第6話 取引

 その後も、蒼とアークの『念話』での対話は続いていた。椅子に腰かけ、テーブルに向かい合って座る2人。『念話』の特性上、アークは蒼に触れていないといけないため、アークが足を延ばして素足を蒼の膝の上に乗せて触れる状態にしている。これでは疲れるだろうと思い一度休憩しても良いのではと提案したものの、アークの反応は気にするなという事だった。好奇心が抑えられないのだろう、時々触れる足を変えながらもたくさんの質問を蒼にぶつけてくる。それから2時間が経過した頃、ようやく終わりを迎えようとしていた。


『ああ、君の話は中々面白い。出来る事なら、ぜひとも実際に君の世界も見てみたいものだ。』


 そう言ってアークはグラスに水を魔法で注ぐと、一口飲んで一息つく。手から水を出すことくらい、この世界の人間からしてみれば朝飯前だという事らしいが、見慣れないうちは驚くことが続きそうだ。


『やっと終わった……。そろそろ、こっちからも質問したいんだけど。』

『いいとも。でもその前に食事にしよう。君もゾンビじゃないなら食べるだろう? 』

『食べる‼ 』


 この世界に来てから一度も食事をしていなかった蒼にとって、その言葉はかなり嬉しいものだった。気絶していたことでこの世界に来てから何日経ったのか分からなくなったが、多少緊張が解れたことで空腹を強く感じるようになったのは確かだ。


『とはいえ、今は街で買ったものくらいしか無いからあまり期待はしないでくれ。』


 そう言ってアークは、頭上に展開した魔方陣から一辺30㎝くらいの立方体で黄緑色の果実を2つ取り出し、その中の一つを蒼に渡す。


『それ、何でも出てくるよな。』

『ああこれかい? 魔道具の一種だよ。私が今はめているこの指輪は独自の亜空間を内包しているものでね、これに魔力を送り込むと自由にその亜空間に接続できる。収納できる量に限界はあるが、荷物をこれだけで持ち運べると考えれば中々便利だろう。ちなみに私が作った。』

『そりゃ凄い。』

『ふふふ、そうだろうそうだろう? 詳しいことは話せないが、アークちゃんのスーパー技術とでも呼んでくれたまえ。』

『アークちゃんのスーパー技術ねぇ……それじゃあまぁ、いただきます。』


 蒼は貰った果実にかぶりつく。蒼が食べ始めたのを確認したところで、アークも果実を食べ始める。シャリシャリとした食感に、甘味よりも強い酸味、元の世界で言うと蜜柑の味に似ていた。例えるなら蜜柑味の林檎といったところだろうか。ちなみに、齧った後の断面はオレンジ色だった。


『まあまあかな。』

『別に特別な果実でもない、不味くなければマシだ。』

『そっか。でも、一日以上何も食べて無かった身としては食べれるだけでもありがたいよ。』

『そうかい。それで、君の聞きたいことは何かな? 』


 そう言うとアークは果実を齧り不敵な笑みを浮かべる。自分の知りたいこと、それはもう考えるまでも無い。


『元の世界に帰りたい。だから、帰る方法を知っていれば教えて欲しい。俺は別に、来たくてこの世界に来た訳じゃないんだ。』


 それは、今の蒼にとって何が何でも一番知りたいことだった。人殺し以外なら何でもしてやる、それくらいの度胸が今の蒼にはあった。


『元の世界に帰る方法か……。確かに、今の君なら喉から手が出るほど知りたい情報だろうね。』

『ああそうだ。どうすれば元の世界に帰れる? 命を落とす前にこの世界から脱出したいんだよ。本当にマジで‼ 』

『必死だねぇ。』

『だって俺この世界じゃゾンビなんだろ? そんな状態でフラフラ歩いてればあの時みたいに現地人に殺されるちゃうし、俺はまだ死にたくない。で、どうなんだ? 』


 アークの返事に蒼は期待する。この世界じゃ魔物扱いされる自分が今こうして現地人と殺されもせず話せているのは奇跡のようなものだ。この世界の言葉を話せない自分ではきっと、この機会を逃せばもうまともな会話にいきつく前にサクッと駆除されて終わるだろう。しかし、そんな蒼の期待とは反対に、アークは目を瞑り腕を組んで首を左右に動かすと、一度蒼から触れるのを止め眉間に皴を寄せて困ったような表情をしてしまう。そして、考えがまとまったところでアークは右足で蒼の膝に触れる。


『残念だけど、私には分からないよ。君の世界に帰る方法……言い方を変えればそれはこの世界から違う世界へ行く方法だ。そんな魔法は私の知る限り、この世界には存在しない。』

『そんな……。』


 アークの答えに、蒼は冷や汗を流して落胆する。この世界には存在しない、その一言は今の蒼を絶望させるのに十分だった。帰る方法が無ければ帰ることは出来ない。つまりは、残りの人生をこの世界で過ごさなければならないことを意味する。まだまだ日本の娯楽を満喫したかった蒼にとって、それは耐えがたいことだった。このままこの世界にいればいずれ殺される、かといってこれまでの対話でアークは自分のことをずっと面倒見てくれないことは分かっている。言葉も話せない、魔法も使えない、お金も無い、これでどうやって生きていけばよいのか。蒼が顔を青くして思考を停止しそうになったところで、アークはまだ話は終わっていないと言わんばかりに注意を向けるように手を大きく2回叩く。


