2016年【隼人】57 この愛には触れられぬ秘密がある

 助手席の足元に、遥の化粧ポーチが置いてある。普段、化粧をしているところを見たことがないので、おそらく中には化粧道具ではないものが入っているはずだ。ペアリングの相方も保管されていそうではないか。

 たしか、ポーチには貼り紙がされており『絶対のぜーったいに、見てはいけないから』と書かれていたはずだ。これしかもう怪しい場所がないので、中を漁らせてほしいのだが。これ以上、遥との約束を破るのも嫌だ。


 と、よく見れば、貼り紙の注意書きの文字が日焼けで消えている。

 白い紙を貼っているだけならば、別に見てもいいだろう。

 女の子の見てはいけないものを覗く。

 朱美や撫子の口ぶりから、生理用品は出てこないはずだ。


 ひと思いにポーチのチャックを開ける。リング状の丸いものがすぐに目に飛び込んできた。ただ、こんな風に輪っか状で袋に入っているものが目的のものではない。

 おおかた朱美に渡されたのだろう。だとしても、車内に置いといてダメになったりしないのか。正常がどういうものなのかわからないので、判断がつかないものの、とりあえずポケットに入れておく。


 大事なものをしまったところで、隼人は気配を感じた。

 フロントガラス越しに、赤いサングラス男が立っていた。

「疾風さん?」

「お前は、サングラスで人を判別してんのかよ」


 手近だった助手席のドアを開けて、ガラスを隔てずに顔を確認する。

「どうもです、ユウジさん」

「ああ、久しぶりだな」

「そんなに時間がたってないですよ。別れたの、さっきですからね」

「お前に言ってねぇよ。疾風の兄貴のMR2に言って――たら、なんかノスタルジーにひたってるみたいで気持ち悪いな」


 気持ち悪いとかどうでもよくて、もっと重要なことを訊きたい。

「疾風さんのこと知ってるんですか?」

「ああ、オレの姉貴と結婚する予定だった」

「え? ユウジさんの苗字って、もしかして久我だったりします?」

「名乗りたくねぇ苗字だけど、久我とはちがう」

「そうですよね。だって、朱美ちゃんが末っ子のはずだし。いや、でもだったらなんで?」

「隼人の言いたいことは察したぞ。姉貴と付き合う前に兄貴が結婚直前までいった相手がいたってきいたことあった」


 駐車場から神社の境内に続く石階段を見上げながら、ユウジはサングラスを外す。

「そっか。この神社で車を預かってるのは、そういうことなのか」

 裸眼でMR2を見つめながら、ユウジは素手より先に、サングラスを車体に触れさせる。


「にしても、色々とちがうな」

「室内に持ち込んで改造してますから。生活感ありすぎて、ユウジさんが乗せてもらってた頃とちがうのも無理ないですかね」

「そういうんじゃなくて、助手席のドアが外れてないし、タイヤの魔改造もされてないんだよ。サンダーバードの時とは、同じ車種でもやっぱ別物だったってことか」


「興味深い名前が出てきましたね。サンダーバードの時ってのは?」

「二〇一三年に、槻本山でサンダーバードに関わる事件が起きたんだよ。オレがジョリティーや獣の烙印を知ったのは、あの時が初めてだったな」

「この道、何十年のベテランって貫禄があるのに、まだそんなものなんですね」

「そういうなよ。烙印に直接的に関わった中じゃ、長生きしてる方なんだよ。サンダーバードの烙印に刻まれて、オレのせいでその日のうちに死んだ仲間もいたぐらいだからよ」


 ユウジがサングラスをかけ直す間に、隼人はとんでもないことに気づく。

「てか、サンダーバードもジョリティーで、ネッシーと同じように獣の烙印があるんですか? ありませんよね? ないですよね?」

「なににこだわってるのか知らんが、サンダーバードもジョリティーだ。獣の烙印で人間を呪える。だからこそ、お前が烙印で繋がってる相手には、きちんと話してるほうがいいぞ。じゃないと、長生きできねぇからな」

