第5話 対話

「おい蒼、遅いぞ。」

「隼太? 」


 目の前には自分の親友、隼太が立っていた。気づけば、自分はあの時隼太と一緒に足を運んだ本屋の前にいる。いつも通りの光景、いつも通りの日常、自分が望んでいたものがそこにはあった。


 あれ? 俺は確か、さっきまで異世界に……。


 頭に靄が掛かっているような感じがして上手く考えることが出来ない。大事な事が頭から抜け落ちているような感覚で、何だかもどかしい気分だ。


「遅いって、何がだよ? 」

「はぁ? 何がってお前ボケたのか? 」

「? 」


 隼太はポカンとしている蒼を見て呆れると、溜息をついて首を左右に振って見せた。


「お前、着ぐるみ不審者に落とした本届けようとして走っていっただろ? 」

「着ぐるみ、不審者……あっ。」


 そこまで言われて蒼はハッと思い出す。


 そうだ、俺は本を届けるためにそいつを追いかけて……。でも、結果は届けられなくて知らない世界に迷い込んで……なら、どうして今俺はここにいる?


 だが、どんなに考えても頭の靄が思考の邪魔をし、中々答えに辿り着かせてくれない。しかし、今が現実で、自分があの時の本屋の前にいて隼太が目の前に立っているとすれば、きっとそういうことなのだろう。そういうことの……はずだ。


「やっと思い出したのかよ……。」

「なあ隼太、ここって日本だよな? 」


 親友の分かりきっている質問に隼太は首を傾げると、本当にどうかしてしまったんじゃないかと思い困惑した表情をしてしまう。


「はぁ? そんなの当たり前だろ? お前本当に大丈夫か? 」


 そうか、ここは日本なのか。日本、なのか……。


 そう思った瞬間、蒼の目からボロボロ涙が溢れ出した。


「いや、本当に大丈夫かよお前⁉ 」


 突然泣き出した親友の姿に、思わず隼太は動揺する。いくら付き合いが長いとはいえ、普段泣くことのない大人が急に泣き出したとなれば誰だって驚きもするだろう。蒼はこの時ほど嬉しく、安心したことは無かった。両手でボロボロと溢れ出る涙を拭いながら、蒼は親友を心配させまいと必死に笑顔を作る。


「いや、何でもない。何でもないんだ……。そっか、そっか……。」


 相変わらず頭の中に靄が掛かったままだが、そんなことはもう些細な事だ。自分は元の世界に帰って来た。その事実だけで十分だ。


「いい年して何泣い………。」


 ゴトッ


 突然、不自然に隼太の会話が止まった。


「? 」


 急いで涙を拭き終えて前を見ると、そこにはなんと首から上が無い隼太の姿があった。断面からは血が吹き、身体はすぐその場に倒れてしまう。


「お、おい……隼太? 隼太‼ 」


 蒼の問いかけに隼太は何も答えない。いや、答えられるはずがない。たった今、隼太は首を切られて死んだのだ。


 どうしてこんな⁉ 俺の親友をよくもっ‼


 この状況に憤りを覚えた蒼は隼太の後ろにいた犯人に目を向ける。が、しかし。


「な⁉ 」


 隼太を殺した犯人の姿に蒼は戦慄する。そこにいたのは、見覚えのあるフード付きの山吹色のマントを着た謎の人物だった。その瞬間、頭の中の靄が晴れこれまでのことが全て思い出され、今の状況に蒼は絶望する。


「な、何でお前が……。」


 謎の人物は何も言わない。その代わり、不気味な雰囲気を醸しながら前と同じように何もない場所から魔方陣を展開してショートソード取り出し、ゆっくりと蒼に近づいてくる。


「やめろ来るな……。」

「……。」

「あっ⁉ 」


 そんな蒼の言葉も無視し、一瞬で蒼の後ろに回り込むと謎の人物は蒼に向かって剣を素早く振り下ろそうとする。そして。


「うわあああああああ⁉ 」


 ショートソードが頭に当たる瞬間、蒼は目覚め叫びながら飛び起きた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。あ、あれ? 夢? 」

 

 気づけば、さっきまでいたと思っていたショートソードを持った謎の人物はどこにもいない。周りを見渡せば本、本、本の山だ。本はボロボロで古そうなものが多く、古い紙の匂いが蒼の鼻を刺激した。


 匂うなここ……。なんだよ、俺は別に元の世界に帰れたわけじゃなかったのか。でも、アレ夢じゃなかったら隼太死んでるし普通にダメだな。


 蒼はまだ自分が異世界にいることにガッカリするも、あの光景が夢であったこと、自分が生きていることに一先ず安堵する。


「ここは何処だろう? って、手足縛られてるし。」


 動き出そうとしたところで、手足が発光した縄で縛られていることに気づく。一応力を入れて引き千切ろうと試みるも、縄はビクともしない。と、そこへ。


 バタン


 後ろから扉が開閉する音がした。振り返ってみるとそこには、見覚えのあるフード付き山吹色のマントを纏った謎の人物が立っていた。今は夢ではなく現実。つまり、今度は本物だ。


