第10話 ありがとう、三輝
彼女が手にしていたのは、真っ白な皿に大量に盛り付けられた銀色の物体だった。
もう一度言おう、銀色の物体だった。
僕たちは現在、家庭科の授業を受けている最中にある。内容は調理実習で、作るものはクッキー。出来上がったものは皿に乗せて各自で食べろと言われていたので、当然、皿の上にはクッキーが乗っているはずである。
だがしかし、この皿の上に輝いているのは銀色の物体。形が形なのでクッキーと言われれば信じられなくもないが、明らかに僕たちが想像しているクッキーの色ではない。せめて茶色ならば、チョコレートを混ぜたのだろうか、だとか、黒色であれば、焦がしてしまったのだろうか、だとか、そういったことを考えることはできる。だがしかし銀色。金属でもなければ食紅でもない、何をどうしたらこんな色になってしまうのか。別に馬鹿にしているわけではない。純粋に、不可解なのである。
「えーっと…
「は、はい…」
「なんでこれ…銀色なんだ?」
「……。」
口を開かないまま、彼女は何かを手に持ち、僕にそれを見せた。その表情はさながら、例の母子手帳を見せてきたときのそれである。ただし今回は母子手帳ではない。ケーキを始めとする菓子類のトッピング材料として用いられる、アラザンだった。砂糖と
それを見た瞬間、僕は全てを察した。彼女らは恐らく、棚の中にでもあったのであろうアラザンを見つけてきて、あろうことかクッキーの生地に交ぜ込んでしまったのだ。
「…主犯は?」
…五月が、
しっかりと焼き固まっているということは、
ここまで来ると逆に味が気になってしまう。何故か銀色のクッキーに食欲を掻き立てられてしまった僕は、何を思ったのか、彼女の班の皿に手を伸ばした。
「えっ!
彼女がそう言った時には、既に僕の口の中は銀色でいっぱいだった。
結果から言えば、甘い。尋常じゃなく甘い。砂糖などの分量は間違っていない。だからこそ、アラザンの主成分である砂糖がこの上ない蛇足となってしまっているのだ。
「どうだった…?」
「ま、まあ味は普通にクッキーって感じだったよ!」
「そっかぁ…良かったぁ…」
良かったのかよ。喜ぶ基準低すぎるだろ。
前に弁当に関する話をしたときに、普段から弁当を母親に作ってもらっているということや、母親がめちゃくちゃ料理上手であるということを聞いていたが、それは母親の料理スキルがとてつもなく高いというわけではなく、五月の料理スキルがあまりに低すぎるためなのかもしれない。
料理スキルが低いというよりは、もはやセンスの問題かもしれないが。だって生地に飾りつけ用のアレ交ぜ込もうとか普通思わないでしょ。
気づけば、周りには軽い人だかりができていた。とは言ってもクラス規模なのでそこまで大きなものではないが。クラスメイトは口々に『銀だ…。』『なんでだ…?』などと所感を述べ、
「えええん、三輝助けてえ…」
「えええんじゃねえよ、まあその、元気出して…」
明らかな嘘泣きながら、内心は本当に少し落ち込んでいるようだ。五月の班の他のメンバーも、周囲からの質問責めに困惑しているご様子。
「…別にそんな落ち込むことないよ、皆だって別に五月たちを馬鹿にしたくて集まってるわけじゃない。銀色のクッキーっていう珍しいものに過剰に反応してるだけ。前にも五月、普段料理しないって言ってたけど、料理っていうのは
「…ありがとう、三輝」
そう言って、五月は安心したように微笑んだ。
ある物事に於いて、普段からそれをしている人とそうでない人ではできる事に大きく差が出る。それは料理に限らず、どんな分野においても言えることである。していることが一概に良いというわけでもなく、断じて、していないことが悪いわけでもない。そんな、誰も悪くないのに必然的に生まれてしまう差に、彼女は焦ってしまったのだろう。
「…それとさ」
「どうしたの五月?」
「…今度、料理教えてくれない?」
今彼女は、人の成長にとって最も大切なことをしている。自分の不得手なことを素直に受け止め、斜に構えずに人の話を聞き、上達しようという意志の上でそれを僕に真っ直ぐに伝えた。
スキルだのセンスだのと酷く馬鹿にするようなことを考えていた数分前の僕を助走をつけてぶん殴りたい。こんなにも素直な相手にあれは失礼すぎる。心の中で大いに反省し、僕は『もちろん』と返事をした。
———
「味は普通にクッキーだったよねぇ」
「むしろボクあれかなり美味しいと思うんだけど」
「そういえば君とんでもない甘党だったな」
中学時代、
あっという間に一日が終わり、放課後。いつも通り通学路を三人で歩いている。体育のバスケでの激闘や、家庭科の調理実習での思い出、世界史の授業はやはり眠たくてしょうがないということなどを振り返りながら、先程商店街で購入したたい焼きを片手に並んでいる。
「たい焼きってどこから食べるぅ?」
「ありがちな質問だね兄さん」
「よくある質問だな十三実」
「まぁまぁいいじゃない、んで、どこから食べるのぉ?」
「んじゃあせーので言うか」
「わかった」
「「「せーの(ぉ)」」」
「しっぽぉ」
「頭」
「中身」
ありがちな分かれ方をしたかと思えば、一つやばいのが聞こえたので慌てて聞き返す。
「え、中身?」
「中身だよ」
「十一、頭大丈夫か?」
「大丈夫だよ。逆に頭ってなんなの。冷静に考えてサイコパスすぎるでしょ。」
そう言って突然たい焼きの生地を開き、つぶあんにかぶりつく十一こそ、絵面が完全にサイコパスのそれである。普通に怖いわ。
対して、両手でたい焼きを持ち少しずつ
無惨に
「うわぁ…グロいぃ…」
「三輝くんそれはないわ…」
十三実はさておき十一、お前にだけは言われたくない。
空前絶後たい焼きをそんな食べ方するやついないからな、マジで。
なんやかんやで各々たい焼きを食べ終わり、大通りを抜けたところ。
「あああああカラオケに行きたいいいいぃ」
「唐突だね兄さん」
「唐突だな十三実」
「なんでそんな冷たいのぉ、昔は毎月行ってたじゃんかぁ」
「まあたしかにな」
去年の半ばくらいまで、僕ら三人でカラオケに行くことは毎月の恒例行事のようになっていた。一ヶ月間で溜まったストレスを気のおける仲の奴らと一緒に発散しよう、という目的を建前にそれぞれの趣味丸出しの選曲を延々繰り返すというある意味では地獄のような会である。ただしこれが楽しい。理由はよく分からないが、基本的に、ストレス発散と呼ばれる行為には新たなストレスがついてくることが多い。例を挙げるならばバッティングセンター。周りの目が気になったり、うまく打てずにイライラしたりして、新しいストレスが生まれることがある。しかしこれは違う。気心の知れた友人と心ゆくまで歌い尽くす、これには微塵のストレスも付き
「なんか僕も行きたくなってきたわ」
「久々にそういうのもいいんじゃないかな?」
「マジでぇ? ありがとう二人ともぉ」
僕たちは、近所のカラオケ店へと向かい始めた。
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