『だが、君の話した話が全て本当なら、私が知らないだけできっと何かあるんだろうね。そうだな……希望的観測だが、君があの時追いかけていたという着ぐるみを着た人間。その人物なら何か知っているんじゃないか? 』


 アークの言葉で、蒼は頭の中で自分があの時見た着ぐるみの姿を思い出す。あんな格好で本屋の中を出入りするのは普通じゃないと思っていたが、その正体が異世界人となればあの格好で行動するのも納得がいく気がする。


『あいつか……。』

『そうとも。』


 確かに、アークの言う通り自分の追いかけていたあの謎の着ぐるみなら何か知っている可能性が高い。そいつがこの世界の人間なら、あの時自分のいた世界に存在したこと自体がこの世界から自分の世界へ行けたことを証明している。これなら自分も元の世界に帰れるかもしれない。しかし、そう思ったところである問題にぶち当たった。


『ただ、手掛かりも無しにこの世界中からたった一人を探し出すなんてどうしろって言うんだ……。』


 ある問題……それは、そいつの居場所が全く分からないという事だ。外見だけを手掛かりにして徒歩で探す……おまけに現地人と会話が出来ない条件付き。それは流石に無理だ。根気強く探しているところに現地人に襲われるか行き倒れて死ぬか未来が見える。蒼がモヤモヤしていたところで、アークは待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑った。


『さあ‼ そこで取引といこうじゃないか‼ 』

『うわ、何だよ急に声デカいな。』

『そんな君に、喉から手が出るほど欲しくなるような手掛かりに使える道具を作ってやろう。』


 それは今の蒼にとって大変ありがたい提案だった。しかし、取引という事は当然何かを要求される。果たして、今の自分に対価を支払えるのだろうか。


『マジか⁉ ……でも取引だよな。内臓よこせとか言われたら流石にうんとは言えないぞ。』

『いやいや、そんな生々しい物は要求しないさ。私が欲しいのは、君の持つスマホというヤツだよ。異世界の技術なんてそうお目にかかれることは無いからね。私の提示する条件は、スマホの使い方を全て私に教えた上で私に譲ることだ。それで君に道具を作ってやる。目玉や腕一本を要求されるのと比べれば、別に悪くない条件だろう? 』

『それはそうだけど、スマホかぁ……。』


 スマートフォン……それは蒼にとって数少ない所持品であり、個人情報の塊みたいなものでもあった。仮にそれを渡したところでインターネットの無いこの世界じゃ悪用されることは無いだろうが、元の世界に帰った時に無いと困るのもまた事実。正直、あげたくないのが本音だが、手掛かりが無ければそもそも帰る希望すら持てないこの現状に選ぶ余裕は無かった。


『うーん、惜しいけど背に腹は代えられないしな。分かった、その条件飲むよ。だから道具を作ってくれ。』

『決まりだ。』


 その後蒼は、自分の知る全ての使い方をアークに丁寧に教える。とはいえ、流石に通信環境の無いこの世界ではインターネットや通話は使用出来ないため、それらに関しては実際に見せることは出来ず説明だけに留まった。それでも、カメラ、録画、録音などインターネットが無くとも使用できる機能は全て教えることは出来たため、アークは満足そうな表情を浮かべていた。


『一応俺の知る全ては教えたけど、これバッテリーで動いてるから充電出来ないといずれ使えなくなるぞ。』


 現時点で残りバッテリー残量は41%、このまま使い続ければ余裕で明日までは持たないだろう。しかし、アークの満足そうな表情は揺るがない。


『ああ、それについては心配無用だ。君から貰ったこれは後で私好みに使えるよう勝手に改造する。手始めに魔力で動くようにしてみようかねぇ。』

『それ大丈夫かよ。もし壊しても俺は直せないからな。』

『フフフ、私は天才だからそうはならないさ。もし壊れても魔法で元通りに出来るしね。』

『また魔法か、便利だよな。』

『この世界じゃそんなに珍しがることでもない。私達が魔法を使うのは、鳥が空を飛んだり、魚が海を泳いだりするのと同じことだ。』

『そっか……。』

『さて、今日はもう夜遅い。今日のところはここに泊っていきたまえ。』

『ありがとう助かる。と思ったけど、寝てる間に俺を標本にしたりとかは……。』

『しないしない。君のことは少し気に入ったし、そんなことを考えるようならとっくにやっている。それじゃあお休み。あ、この本は少し借りていくよ。』


 そう伝え蒼から離れると、アークは蒼の漫画を持ったまま部屋から出て行ってしまった。


「とりあえず寝るか。」


 今いる部屋には窓が無いため外の景色は見えないものの、アークの話が本当であればもう夜遅いという事らしい。今の自分の置かれた状況を考えれば不安と恐怖で夜も眠れなくなりそうだが、こうして今生きているだけでも幸運なことだ。そう考えることにした。明日のことは明日生きていれば考えればいい、そう自分に言い聞かせることで蒼は最初に乗っていた机の上で本を枕にしてゆっくり眠りについたのだった。

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