第6話 ところでさ、どう?

 なんなんだ本当に。意味が分からん。

 いや、別に何かに腹を立てているわけではない。本当に困惑しているのだ。

 落としてしまったプリントを全て拾ったあと、僕は咲十三さとみ先生を追うようにして教室へと戻った。プリントの量が量ゆえに手間取っていたところを通りがかった現代文の先生に助けてもらったので、三分ほどで全て拾うことができた。ありがとう現代文の先生。ちなみに名前は覚えていない。ごめんね現代文の先生。

 心の中で現代文の先生に感謝と謝罪を繰り返しながら教室に戻った僕を待っていたのは、いつも通りの風景である。時折ときおり、先生の色気に圧倒され机に伏せる生徒は居るものの、基本的に全員が真面目に授業を受け、黒板とノートを視線で往復しすらすらとペンを動かし続ける。そしてそれを教えている先生も、先程とは打って変わっていつも通り自分のペースで落ち着いて授業を行っている。とは言っても、授業は始まったばかりだけれど。


 「も、戻りました」

 「んっ…! おかえりなさい、ありがとう」


 その驚いてるのか喘いでるのか判別のつかない声を出すのをやめてくれ。非常に心臓に悪い。それにしても、さっきの取り乱し方からは考えられないくらいに先生は『いつも通り』だ。さっきのが何かの勘違いなのではないかと思ってしまうほどに。さすが大人、とでも言うべきか、公私をしっかりと区別するという姿勢には素直に尊敬である。もしかしたらさっきのは気の所為せいだったのかもしれない。


 …いやそんなわけが無い。

 たしかに笑うときは笑うし怒るときは怒る先生ではあるが、普段は一貫して落ち着いており、大人の余裕を見せている先生だ。とても二十代前半とは思えない色気と余裕こそが、彼女の人気の一番の要因とすら思う。だからこそ先程の事は、素直に驚いたし、困惑したし、先生の表情が普段よりも余計に目に焼き付いてしまったのだ。

 僕は席に着き、一限目の保健の授業に参加した。筆箱を開きシャーペンを取り出・・・そうとしたのだが。ペンよりも先に目に付いたのは、ノートの切れ端を綺麗に折ったのだと思われる一枚の手紙だった。たしかに筆箱を机の上に出しっ放しにはしていたものの、まさかこんなものを入れられているとは思うまい。少しの動揺のあと、僕は丁寧に手紙を開いた。


 『昼休み、一緒にお弁当を食べませんか?

  屋上前の階段で待ってますね。』


 見たことのある字だった。僕の前頭葉が正しく働いていれば、これは五月さつきの字だと思われる。昔、何かの行事の司会をしていた彼女が黒板に書いていた字によく似ている。口調に違和感を覚えるが、文面では緊張や不慣れで話し方が変わることは少なくないので特に気にはとめなかった。

 たしかに一緒に昼食をとったのはあの日が最後で、以降はそれまで通り十三実いさみ十一とういちと食べていたので彼女が久しぶりに一緒に弁当を食べたいと思ってくれるのも解らなくはない。でも、それならそうと普通に口で言ってくれればいいのに。何を恥ずかしがっているのだろうか。

 ともかく、風早かぜはや兄弟には悪いが今日は五月と昼食をとろうと思う。


 「じゃあ授業終わるわよぉ・・・。あっ。さっきはありがとねっ星野っ!」

 「へ? ああ、はい」


 突然名前を呼ばれて少し間抜けな声をあげてしまった。いつの間にか授業は終わったようで、学級委員の五月の号令によりそれがようやく理解できた。考えごととまでは言わないが、何かで頭がいっぱいになっているとやはり時間というものは過ぎるのが早い。


 「・・・ねえ三輝みつき、手紙読んでくれた?」

 「なんのこと?」

 「とぼけないでよ。その手に持ってる紙のこと!」

 「ごめんごめん、読んだよ。でも普通に口で言ってくれればよかったのに」

 「ほ、ほら、誰が聞いてるかわかんないし! ・・・それにやっぱりちょっと恥ずかしぃ」

 「え? ごめん、後半よく聞こえなかった」

 「な、なんでもないよ!」


 突然頬を赤く染める五月。今まではこんな表情見たこと無かったんだけどなあ。きょうだいだということが分かってから徐々に打ち解けてきてくれているのだと考えると、少し嬉しく感じた。

