第32話 妻を奪われ、奪い返したテムジンの話

 モンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハンは、とても有名な歴史上の英雄なのだが、おれは彼がどんな人生を生きたのかほとんど知らなかった。ようやく、最近、「元朝秘史」という本を入手して、人類史上有数の大帝国の礎を築いたモンゴル皇帝について知ることができた。その内容は、「事実は小説より奇なり」という感じで、想像だにしていなかった衝撃的なものだった。

 チンギス・ハンは、子供の頃はテムジンという名前で、モンゴルの王子として生まれた。当時は、キリスト教国の暦で十二世紀であり、キリスト教国では、ヘルメス文書が話題になった後の時代である。当時は、イスラム勢力が世界で最も洗練された文明であり、キリスト教国は西方の田舎地方という印象だった。

 なぜ、モンゴル帝国の話をしているはずなのに、キリスト教やイスラム教の話が出てくるのか疑問に思う人もいるかもしれないが、それは、おれが「元朝秘史」を読んでいる時に、ヨーロッパのルネサンス(文芸復興)は、モンゴル帝国の興隆が原因で始まったと考えるようになったからである。

 テムジンの人生は、ほとんどの人がそのことに気づかないのであろうが、深く、二十世紀の日本のオタクカルチャーに影響を与えている。日本の現代人なら、話を聞けば、ああ、あのアニメに似ているね、とか、あのゲームに似ているね、とか思うことだろう。

 テムジンの人生は、日本のオタクカルチャーだけでなく、古代ギリシャ文明にとっても、中世インドのヒンドゥー教にとっても、関わりの深いものである。モンゴル帝国初代皇帝は、そこまで人類の文化の普遍的価値観を刺激する人生を送った人なのだ。

 モンゴルに生まれたテムジンは、娘ボルテと結婚した。早婚である。ロリコンというか、ペドフィリアの域だった。だから、テムジンの結婚は、歴史の授業で教わらないかもしれない。おれはテムジンが何歳で結婚していたなんて教えられなかった。歴史の授業では、子供には刺激的すぎて教えることができないことがある。あまり刺激的な歴史的事実を教えられると、教えられた人たちが短絡的に極端な行動に走ってしまう可能性が高い。世界史の授業には十八禁指定される内容があるのだ。

 しかし、若くして結婚したテムジンをなんて運のいいやつだと考える人は多いだろう。ナボコフの「ロリータ」より若い。ナボコフはモンゴルと地理的に近いロシアの生まれだから、テムジンの結婚年齢を知っていたかもしれない。ナボコフには、チンギス・ハンのような英雄になろうという思いがあったかもしれない。

 西洋にサドがあれば、東洋にはテムジンがある。

 ガルシア=マルケスやG・R・R・マーティンの小説よりも、テムジンの結婚年齢はさらに若い。事実は小説より奇なりだ。

 しかし、ただそれだけで幸せな人生が約束されるわけではない。テムジンは、結婚した妻ボルテを三姓メルキド族にさらわれてしまう。テムジンの妻ボルテがどの程度美しかったのかはわからない。三姓メルキド族は、妻を持ったテムジンを辱めるためだけに誘拐したのかもしれない。また、三姓メルキド族の男たちがボルテを犯したかどうかは「元朝秘史」からはわからない。

 日本のオタクカルチャーには、「姫さま誘拐系」という物語形式が多く存在する。コンピュータゲームの主人公の目的が、さらわれた自分の恋人であるというのは、実に多くのゲームに見られる物語形式だ。テムジンの試練は、さながら、コンピュータゲームの主人公のように困難なものだ。

 結婚した妻をさらっていく連中はいったいどれだけ迷惑な存在なんだろうな。

 これが、テムジンと日本オタクカルチャーの関係性である。

 そして、妻を奪われたテムジンは、二万の兵を集めて、三姓メルキド族に奪われた妻をとり返すために戦争をする。

 もう、これは、ほとんど、二世紀にインドで書かれた叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公ラーマ王子のごとくである。「ラーマヤナ」はとても面白い物語なので、興味のある人は読んでみてくれ。