「長生きするために、自分が最低だって、きちんと遥に話せってことですね」


「ん? 最低ってのはなんだよ? オレが知ってるクソどもとタメはるようなエピソードがあるんなら聞かせろよ」

「自分より下の最低野郎がいたとしても、自分が嫌になったのは変わりませんよ」

 助手席でうなだれている隼人の顔を見ながら、ユウジは運転席に腰かける。

「いいか隼人。いまから疾風の兄貴っぽいことを言うぞ――て、てめぇの心の中に閉じ込めるな。とにかく、話してみろ」


 宣言してからでないと、ユウジは兄貴ぶれなかったようだ。こっちは言いにくいことを口にしたから、隼人も続けと不器用に背中を押しているのは伝わった。

「遥は小学生のときに『サンダーバードを見た』って話したことで、イジメられてた時期があるんですよ。僕だけがそれを信じて、助けた。なのに、僕に烙印が刻まれることはなかったなんて」

「その子が、サンダーバードを見てなかっただけだろ。よくあることだ」

「失礼ですね、見てますよ。少なくとも、あの頃の遥は嘘をつかない」

「むしろ、つくはずがないって信じたいって口ぶりだぞ」

「そうかもしれませんね。信じたかったのに、信じられてなかっただなんて。最低だ」


 当時の遥は、信じてくれる隼人を好きだと言ってくれたのだ。

 好きの言葉が嘘でないならば、遥は真実しか口にしない。だから、サンダーバードだって存在するという話も嘘ではない。好意を疑わないためにも、全てを信じたかったのに。本当は、心のどこかで疑っていただなんて、最低だ。


「そんなしょんぼりすんなよ。ひょっとしたら、別の誰かが隼人より先に信じたのかもしれねぇだろ」

「それで遥が生きてるってこと、ありえるんですか?」

「安全な距離ってのは、人それぞれでちがうからな。ちなみに、隼人と遥の範囲は短いほうだ。とはいえ、誰かが先に信じたってのも可能性は低い。おそらく、誰にも信じてもらえないまま、いままで来たって線が濃厚なんじゃないのか」


「あいつは、信じないって嘘をつきながらも信じてくれたんですよ。それで、僕は『獣の烙印』が刻まれて、なんなんだよ、ちくしょう。遥って、女心って、難しすぎるでしょ」

「UMAが実在して、色々あった結論が、女心が難しいってのは、なかなか面白いな」

 たしかに、UMAと関わって大事なことを学んだとして、結論が女心って難しいっていうのは、なんだかおかしい。

 でも、一般的にずれていても、隼人の中心は久我遥なのだ。


「ユウジさんって彼女とかいるんですか?」

 唐突な質問だが、相談に乗ってくれている兄貴分は、逃げたりしない。

「片腕がなくなるような目にあっても生き残ったのは、もう一度だけでもいいから会いたい女が岩田屋にいるからだからな」

「帰ってきてから会いました?」

「いざ会うとなると、なんて話したらいいかわかんねぇからよ」

「なにもこわくないって感じなのに、ユウジさんは自分をさらけ出したときの、相手の反応がこわいんですね?」

「かもな。女心ってのはわからねぇし」


 いくつものUMAに到達した男にとっても、異性は未確認生物らしい。

 だからこそ、UMAハンターは不確かなものをみつけようとする。

 いままさに、隼人は化粧ポーチから存在すると信じていたものを発見する。

 ペアリングの片割れ。こちらもペンダントトップとして、遥が紐をつけてくれている。

 リングと一緒に、四つ折りにされたメモ用紙が添えられている。


 メモに書かれていたのは、とりとめもない言葉だ。

 ――とどのつまりを知ってる。

 他の人がいったら聞き流すのに、遥から言われたら、意味のある最高の言葉に変化する。二人の歴史があるだけで、表の意味をこえる言葉になるのだ。


「ユウジさんも、いまから好きな人のところに行くべきですよ。そこで、とどのつまりを知るべきなんですよ」

「なんだよ、それ。意味わかんねぇぞ」

 うまく説明できないことは無理に説明することなく、隼人はMR2から飛び出した。


 しばらく走って見えてきた久我家の本宅を横目にしながら、車が四台駐車されている車庫を目指す。

 遥と朱美の親子は、久我家の車庫の二階に住んでいる。2LDKの間取りで、トイレ有りの風呂なし物件として、遥が産まれた頃に車庫をリフォームしたらしい。電気ガス水道は通っているが、夕食や風呂などは本宅を利用している。


