発見されたのは、後志しりべし管内余市よいち町、西崎山環状列石ストーンサークルの付近である。ケルト時代以前と推定されるアイルランドのニューグレンジのように、誰が何のために作ったか分からない遺跡だ。

 付近の土壌などを『放射性炭素年代測定』で調べてみたところ、不可解な点があった。場所によって、年代がまちまち……ところによっては、時間の逆行が起こったとしか思えない状況だったのだ。どう考えても、科学的に説明がつかないことだった。そこで、道内の考古学・歴史学畑の人間はその謎を解く鍵があの石器にあると考え、言語学的な解読を進めていた。その作業が完成したという連絡だ。

 結論としては、時間遡及の具体的な意思を持って『石器』を『遺跡』にある三日月状の溝にはめた場合、『時の門』が開く――それが、石器に刻まれた『北海道異体文字』に記された答えだった。それで、『年代の謎』の説明がつく。

 と、ノックの音がした。

「戒厳司令部付隊、杉原少尉入ります」

「入れ」

 高校の同期にして同僚だった配属将校の杉原たかね少尉が、ドアを開けて入室してくる。……私は、兵役の経験からすぐさま異変に気付いた。

 軍では、庁舎における『室内無帽の原則』は絶対だ。廊下から部屋に入る時は、必ず帽子を脱ぐ。なのに杉原は、帽子を脱いでいない。ということは――こいつは、『作戦行動中』だ。

 私はジャケットの内側に手を入れる。そして撃鉄を起こしながら九ミリ拳銃を抜き、杉原に向けた。杉原の体が、一足飛びに私のところに跳ぶ。

「ぃぇやッ!!」

 軍刀が一閃し、杉原が目をつぶって着地した。火群ほむら咲きの紫電ひばなが目に入ったと思ったら、次の瞬間には軍刀は鞘に納まっている。私は引き金を絞ったが、弾丸は発射されなかった。

「……え?」

 遅れて、水平にスパっと切れた銃身と遊底、それに撃鉄の先端部が執務机の上に落ちる。――撃鉄の先端を欠いては、弾丸の雷管を叩くことすらできん。

「な……」

「冥途の土産に教えてやる。刀を対象へと垂直に当てることを、剣術では『刃筋はすじを立てる』と言う。刃こぼれを起こす原因はたいてい、刃筋を立てる腕も持っていない者が粋がるからだ。物体が斬れやすい『刀線とうせん』を見極めて刃筋を立て、なおかつ刀が物理学的に最速になるよう、軌道をなるべく真円に近づける。こうすれば大量生産のナマクラ軍刀では無理だが――会津兼定ほどの名刀なら、拳銃程度は斬れる」

 杉原は、完全に人斬りの目をしている。どういう因果かこの政変に巻き込まれて、図らずも朝鮮派遣時代に立ち返ったんだろうな。旧十一旅団派遣中に編成されていた留守第百十一旅団にいた人間としては、思うところがある。

 杉原の家はれっきとした士族で、明治維新前は豆州ずしゅう韮山にらやま代官、江川太郎左衛門家に代々仕える徳川とくせん家の又家来だったらしい。努力もさることながら、やはり血筋もあるのだろう。

「恐れ入ったよ。これは榎本先生の上意討ちか、伊豆守いずのかみ?」

 出自に由来する、昔のあだ名で呼びかける。……今の状況で榎本先生が私を斬る理由などないから、おおかた共和同盟共和派の意向を受けてのことだろうが。

 杉原は何も言わず、私の目の前に短冊と携帯用の筆差しである矢立やたて、そして扇子を置く。

「天誅を下しに参った。……俳句を詠め。介錯してやる」

 ――問答無用、か。扇子腹に辞世の句とは、また古めかしいやつだ。

 この状況で抵抗して、こいつに勝てるわけがない。私は腹をくくった。

「斬りたければ斬るがいい。ただし、言っておきたいことがある。私は今この時も、アイヌモシリ共和国の文部科学大臣だ。従って、共和国の未来を担う全ての児童・生徒・学生に責任を負う。貴官はまだ、南高配属将校の役目を解かれた訳ではない。本政変に深く関わった南高文科甲類の三名は、責任をもって預かれ」