「うわあああああああああ⁉ 」


 ガタン‼


 蒼は驚いて急に飛び上がった勢いでバランスを崩し、乗っていた机から転げ落ちてしまう。左肩を床に強打し、手足を縛られたままグネグネ動いて痛みに悶え苦しむ蒼。それを謎の人物は無言のままただ見つめていた。


 痛たたた……。意識を失った後の記憶は一切無いけど、察するに俺を気絶させた本人が自分の手足を縛ってここまで運んできたってことだよな? でも、理由が分からない。


「なあアンタ、俺をどうするつもりなんだ。目的は何だ? 」

「@!#$&%、#$@。」


 蒼の話したことに対し、謎の人物は何か答えているようだが、この世界の言葉が分からない蒼には何を言っているのか理解出来ない。


 ダメだ、言ってることが全然分からない。こういう時どうすれば……。


 と、悩んでいたところで先に謎の人物が動く。動けなくなっている蒼の元まで歩くと、こちらに手を伸ばしてきた。


「な、何を⁉ 」


 抵抗しようと試みるも、手足が縛られているせいで思うように動けず芋虫のようにグネグネ動く蒼。それを見た謎の人物は特に反応を見せず、伸ばした左手をそっと蒼の腹部へ置いた。その瞬間、蒼は恐怖で硬直し、今度こそ死を覚悟する。


 あ、終わった。これ、このあと魔法でお腹バーンされて殺されるやつだ……。


『驚いた、魔物のくせに人間みたいに考えるじゃないか。』


 突然、蒼の頭の中に女性の声が響いた。不思議なことに、初めて聞く言語のはずなのになぜか意味はしっかりと理解出来ている。


『え⁉ なんか声が頭の中に響くんだけど怖⁉ 』

『怖って、君……。『念話』だよ『念話』。』

『ね、念話ぁ⁉ 』

『知性ある生命体となら意思疎通が出来るようになる魔法さ。まぁ、基本はこうして互いが触れている間だけに限られるがね。』


 そこまで聞いた時、蒼は少し落ち着きを取り戻した。これまでの時と違い、会話のような物が成立していることが大きかったのだろう。


『…………ひょっとして、この状態だと考えたことがそのまま相手に伝わったりする? 』

『おー飲み込みが早い、その通りだよ。こんなゾンビは初めてだねぇ。ゾンビにしては感情表現が豊かだと思って生かしてみたが、殺さないで正解だったようだ。』

『いや殺すな殺すな。というか、さっきから魔物だのゾンビだの人を化け物呼ばわりして、なんか酷くないか? 』

『…………。』


 その瞬間、謎の人物は数秒無言になった。何か良くないことを言ったんじゃないかと不安になった蒼だったが、次に蒼が何か考える前に謎の人物が『念話』を再び再開する。


『人? 今君は自分のことを人だと言ったのかい? 』

『そうだけど、それがおかしいのか? 』

『ククク……フフ……アハハハハハハハ‼ 』


 蒼の答えを聞いた瞬間、謎の人物は右手を蒼の腹部に当てたまま可愛らしい声で笑い出した。


『何だよその反応。何も面白いことなんて無いだろ。』

『人⁉ 君が人間⁉ 何を言い出すかと思えばフフ、鏡を見てから出直して来たまえ。』

『何かムカつく……。鏡ある? 』

『あるとも。』


 そう言って謎の人物は上に左手を翳して魔方陣を展開し、その中から手鏡を取り出す。そしてそれを蒼の顔に向け、蒼は鏡を覗いて自分の顔がどうなっているのか確認する。すると、顔は別に人外に変わっている訳でも無く、かといって怪我をしている訳でも無い、普段と変わらない自分の顔のままだった。これのどこが人間じゃないというのか。


『なんだよ、いつも通りじゃないか。この見た目でどこが人じゃないって言うんだ? 』

『ふーむ、ゾンビには理解できないか……。いいかい? そもそも人間って言うのは私たちと同じ言葉を話すし、それに身体から魔力が薄っすら漏れ出て見えるものだよ。それに対して君はどうだい? 君の身体からは魔力が一切出ていないし、それどころか感じることさえ出来ない。常識に当てはめれば、そんな君が生きた人間だなんてありえないことだ。』


