6.呼び出し音
「シュー先生、電話が来てましたよ」
そう知らせる珠莉先生の手元には子機がない。
「どこから?誰かのお母さん?それとも隣の保育園から?」
「いや、わからないです」
「保留にしてくれたんじゃないの?」
「それは……私物ですから」
お互い話がかみ合っていないが、珠莉先生はくわがた組の部屋の押し入れを指さした。あそこには僕たち担任の私物も入っている。
「もしかして……僕の携帯?」
こくんとうなずく。
「押し入れのなかの、さらにバックのなかにあるのに着信音がガンガン聞こえてくるので、なにか緊急事態のためにそういう音量設定をしているのかなと。あと、シュー先生も意外と最近の音楽、好きなんですね」
そこまで大音量になるように設定した覚えはないが、着うたを聞かれたことは少しだけ恥ずかしい。数週間前に発売されたばかりのアイドルユニットの新曲だ。そのグループが好きなんだよ、僕は。
「ごめんごめん。びっくりさせちゃったね。それと、着信音については誰にも言わないでほしいな」
「私は別に構わないですけど、本当に大きな音だったのでたぶん用務の先生にはばっちり聞こえていたと思いますよ」
園舎中に響いていたというのか。
急いでバッグの中からスマートフォンを取り出すと、確かに音量は最大まで上がっていた。そして、僕に電話をかけてきた張本人の名が画面にでかでかと表示される。
「
何年も連絡を取っていない相手、というより、連絡を取るのを避けていた相手からの着信に驚きを隠せない。いったい何の用だろうか。
「ちょっと裏に行ってるから、かわりに園庭に出てもらっていい?」
すると珠莉先生は猫のようにぱっちりとした目を数回しばたかせて軽い足取りでテラスに出た。きっと体を動かしたかったタイミングなのだろう。それならばちょうどいい。
対する僕は携帯を片手に園舎の非常口に向かった。
第一声は何と言えばいいのか、考えても考えても答えは出ない。
埃の舞う
『もしもし、
「あっ、もしもし……。奈貝です」
スマートフォンの向こうから聞こえる声は八年前と何ら変わらない。透き通るような、でも重みのある声だ。このまま他人行儀に敬語で話し続けるべきか悩んでいると相手は砕けた口調で答えた。
『シュウ君?ふふっ、久しぶりだね』
「なんの予告もなしにいきなり電話してくるなんてびっくりしたよ。しかもいまなんてまだ十一時なのに」
『ごめんって、いまちょうど私が休み時間だからさ』
「ああ、中学校だっけ。いつのまに教採受かったんだよ」
『でも、まだここにきて一年目だから。浪人しちゃってるしね』
「で、肝心の要件は?五年越しの連絡なんだから、結構重大なことなんでしょ」
『ちょっとだけ聞きたいことがあってね』
高校時代の同級生だ。“教職志望”という同じ夢を持つ者同士、進路の話になれば机を合わせて何時間も話をしていた仲の蒼が突然電話をよこした内容は、同じフィールドに立つことを拒んだ僕へのちょっとした挑戦状だった。
『私の知り合いに今年で二歳になる子の親がいてさ。近所の保育園が全部定員オーバーで受け入れてくれないんだよね。それで、シュウ君のとこが空いてたらそこを薦めようかなって』
「ウチは……余裕があるけど、その同僚さんはどこに住んでるの?」
『確か市内って言ってたかな。どちらにしても通勤途中に寄れる場所に住んでるらしいから今のところ甘平が第一希望だって』
「ああ、このあいだ久しぶりに中途入園の資料請求があったって聞いたけど、もしかしたらその人かな」
『それなら話がはやいね。まだ二十代の幼妻だけどしっかりした人だから安心して。保育園の保護者対応ってチャラついた大学生みたいな親もいて話が通じなくて大変なんでしょ?』
「それについてはノーコメントで。職務の口外はお互いご法度だから」
『はいはい。シュウ君は相変わらずしっかりものだね』
言葉遣いは高校時代と変わらないけど、社会人らしい話題を話すようになったギャップがどことなく新鮮だった。あのころ肩を並べて将来を語り合った二人はしっかりと社会人になっている。素晴らしいことだ。
「そろそろ戻らなくちゃいけないから切るよ。同僚の人にも、
『わかった。いきなりの相談で悪かったね。お詫びに今度ご飯でもご馳走してあげるから』
「昔よく行ってた学校の近くのファミレスとか?」
『あそこはもう潰れちゃったし、もっと大人っぽいとこ連れてってあげる』
ばいばい、と手短に別れを告げられツー、ツーと耳障りな電子音が鳴り響いた。発信履歴には彼女の下の名前、『蒼』とだけ表示された。四分間のタイムスリップは思ったより緊張せずに幕を閉じた。
また話せないかな。ご飯の誘いがあったけど、あれは社交辞令かな。
淡い期待は自分の足をくわがた組に向かって歩かせるエンジンになり、余計な心配は昔の薄弱な自分をよみがえらせるスイッチになる。
思春期真っただ中の少年少女を相手に、教壇に立つ彼女に思いを馳せながら僕は再び園庭へと向かった。
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