第5話 ちょっと来てぇ…っ

 あれから三日ほどが経過したか、今日は金曜日である。多くの学生が最も好んでいる平日と言っても過言ではない。今日の授業さえ乗り切れば、土日というひとときの天国を味わう権利を得ることができるのだ。五日間の疲れを癒すために只管ひたすらに惰眠を貪るのもよし、座りっぱなしでなまった身体を動かすために外に出るのもまたよし、今日のスケジュールを達成すれば、僕たち学生にはそれぞれの休日が待っている。ちなみに僕はもっぱら惰眠を謳歌おうかするタイプの人間である。


 「おはよう、三輝みつき

 「ん、おはよ、五月さつき


 五月とは順調に仲良くできている。告白以前と比べても頻繁にコミュニケーションを取るようになったし、朝も必ず最初に挨拶をしている。

 あの後、双子であるという事実は本当に信頼できる人間以外には他言しないという約束をし、現在この事実を知っているのは、風早兄弟と、五月の親友の女の子二人の、合計四人だけとなった。クラスメイト二人が実は生き別れの双子だった、などという如何いかにも新聞部受けしそうなニュースがクラスに知れ渡ろうものならどんな質問責めに遭うか分かったものじゃない。というか新聞部の連中がそもそも生粋の噂好きなので、直接取材に来たり新聞のネタにされたりしかねない。割と本気で。


 「おはよぉ、三輝」

 「おはよう三輝くん」

 「おお、十三実いさみ十一とういち、おはよう」


 この二人とも別段変わったことなく今まで通り接することができている。まあそれはそうなんだけど。こんなに特異な事案に巻き込むような形になって二人には迷惑をかけてしまっており、もしかしたら嫌われてしまうのでは、などと少しだけ考えていたのだ。まあ全くそんなことはなく、今日もこうして挨拶をしてくれているのだけれど。


 「それにしてもずるいよねぇ。あんなに巨乳で美人のお姉さんがいるなんてさぁ」

 「こら、やめなさい十三実。弟としてその発言見逃さないわよ。」

 「それどっちかって言うとオカンじゃなぁい?」

 「それもそうだな」


 こんな具合に双子ネタを挟んで話せる程度には心に余裕ができたというか、避けられなかったショックからは立ち直ることができた。

 ちなみに五月が巨乳で美人という点に関しては反論しかねる。なにせ紛れもない事実だ。いつものように教室前方で友人達と会話を楽しんでいる五月の方に、目を向ける。何か嬉しいことがあったのか喜んでいるようだが、ああ、跳ぶな跳ぶな。その暴力的なまでの視覚への刺激をやめてくれ。目のやり場に困る。同時に、周囲の男子数名が生唾を飲む音が聞こえた。それに少しいらついてしまう程度には、彼女の家族であるという自覚が強くなってきている、のかも知れない。

 いや、この苛立ちは単純な独占欲だという可能性も…ダメだ、考えるのは止そう。


 「どうしたのぉ三輝ぃ、そんな怖い顔して」

 「なんかイライラしてるの? 三輝くん」

 「ああいやいや、何でもないよ」

 「ダウト。三輝くん嘘ついたでしょ」


 そうだった。十一には嘘が通じないのを忘れていた。本当に意味が分からない。こいつにだけ、しかも僕の嘘だけ通じないなんて不公平である。もはやその事実に苛ついてしまいそうだ。嘘だけど。


 「まあたしかに何でもなくはないけど、本当に気にすることじゃないから、大丈夫。」

 「それならいいんだけどね」

 「あ、先生来たよぉ、咲十三さとみちゃんだぁ」

 「本当だ、席付きなよ二人とも」

 「「はーい」」


 咲十三さとみせんせー、咲十三さとみちゃん、咲十三さとみ様、いろいろな呼び方をされるうちのクラス担任。苗字は十九川とくがわ、担当は保健体育である。何と言ってもこの先生は…


 「みんな、おはよう。って、なんか教室暑いわねぇ…コレ、脱いじゃおっ。こら、男子、あんまりジロジロ見ないのぉ…! ふふっ」


 エロい。

 この一言に尽きる。

 ただでさえ主張の激しい胸部の膨らみが、上着を脱いだことにより、一層強調される。タレ目に長い睫毛まつげ、そしてセクシーな印象を与えてくる口元の黒子ほくろ。語尾は常に少し吐息混じりで、時折見せる、口元に指を添える仕草が実に妖艶ようえんである。言わずもがな美人で、黒髪のよく似合う大人の女性だ。