 「ラーマヤナ」は、「女ひとりを奪い返すために戦争する話」である。この物語の少し変わった変形に「オデュッセイア」が存在する。「オデュッセイア」は西洋文明の礎となったギリシャの歴史的事実について書かれたものだが、これは「女ひとりを奪い返すため」ではなく、「まだ手に入れていない女ひとりを奪うために国をあげて戦争した話」である。これがギリシャである。

 男女のことはみな、深く自分のこだわりがあり、わずかなちがいでも当人にとっては大きな意味をもつ。だから、紀元前九百年のギリシャの「トロヤ戦争」も、西暦二世紀のインドの「ラーマヤナ」も、人によってはどちらの話が好きかはわかれるであろう。「まだ手に入れていない女ひとりを奪うために国をあげて戦争する話」と「女ひとりを奪い返すために戦争する話」はだいぶちがうのである。

 そして、テムジンの率いる二万の兵と、三姓メルキド族の戦争が始まる。その戦争は、ただただ怒りによる破壊であったと「元朝秘史」には記されている。テムジンは、三姓メルキド族を叩きつぶせるだけ叩きつぶし、親族という親族を虐殺した。この戦争があまりにも過激だったこと、これもひょっとしたら、世界史の十八禁指定される内容であるかもしれない。

 そして、テムジンは、妻ボルテを奪い返し、諸部族に認められてチンギス・ハンに即位した。

 妻を奪われても、奪い返したテムジンをモンゴルの人民が尊敬して、王に抱くことを認めたのだ。

 テムジンの即位は王権神授説などとは関係ないものだ。テムジンは、みずからの魅力で王になった英雄である。

 ここまででも、充分にすごい話だが、まだつづきがある。妻を戦争で奪い返しただけでは、モンゴル帝国が原因でヨーロッパにルネサンス(文芸復興)は起きない。

 実は、テムジンには、カエサルという名の弟がいる。カエサルとは、ヨーロッパ社会では皇帝の称号によく使われる名前なのだが、テムジンのモンゴル軍には、部下にカエサルがいるのだ。モンゴル軍にやってきた西洋人は、テムジンをカエサルより偉い人だと考えてしまうだろう。だから、モンゴル帝国にカエサルがいたのはとても重要なことなのだ。

 話はここからが本番だ。三姓メルキド族との戦いに勝利したテムジンは、イエスゲイという名前の第二妃をもらう。そしたら、第二妃のイエスゲイが、「わたしの姉はもっと美人だよ」というので、イエスゲイの姉を探して、あの姉はすでに結婚していたが、テムジンは自分の妻としてしまったのだ。この美人の姉の名前は、イエスというのである。

 これをキリスト教的に解釈すると、西暦元年から千年たった後、イエスは女として再臨して、テムジンの妻となったのだ。

 妻を奪われても、奪い返したテムジンには、イエスという名前の美女が第三妃になってくれるだけの魅力があったのだ。

 テムジンは、モンゴルを統一すると、外部へ侵略戦争を始めた。その侵略は、三姓メルキド族を滅ぼした時のように過激で、かつて妻を奪われた時の怒りによって戦争をした時のように恐ろしいものだったと伝わっている。

 テムジンがモンゴル帝国を築いた数十年後、イタリアのトマス・アクィナスが、キリスト教神学を研究して、全五十四巻の「神学大全」を書き上げた。おれは「神学大全」に何が書いてあるのか知らないけど、イエスが絶世の美女になって天から降り、テムジンの妻になったことは、キリスト教神学を研究している人たちは、ぜひ知りたい出来事なのだろう。これは、おれが西洋の本ばかり読んでいたら、気づきはしなかっただろう。おれが東洋文献の探索をあきらめていないために再発見された、ちょっと楽しいキリスト教の楽しみ方なのだ。

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