「……承知つかまつった。存外に落ち着き払っているので、見直したぞ」

「こう見えても、もとは有事に命を賭ける立場でね。それとだがつい先ほど、死ぬ前に教え子に伝えておかねばならん事ができた。大変厚かましいのだが、斬る前に一席もうけさせてもらえないか。貴官も同席してよい」

「長い付き合いだが、貴様は本当に厚かましいな」

「知っているなら話は早い。私は逃げも隠れもせん。だから辞世の句を許すくらいなら、教え子と水杯くらい交わさせろ。晴れやかな気持ちであの世に行かせろ」

「あい分かった。最期の一念は善悪の生を引く、と言うからな」


         ▼


「安全運転、大儀であった。これは酒手さかてだ。一杯やって、温まるといい」

「杉原、駕籠かごかきじゃないんだから普通に心付けと言え。飲酒運転を扇動するな」

「……言葉のあやだ。風情のないやつだな」

 冷たい声音で切り返されてしまった。

 杉原とともにタクシーに乗り、真駒内衛戍地に乗り付ける。警衛所で受付を済ませて、『衛戍地クラブ』に向かう。

 陸軍の衛戍地では、すべての飲酒が禁止される。唯一の例外が、衛戍地の中にある『衛戍地クラブ』の中だ。早い話が居酒屋である。

「杉原。さっきのタクシー代ナンボだった?」

「いい。どうせ貴様を斬ったら、お清め代が出る。それで帳尻を合わせる」

「そういうわけにはいかん」

「いいんだ。今日の勘定は任せておけ。それよりいいのか、あのような安い店で」

「酒は、何を飲むかじゃない。誰とどこで、どう飲むかだ」

 というかこっちは、『お清め代』という言い回しにカルチャーショックである。こいつにメールを送ってもちゃんと返信が来るというのが、一周回って不思議に思える。


 衛戍地クラブ『花の舞』真駒内衛戍地店につくと、今は違う道を進む剣道部の三名が既に座敷に上がっていた。そのうち蝦夷森は、私の誅殺ちゅうさつに最後まで反対してくれたらしい。ありがたいことだ。当たり前だが貸し切りで、人払いは済ませてある。私は上座の座布団へと向かった。

「待たせたな、諸君。杉原少尉も連れてきた。奇しくも、全員が南高の出身者と在校者か。君主派が一名、共和派が二名、ソ連総領事館……訂正、大使館側が二名。返す返すも、道は違ってしまった。世のならいとは言え、無常だな」

「お待ちしてました、大臣」

「いや、この席では先生と呼んでくれ」

 蝦夷森が傾けた銚子から、燗が猪口に注がれる。お通しの松前漬けに箸を伸ばした。

「うむ、うまい。杉原も飲むか?」

「いや。今日はあとに大切な用事があるので、あまり度数の高い酒はやりたくない。女将、マッコルリを頼む。朝鮮どぶろくだ」

 マッコルリか……私も飲んだことはあるが、清酒の半分くらいの度数だ。ビールよりは少し高い。

 生徒たちにも飲み物と料理が行き渡ったところで、私は姿勢を正す。

「私だけ呑んでおいて恐縮だが、手を付けるのは少し待ってくれ。訳あって私は、しばらく共和国政府を離れることになった。そこでまあ今日は、諸君らに伝えたいことがあって呼ばせてもらった。蝦夷森、伝えておいた例の教科書を宮坂とベリンスカヤに見せてくれ。二人はまだ読んだことがないはずだ」

「はい」

「私も間違って理解をしている可能性がある。すまないがもう一度、事情をここにいる全員に説明してほしい。ソ連側の二人にもだ」

「分かりました」


 蝦夷森が説明を終えると、宮坂とベリンスカヤは全く訳が分からないという顔をしていた。杉原も既に話だけは知っていたが、いまだに半信半疑といった具合である。

「念のため言っておくが、その教科書が二十世紀から存在し、二十一世紀の自然災害という地学現象を予言していることは確実だ。だから私は、共和同盟が結成されるに至った経緯を事実だと判断した。これは歴史学者としてのプライドにかけて、諸君らに保証する」