 男子生徒が数名たじろいでいるのは気の所為せいだろうか。いや気の所為な訳がない。思春期真っ只中の男子高校生にとってこの先生は刺激が強すぎる。


 「じゃあホームルーム、始めるわよぉ…っ」


 普通この手の先生は、同性である女子生徒には嫌われがちだと思うのだが、この先生は違う。同性すらを魅了する圧倒的な色気の前には、女子生徒も落ちてしまうらしい。実際、男子生徒のみならず、女子生徒からも告白紛いのことをされているという噂はよく耳にする。色っぽいだけではなく、普段から生徒思いで行う授業もわかりやすいこの十九川とくがわ先生、もとい咲十三さとみちゃんを嫌う生徒は、恐らくこの学校には存在しない。そんなレベルのカリスマ性である。


 「ふぅ…このくらいかしらっ、それじゃあホームルーム終わるわねぇ」


 学級委員である五月の号令により、テキパキと起立、礼、着席の一連の動作が行われた。ホームルームと保健の授業のときだけいつもと態度違いすぎるだろ。主に男子。…気持ちはわかるぞ。


 「あ、そうだぁ、誰かちょっと手伝ってくれなぁい…? あ、目が合ったぁ。星野ぉ、ちょっと来てぇ…っ」


 突然名前を呼ばれて少し驚いてしまった。が、僕は二つ返事で先生の元へ向かった。どうやら職員室に置いてきたプリントが多くて一人では厳しいとのことらしい。僕じゃなくても良かっただろ。何だよ、目が合ったって。


 「…ごめんねぇ、手伝わせちゃってぇ。」

 「いやいやいいですよ、たしかにすごい量ですし一人じゃ難しいでしょ。」

 「ありがとぉ、いい子ねぇ星野…ふふっ」


 そう言って片手で僕の頭を撫でる咲十三先生。身長差があるため、先生は少し背伸びをして無理な体勢になっているのだが。

 というかこの先生が生徒の頭を撫でているところは意外にも一度も見たことがないので少し戸惑ってしまう。


 「ちょ…やめてくださいよ先生。」

 「ええ…だって可愛かったんだもぉん。」

 「や、やめてくださいってば」

 「いいじゃない撫でるくらい。…んっ!?」


 無理な体勢をしていたためか、先生がバランスを崩してしまった。僕の頭を撫でようとしていたので、もちろん重心はこちら側に向いている。これが問題だった。僕は大量のプリントを両手で抱えているため身動きが取れない。

 察しの良い方ならもうお分かりいただけただろうが、僕は倒れてくる先生を支えることができず、一緒に倒れ込んでしまった。


 「ご、ごめんなさいっ」

 「い、いや良いんですよ…って、ええ?!」


 しかも、先生の下敷きとなって。

 先生は完全に僕の上に倒れこんでいる状態なので、言うまでもなく胸の双丘はこれでもかとこちらを圧迫してくる。それに突然の出来事のためか一驚して頬を赤くし、呼吸を早めている様子も、かなり色っぽく見える。極め付けは体勢により強いられた先生の上目遣い。先生の呼吸以上に、自分の心臓の鼓動が早まっているのを感じる。

てかめちゃくちゃ良い匂いする。何だこれ。


 「ちょ、先生そろそろ起き上がってください…」

 「…」

 「せ、先生…?」


 頼む、早くしてくれ。何がとは言わないがこの状況はすごく悪い。主に心臓と下半身に悪い。それにしても先生からの返事がない。黙り込んだまま僕の上にずっと倒れている。ここが人通りの少ない倉庫前の廊下であることが唯一の救いか。


 「先生…? き、聞いてますか…?」

 「…もう少しだけ」

 「な、なんて言いました…?」


 「もう少しだけ、このまま居させて…くれませんか?」


 ??????????????

 何を言っているのか分からなかった。それが所感である。逆にそれ以外何を感じればいいというのだ。


 「ア、アタシは…星野のことが…その…」

 「な、ななななんでしょうか」


 僕の心臓の鼓動は最高速度に達していた。

 なんだ? これはもしかしてそうなのか? そういう話なのか?

 じゃあ今わざわざプリント運びを僕に頼んだのも、普段生徒の頭なんか撫でないのに僕の頭を撫でたのも…?


 「や、やっぱ無し! です! ご、ごめんなさい!!」


 先生は素早く立ち上がって、教室の方向へと猛ダッシュしていった。

 あんなにも取り乱した先生を見たのは初めてだ。口調すらいつもと違ってたぞ。


 …いや、プリント拾うの、手伝ってよ。

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