 僕の前だけかと問われるとそうではないのかもしれないが、最近は五月の様々な表情を見ることができている。そもそもが天然なのでいつもおっとりとした表情しか見てこなかったが、なんとなく取り乱すことが増えているような気がする。白い肌が一気に紅潮する様子は見ていて少し面白いが、依然としてそのトリガーは分からない。しかしながらこの様子を見たことがある人間はそう多くは無いのだろうなと、優越感に似た何かを感じている。

 とは言っても、それは以前のような、他の五月に恋をしている沢山の男子に対する対抗心のようなものではなく、彼女のきょうだいとして、家族としてのどこか絶対的な安心感である。

 この一週間で、僕は現実を受け入れ、彼女に対する恋心というのもかなり薄れさせることができた。


 「あ、三輝!」


 ・・・のだろうか。

 名前を呼ばれたくらいでこれほどまで胸を高鳴らせていては、まだまだ先は長いのかもしれない。すぐに切り替えれると思ったんだけどなあ。


 「なに? 五月」

 「さっき先生を手伝いに行ってたとき、三輝だけだいぶ遅れて帰ってきたよね?」

 「っ・・・!」

 「・・・何かあったの?」

 「ふぇ!? いやいや全然、何も無かったよ全く」

 「そうなの・・・? ならいいけど」


 先程の記憶が引きずり出され、激しく動揺してしまった。しかもそれを聞いてきたのは五月だ。理由を聞かれれば難しいが、なんとなく五月にだけは知られたくないのだ。いや誰にも言うつもりは無いけど。

 じわじわと記憶から消えていたのであわよくば忘れきってしまいたかった。本当に何だったのだろうか。

 咲十三さとみ先生は授業が終わるや否や若干不自然なくらいのスピードで教室を出ていったので後を追うことも叶わなかった。まあ追いついたところでどう聞くんだよって話だけど。


 「三輝ぃ、お腹空いたよぉ」

 「お前毎回その、ぬっ、って出てくるのやめろ怖い」

 「ごめぇん、でもお腹空いたんだよぉ」

 「兄さんは今日寝坊して遅刻ギリギリたから朝食食べてないもんね。」

 「十一とういちは?」

 「ボクが寝坊なんかすると思う?」

 「ううん全然」

 「ちょっとだけした」

 「したのかよ」


 兄と正反対に真面目な十一の寝坊には少し驚いたが、朝食は大事らしいぞ十三実いさみ。どこかの研究チームが発表したらしいが、朝食をとる人とそうでない人ではテストの点数ですら大きく変化が出たようだ。朝食をとらないと頭が回らないというのは割とガチな話らしい。


 「そうなのぉ? 三輝ぃ」

 「お前とうとうこんな長い話まで心の中読めるようになったんだな。キモいマン大会1位おめでとう。」

 「キモいマン大会って何だよぉ」


 キモいマン大会って何だろう。

 まあそれくらい気持ち悪いということだ。ニュアンスで察してほしい。


 「あ、そうだ、これあげる」

 「んえ?」

 「僕の間食用のカロリ○メイト」

 「全然伏せれてないよ三輝くん」

 「ええええんありがとう三輝ぃぃ」

 「おーよしよし食え食え」


―――


 「あ、三輝! もう来ないかと思ったよ」

 「ごめん遅くなって。風早兄弟が離してくれなくてさ」

 「ふふっ、いいよ」


 あっという間に昼休みの時間である。約束通り屋上前の階段へ行くと、そこにはやけに上機嫌な五月がいた。ちなみに何故屋上ではないのかというと、事件事故防止のために屋上が閉鎖されているからである。最近はどこの学校もそうみたいですね。


 「ところでさ、どう?」

 「どうって?」

 「いや、三輝は慣れたのかなあって」

 「ああ、全然だよ。実は僕達が双子だった、なんてやっぱり衝撃的すぎてさ。」

 「そうだよね・・・。実は私もでさ・・・」





 『へえ・・・。』


 この時僕らは全く気がついていなかった。そして絶対に気づくべきだった。

 階段の下に、が居たことに。

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