「それで……わたくしたちは何をすれば宜しいんですの?」

「ベリンスカヤは有権者ではないので無理だが、残ったメンツに託したいことがある。『歴史改変罪』の立法作業だ。普通の刑法は属地主義と属人主義だが、属世界線主義と属時系列主義で立法は頼みたい」

「つまり、どういうことをすると罪になるんでしょう?」

「『歴史改変が法律的に犯罪となる世界線』において、法律の施行後に歴史改変を行った者を未遂も含めて罰する。こうすることでしか、歴史改変の無限連鎖は止められない。我々は既に一度、歴史改変が行われた世界線に生きている。仮に元の世界線に歴史を戻そうとする者が出た場合……ベリンスカヤ、君は消える可能性があるぞ」

「え……?」

「出身は、スターリン批判の前はスターリングラードと呼ばれていた都市だな?」

「はい。今はヴォルゴグラードと言いますけど。先祖代々、住んでいますわ」

「元の世界線ではソ連が崩壊しているから全く別の人生を送っていただろうし、そもそも君が生まれていたかどうかも怪しい」

「ど、どういうことですの?」

「教科書のここを見ろ。『独ソ戦の最激戦地だったスターリングラード攻防戦では住民六十万人が、約一万人にまで減少した』とある。スターリングラードはドイツが史実とは異なりアゼルバイジャンのバクー油田を目指した場合、必ず落とさねばならない要害だからな」

「!!」

 ベリンスカヤが、両手で顔を押さえる。挙措きょそに品のあるこの子が、ここまで感情を露わにするのは珍しい。

「満州の油田が発見されなければ、三国同盟の締結と日本の対米開戦は避けられなかった。三国同盟が結ばれている情勢下の日米戦争は、米国の枢軸国に対する宣戦布告をも意味する。逆に言うと油田が発見されたからこそ、我々の世界では元の世界に比べて米国の枢軸国に対する宣戦布告がずれ込んでいるんだ。独ソ戦に関しても、三国同盟が締結されていた元の世界では、我々の歴史に比べてソ連軍も全力を注げなかったものと思われる。なぜなら欧州戦線のみならず、ソ連が極東の日満両国をも警戒する必要があることが容易に推定されるからだ。恐らくはその関係だろうが、我々の知る歴史に『スターリングラード攻防戦』などというものはない」

「分かった。そういう話なら、『歴史改変罪』とやらは必ず成立させる。二回目の歴史改変は、誰であろうが許さない。マヤ、杉原少尉、協力を頼みます」

 漢の目をして、宮坂航也がそう応えた。愛する女を守る雄の眼差しだ。宮坂と目を合わせ、蝦夷森と杉原がうなずく。

「助かる。この世界線において、タイムマシンがいつ発明されるのかは分からない。だがもう一つ、伝えておかなければならないことがある。それは、余市にある『時の門』の存在だ」

 残念な人を見る視線が、途端に私に集まる。

「待て、私は正気だ。仕方がないだろう、今日判明したばかりなんだから。詳細は旧北大が握っている。科学的手段によらず、過去に遡及する方法が発見されてしまったのだ」


 私は、遺跡と石器の説明を行った。『一度目の時間遡及』の件で蝦夷森はパラレルワールド説を唱えていたが、私の見解は異なる。

「仮に歴史改変が行われた世界がきれいさっぱりパラレルワールドになるのなら、この世界に存在する遺跡の土壌における年代の乱れは不自然だ。元の世界は消滅するか、大きな影響を受けることは避けられないのだと思う。それに、元の世界で『時の門』が発見されていたのだとしたら、そもそもタイムマシンを発明する動機がなくなる。おそらく、元の世界では『北海道異体文字』は未解読のままだ」

 私は、知っている限りの情報をすべて吐き出した。時間遡及があり得るというのは共和同盟の幹部が知るところであったとしても、『今、時間遡及ができる』ということを知っているのは、研究スタッフを除けばこの場にいる五人だけだ。

 沈黙が座敷に降りた。誰も何も言わない、というか何を言っていいのか分からない、と言ったほうが正しいだろう。

「おっと、長いこと引き留めてしまったな。それでは堅苦しい話はこれくらいにして、乾杯と行こう」

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