5.お誘い

外遊び中はあちこちに散らばる園児たちをいつも以上に見張らなくてはいけない。もちろん子ども自身が怪我を負うのを防ぐというのが最大の理由だが、それともう一つ、うちのクラスの誰かが下級生に怪我をさせないためである。園庭には赤ちゃんと言って差し支えない一歳児・二歳児も多々いるため、最悪の事態にならないように目を光らせる必要がある。先生は遊んでいる暇なんてない。


そう心がけつつも、親の心子知らずというか、かわいい教え子たちは僕を容赦なく半ば強制的に遊びに誘うのである。


鉄棒から走り去っていったユリちゃんにひとつの言葉もかけられないまま呆然としていた僕に向かってユイカちゃんも目を光らせ、手を引っ張った。


「ねえ先生。一緒にボール遊びしたいな」


それを断る理由もない僕は二つ返事で応じた。溢れるくらいいた園児はみな遊具で遊んでいて、ちょうど園庭の真ん中がぽっかり空いている。


「誰もいないから真ん中でやろうよ。……はい、じゃあ先生から」


そういって僕の足元にボールを置いた。サッカーボールと同じ大きさ、同じデザインが施されているけど実際はスポンジのように柔らかい。本物の堅いサッカーボールもあるけど、子どもたちはみんなこっちが好きなようだ。


「ユイカちゃーん、いくよ!」


ぎこちないフォームのトゥーキックから放ったボールはコロコロとゆっくり地面を転がり、ユイカちゃんの手前五十センチくらいのところで完全に止まってしまった。


「せんせー!弱すぎだよー!もっと強く蹴って!」


僕が子どもとボール遊び、もといパス回しをするときのは決まってこんな感じだ。限りなく弱く蹴って、反応をうかがう。以前に初めのターンに強く蹴ったら怖がって泣かれてしまった経験がある僕にとってこの準備は欠かすことができない。


対して、大きな声で叱責するユイカちゃんは二、三歩助走をつけてから思いっきり僕に向けて蹴り上げた。一切のおかまいなしだ。素人目にもしなやかに見えるフォームと、低く鋭い弾道を描くボール。

転がさずに浮かしてくるとは。


僕自身サッカーの経験があるわけではないが見よう見まねで靴の側面で飛んでくるボールの威力を吸収する。高反発素材のせいか、跳ね返るように再びユイカちゃんのほうへ転がっていった。


「いいね。ユイカちゃんのキック、なかなか威力があるよ」


内容はどうであれとにかく褒められるのが気持ちいいのだろう。ユイカちゃんはベターな少女漫画のように両頬に手を当て、身をくねらせた。


それ以降僕は少しずつ足に力を込め強めに蹴ると、彼女はそれに負けず劣らず矢のようなシュートを返してくる。


ほんとうはもっと周りをよく見なければいけないけれど、徐々にボール遊びに熱中してきた矢先だった。珠莉先生がテラスから大きく手を振って僕の名前を呼ぶのが聞こえた。


「シュー先生!お電話ですよー!」


「わかった!いま行く!」



こんな真っ昼間に僕宛てに電話をよこす人って誰かいたっけ。



後ろ髪をひかれるようにくわがた組の教室に向かおうとすると、ユイカちゃんが駆け寄って僕の袖を引っ張った。


「先生、どこ行くの?ボール遊びは?」


「ちょっといま電話がかかってきちゃったから、お話ししてくるね。ユイカちゃんも一度休憩してて」


「別に疲れてないからもっとやろうよー!」


ねえねえ、と彼女に手を引っ張られた。いまこの瞬間にも小さく電話のベルが鳴っているのが聞こえる。子どもたちの声にかき消されているけど、きっとまだ教室の中で鳴っている。


なんとか妥協策を見出そうと、近くにいた同じくわがた組の男の子に声をかけた。


「ケイスケくん、ユイカちゃんとボール遊びやらない?」


「やりたい!ユイカ、いっしょにやろう!」


よし、と心の中でガッツポーズをするも、しかしそううまくはいかなかった。



「ワタシ、先生とやりたい」


そんな言葉と同時に僕はユイカちゃんの手を無理やり振りほどいてしまった。たぶん、だれが見ても無理やりとわかるほど力が入っていた。


足早にその場を去る僕の背中を、きっとユイカちゃんはずっと見ていたのだろう。


「行っちゃったね。電話かな」


事情を知らないケイスケくんがそうつぶやく。


じゃあボールで遊ぼう、と彼が話しかけようとユイカちゃんの顔を見ると、その目はガラスでコーティングされたかのように白く艶めいていた。身体は小刻みに震え、頬は赤く染まっている。褒められている時よりも、幾分赤い。


「ユイカ、泣いてんの?」


ケイスケくんの問いかけに、うんともすんとも答えずただ震えるばかりだった。


「シュー先生、ユイカのこと、きらいなのかな……」


泣いてはいない。

けれど目の前はぼやけて、地面に落ちるボールの影がいつもより黒く見えた。







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