 車庫内のやたら音がする階段をのぼり、入口の前に立つ。チャイムを鳴らしても、ノックをしても反応がない。ドアノブを回してみると、鍵が開いている。

「ただいま。あ、間違えた」

 おじゃましますと言い直すことなく、隼人はリビングに直結している玄関で靴を脱ぐ。


「遥、いるよな?」

 返事はなかったものの、遥の部屋から、がたっと音がした。誰もいないリビングを横切り、しまりきっていない襖の前に移動する。

 面と向かってだと言いにくいことも、襖越しならばきかせられそうな気がする。


「さっき、倉田の前でキスできなかった理由があるんだ。それをきいてくれ」

 ペアリングのペンダントを隼人は握りしめる。襖の向こうで、遥も同じように握っていてくれたらと妄想するだけで、手を繋いでいる時のように嬉しくて力が湧く。


「お前がキスマークって疑ったものはさ『獣の烙印』ってものなんだ。岩田屋ネッシーっていうジョリティーっていうUMAっていうか、神様を見たせいで、僕は遥に触れたら死ぬ体になったんだよ。こんなこと言っても、信じてもらえないだろうし、なに言ってんだって思うかもしれないけど」

 思わず熱くなりすぎて、ざっくばらんに呪いの説明をしてしまった。

「そんでさ、サンダーバードもジョリティーらしいだ。つまり、遥も烙印が刻まれる可能性があったんだよ。なのに、そんな体の変化はないだろ?」


 烙印の説明がいまひとつだと思ったのならば、ここからは、ちゃんと言え。

 自分を肯定して、残酷な事実から目を背けるような真似だけはするな。


「あのとき、ヒーローぶっていた僕が、疑惑を持ってたってのは最低だろ。遥は逆に、僕が語ったネッシーの話をどうでもいいと言いいながらも、何の疑念も持たずに、信じてくれたしよ。その証明が烙印として僕に刻まれたんだと考えたら、このくそったれた呪いもいいもんだと思ってくるよ。うん、あれだな。首筋にあるし、烙印じゃなくて、遥からのキスマークみたいなもんとさえ思えてきた」


 反応はない。軽蔑されているのかもしれない。むしろ、軽蔑されて当然だから、もっとさらけ出せ。罵られる反応でもいいから、遥からなにかを引き出せ。下手くそでもいいから、全部みせろ。


「今日、UMAがUMAでなくなったと、僕は確かに感じたんだ。それって、とどのつまり、遥の話を信じていなかったって証明だろ? 遥のことを信じられないでいた奴が、いくら愛を語っても薄っぺらいだろ。遥、ごめんよ。本当に、ごめん」


 飛び出してきた遥に殴られてもいい。ただ、隼人の覚悟とは裏腹に、遥は沈黙を保っている。


「でもさ、本当にお前のことが好きなんだ。常識が改変されて、この気持ちに変化があったとしたら、もちろんプラスに転じてる。より一層、遥のことが大事になってる。決まってんだ。本当なら、言葉では言い表せないほどの思いがあるから、ふれあいを求めるべきなんだろうけど。でも烙印のせいで出来ないから、バカな頭で、なんか小粋な言葉をひねり出してみせるからよ」


 そろそろ何かしらの反応がなければ、隼人の精神的にも辛くなる。でも、もっと遥は傷ついているかもしれない。抱きしめてキスするほうが、どれだけ楽だろう。触れられないことの歯がゆさを、これからもたくさん感じるのだろう。


「目の前の部屋を隔てるのが襖ではなくてガラスなら、ガラス越しにキスしたい気分になってる。それは、この瞬間が、いままでで一番好きだからで。でも、これを言ってる直後に、もっと好きになってる。宇宙が広がるみたいに、思いが大きくなってる。僕はもう、この愛なしでは生きていけないからな。だから、覚悟してろ。くそったれの神から逃れた瞬間は、いまよりも、もっと愛してる。当然のように、無茶苦茶抱くからな」