 どうやら、この世界の人間というのは魔力を持つのが当たり前らしい。そしてその口ぶりから、この世界の人間には魔力は目で見ることが出来るのだろう。


『そう言われたって仕方ないだろ? 俺は元々この世界の人間じゃないんだからさ。アンタと同じ言語が話せないのも、魔力が一切無いのも当然だ。』


 蒼の話に、謎の人物は眉をひそめた。しかし、顔はフードで隠れているため蒼にそのことは分からない。


『この世界の人間じゃない? じゃあ君はまさか、こことは違う世界から来たとでも言うつもりかい? 』

『そうだよ、自分でも信じられないけど……。落とし物を届けるために着ぐるみを追いかけてたら、気づいたらこの世界に来てた。どうやって来たのかなんてこっちが知りたいくらいだ。』

『……それ、証明できるかい? 』


 さっきまで能天気だった謎の人物の声のトーンが真面目なトーンに変わる。言ったらダメだったんじゃないかと一瞬不安を感じた蒼だったが、自分が魔物じゃないことを証明するためにも今自分に出来ることをやろうと決める。


『うーん……一応出来るけど、その前にこの拘束解いてくれない? 』

『いいだろう。もし変な真似をすれば……。』

『する訳無いだろ。こっちは丸腰な上、魔法だって使えないんだぞ。』


 パチンッ‼


 謎の人物が指を鳴らした瞬間、蒼の手足を拘束していた魔力製の縄が消える。謎の人物の手は意思疎通するための都合上まだ自分の腹部に触れられたままだが、これで自由に動ける訳だ。


『ちょっと立っていい? 』

『どうぞ。』


 蒼は早速、謎の人物の手が腹に触れたまま立ち上がると、ズボンのポケットからスマホ、ズボンの中からあの時拾った本を取り出して見せる。


『証明って言っても、俺に今出来ることは所持品を見せることぐらいなんだけど。こういうの、この世界にある? 』


 そう伝え、蒼は謎の人物にスマホと漫画を手渡した。


『なんだこの板は……初めて見るものだ。そしてこの本の文字も見たことが無い。』


 謎の人物はスマホと漫画に興味津々だ。只渡しただけなため、使い方の分からないスマホは持ちながらいろんな角度から眺める程度だったが、漫画に関しては中身を見るために包装されていたビニールを全て取ってしまった。


『それ人の物だったんだけど……まぁいっか。あとこれかな? 』


 さらにポケットから取り出した財布から千円札を一枚出して見せる。


『この紙は? 』

『俺の住む国で使えるお金。ちなみに、これに描かれた偉人はノグチさんだ。』


 そこまでやり取りしたところで、謎の人物は魔方陣を上に展開してスマホと漫画を投げ入れると、大きく溜息をつき唸っていた。


『この『念話』下では互いに嘘はつけない……。信じ難いことだが、君の言う事は本当のようだね。』

『いや、なにちゃっかり自分の物にしてるんだよ。返せよ、特にあの漫画は唯一の手掛かりなんだから。マジで。』

『…………。』


 蒼にそう言われた謎の人物は再度魔方陣を展開し、先ほど投げ入れたスマホと漫画を取り出すとそれを蒼に渡す。


『最初は襲ってきたり、人を化け物扱いするヤバい奴だと思ってたけど、素直に返してくれるあたり、案外悪い人じゃないのかもしれない。』

『失礼な、聞こえているよ。』

『うげ⁉ ホントなんでも伝わるなこれ。』

『だからこそ、この魔法を人に使うとあまり快く思われない訳さ。』

『そりゃそうだ。それでアンタ、これから俺をどうするつもりなんだ? 』


 もしかすれば、珍しい材料として非人道的な何かの実験にでも使われるんじゃないかと蒼は心配したが、意外なことに相手にその気は無いようだった。


『そうだねぇ……。ひとまずは、異世界から来たというなら色々と話を聞かせてもらおうか。』

『え? あ、まあ……それならいいか。そうだ、まだ名乗ってなかったな。俺の名前は蒼下蒼。蒼でいい。アンタの名前は? 』

『アーク・スティンガー。アークと呼んでくれ。』


 そう言ってアークは蒼に向けて右手を出してきた。握手という意味だろうか? 少し不安だったが、とりあえず立ち上がって蒼も出された右手を右手で握る。その握った手は思ったよりも小さく、少し柔らかみがあった。


『聞こえる声からなんとなく察してたけど、アークってもしかして女? 』

『ああ、ちゃんと顔は見せた方がいいか。』


 そう言ってアークはフードを取って、自分の顔を晒す。フードの下の顔は、山吹色の長髪で、瞳は綺麗な緑の碧眼をしており、整った顔立ちをした美人であった。


『美人さんだな。』

『このくらい、この世界じゃ普通だよ普通。』


 アークのセリフが本当であれば、この世界は美男美女揃いなのかもしれない。

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