 久我家の天の岩戸が開く。

 こじ開けたのは、子猫のみやむの肉球だ。

 その後に続くのは、隼人にとって女神である遥――ではなくて、その母親、朱美だ。


「そういうのは遥に言ってあげてくれる? 関係ないあたし相手のリハーサルですら心打たれたからさ、多分、遥も喜ぶと思うわ」

「いや、リハーサルっていうかバリバリ本番のつもりで言ったのに。なんで、朱美ちゃんが?」


「遥はいま、うちの神社で受け継がれてる初夜服のサイズが合うか試してるところなのよ。サイズが変じゃなきゃ、すぐに隼人のところに行かせようとしたんだけど、いまの話が本当ならやめさせないとね」

「あんなにつたない『獣の烙印』の話を信じてくれるんですね」

「稲妻禽観神社の伝説に、似たようなのがあるのよ。神の禽を見たものが、それをほかの人に話したら、烙印が刻まれて死んでいったって言い伝えね。遥も知ってる話だから、あの子も納得するかもしんないわ」


「だとしても、またあのテンションで同じ話はできないって。なぁ、みやむ」

 声をかけながら、隼人は子猫のみやむを抱き上げる。

「だから、みやむにパパからの伝言を頼んでいいか。遥ママに、とどのつまりを知ってる? ってたずねといてくれよ」

 朱美の部屋から、がたっと音がする。隼人の言葉に反応したようなタイミングだった。


「もしかして遥、朱美ちゃんの部屋で初夜服を着て待ってくれてます?」

「いないって。あと、仮にいたとしても、あたしの部屋でそういうことしたら許さないから。別の部屋で避妊するなら許すけどね」

「じゃあ、他の猫ちゃんが動いただけか」


 遥の家は猫を多頭飼いしているので、その可能性は高い。

 でも、隼人の抱っこから逃れたみやむが、朱美の部屋に向かうのだ。その足取りは、隼人からの伝言を忘れる前に、遥に伝えなきゃという使命感を帯びている。


 朱美が嘘をついているかどうかは、部屋を見ずとも確認できる。集中して遥のことを思えば、遥がいまいる場所の予想が『獣の烙印』のおかげで、つけられるのだ。

 とはいえ、ここで集中するのは無理だ。簡単そうに見えて、なかなか難しくて大変なのだから。


「最後の確認ですけど、遥はこの家にいないんですね?」

「しつこいね。見てのとおりよ」

「だったらもう、帰ります。遥がいないんだったら、人生に意味がないので」




 遥の家からの帰り道、MR2のところにユウジの姿はなかった。好きな人のところに行ったのかもしれない。だったらいいのにな、と隼人は自然と誰かの幸せを願った。


 運転席に腰かけて、目を閉じて集中しようとしたが、失敗する。

 この運転席で、集中して車を転がした疾風は、伝説の走りを残したのだろう。

 そんなことを考えている間は、目を閉じてもなにも見えてこない。

 MR2の中ではダメだ。ここは、隼人にとっては秘密基地ではあっても、聖域ではない。


 集中できる場所を探しながら帰宅すると、一番落ち着ける自分の部屋のベッドにたどり着く。

 目を閉じて集中すると、睡魔に襲われる。


 眠ってしまったのだと気づいたのは、目覚めたときだ。

 覚醒していない眠気眼を開けると、隣に遥がいてドキッとする。


 死に近づくとわかっていながらも、手を伸ばさずにはいられない。人が一人で生きられないからこその生命反応だ。


 隼人の手が触れたのは、遥が泊まるたびに枕の代わりに使うクッションだった。


 目覚めると好きな人が隣にいて、手を繋いで二度寝する。週末の度に出来ていたことが、いかに幸せだったのかを痛感した。


 とどのつまり、遥との日常が愛なのだと知った。

 目を開けた時に遥を独占できていれば『獣の烙印』から解放されても、目を閉じた時の遥をいまみたいに感じられるはずだ。


 呪いの中で得られた遥との繋がりにも幸せを感じるのならば、それすらも手放す気はなかった。遥の全部がほしい。

 欲張りな考えを現実にするために、いまなにをするべきなのか考えろ。


 いまの生活では、遥の手を握れない。

 ならば、代わりにコルトパイソンを握ろう。

 二人の愛が白けてしまわぬために、全てを撃ち抜いてやる。



  了

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