2016年【隼人】56 言葉より触れあい求めて
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朱美が迎えにきてくれると、西野はすぐに立ち去った。
その間、気まずく突っ立っていただけの隼人と遥の第一声が仲良く重なる。
「「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」」
「なにをあらたまってるのよ。子供のうちは、なんかあったら保護者を呼ぶのはいい判断よ。賢いあんたらをあたしは誇りに思うわ」
とは言うものの、朱美は暇だった訳ではないのだろう。料理の際にしか身につけないエプロン姿のまま、軽自動車で駆けつけて来てくれたことからも予想がついた。
昼のはやい時間から料理をする際は、いつも仕込みが大変なメニューが用意される。手の込んだ朱美の料理に外れなし。久我家の晩ごはんににお邪魔したいのだが、食事中に醤油をとろうとして、遥と手が触れたらしゃれにならん。
そもそも、危険なのは食事時だけではない。車内もやばいぞ。
「どしたの隼人? はやく乗りなさい」
隼人と遥は後部座席に乗るのが常だ。運転手の目を盗んで何をするでもないのだけれど――いや、バレないように遥を触っていました。ガタガタの道路を走るときに、さわさわと。
助手席側の後ろのドアから乗り込んだ隼人は、定位置である運転席の後ろまで席をつめる。
ドアを開けっ放しにしていると、遥が鞄を隼人に投げつけてきた。仕切り代わりに、後部座席の真ん中に鞄を置いたところで、遥がドアを閉めた。どうやら遥は、助手席に乗るようだ。ひと安心だけど、残念。複雑な気分だ。
運転席に乗り込んだ朱美と目が合ったらしく、助手席でシートベルトをしめた遥が口を尖らせる。
「何も言わないでよね、お母さん。色々あるんだから」
「わかってる。いっちょまえに、汗くさいって思われて嫌われたくないとか考えてるんでしょ?」
「ちがうわよ。そこらはスプレーでなんとかなってるもん」
遥の鞄から陸上部の練習着を取り出して、隼人が匂いを鑑定する。スプレーの効果かわからんが、結果を発表する。
「最高かよ」
「なにが最高なのよ。ほんとやめて。バカなの?」
車を発進させようとしていた朱美は、後部座席に身を乗り出そうとする遥の体を片手でおさえつける。
「ミラーで後ろが見えんでしょ。運転の邪魔よ、邪魔」
「だって、隼人が。あたしの」
「いちゃつくんだったら、二人で後ろにいてくれた方がいいんだけど」
「べ、別に、いちゃついてないし」
「隼人も隼人ね。そんな服で満足なの? 男なら、もっと上を目指しなさいよ」
「朱美ちゃんのいう通りかもしれん」
どうせなら抜け殻ではなく、遥自身の匂いを堪能したい。それこそが、もっと上だ。
「くんかくんかやめたんなら、はやく片付けてよね」
「じゃあ、きちんと畳んでから」
「ぐちゃぐちゃでいいわよ。あたしのくさい服をこれ以上、触ってほしくないの」
「だから、くさくないって」
「うっさい。はやく戻して」
「へいへい」
遥の指示通りに動く隼人を見てなのか、バックミラー越しの朱美が笑っていた。
ゆっくりと動き出した車には、一昔前の音楽が流れている。そのボリュームを絞ると、朱美の声が優しく響く。
「相変わらずの二人に戻ってるようで、ひと安心ね。これでも、一週間前から遥の様子が変だったから、心配してたんだから」
さすが朱美は母親だ。なんだかんだで、ちゃんと娘の遥を見守っている。
「あんたらの場合、喧嘩なら心配しないんだけど、そうじゃないからこそ、ややこしくなってそうだったしね。こういうとき、明日香さんに相談できたらって本当に思うわ」
浅倉明日香、隼人の母親。朱美と同じように、いつだって隼人らのことを見守ってくれているはずだ。天国からではあるが。
「てかお母さんの口振りだと、喧嘩ならいいんだ?」
「二人には、仲直りの魔法の言葉があるでしょ」
「子供のときの話じゃん、それ」
「いまも子供だろ、ってのは置いといて。しっかり覚えてんだね。なに? 遥は幼いながらに意識して、いまに至るって感じ?」
「だってさ、隼人。さっき喧嘩っぽくなってたから、魔法の言葉を口にするなら、いまがチャンスよ」
言い争いで朱美に勝ったことのない遥は、当然のように隼人を巻き込んできた。
「とはいっても、ガキの頃と違って、いまじゃ気楽には口に出せないっての」
結婚するから、仲直りして。そんなプロポーズじみた言葉をいつも遥に伝えていたのだ。
「本当に覚えてるの? 忘れてるくせに、ごまかしてるだけじゃないの」
「なんで、疑うんだよ。だいたい、遥こそ覚えてんのか本当に?」
「覚えてるから、嘘つかれてたってのを痛感してるんだけど。こんなことになるんだったら、あのときも、あのときも、仲直りせず絶交してたのに」
どの時のことを言っているのだろう。絶交の危機は、隼人が覚えているだけでも二回では足りない。
「むっちゃキレてるじゃん、遥。もしかして、隼人に二股されたの?」
「きいて、お母さん。二股じゃないけど、隼人に恋人はできたみたいなの」
「だまされないで、朱美ちゃん。僕に恋人はできてない。遥とちがって、フリーだよ」
「ん? まず遥が浮気したってこと?」
「浮気ってもちがいます。そもそも、遥はむっちゃいい子だから。自分を犠牲にしてでも僕を助けたいってことで、だから、その――説明がむずいな。とにかく、卑怯な手で付き合わなくちゃならなくなっただけだよな」
「そうそう。正直、好きでもない相手だし、そこらは相手もわかってったっぽいんだけど。まさかまさかで、隼人はわかってくれてなかったんだよね。だから、すぐに金髪美人の彼女つくったんでしょ」
「なんか、前提からして把握できてないのかな。まず、あんたらって付き合ってたよね?」
前方の信号が黄色に変わり、赤色になる短い間で、隼人と遥はアイコンタクトを送る。
『え? 裏でそういうこと言ってたの?』
『言ってないよ、バカ』
アイコンタクトでの会話など初めての経験だったが、遥相手ならば余裕で出来た。
「ちゅうしたって嬉しそうに言ってたじゃん。あの頃から、そういう仲だと思ってたんだけど。もしかして、そこから違うの? いわゆる友達以上恋人未満ってやつか」
そのとおりなのだが、そのとおりと隼人は認めたくなかった。反応に困っているのは遥も同じようで、どうするべきかとアイコンタクトで作戦を立てる。
『見つめ合っていると、やっぱり遥って抜群に可愛いんだな』
『関係ないこと考えてるでしょ。どうするのよ、お母さんまた何か言いそうよ』
『そんなことより、アイコンタクトなら言えそうなことがあるんだけど』
『時間ないから、話そらさないでよ。次から相談なしに、勝手に答えるからね。隼人もそれに続いて』
信号が青になり、車が動き出す。この交差点から先は、家まで信号機のない道が続く。
「つまり、付き合ってはないけど、週末はほぼ毎回、泊まりにいってたってことね」
「あれは、映画鑑賞が目的だから。だよね、隼人?」
「ちなみに、映画鑑賞ってどこでしてた?」
信号機がない道のように、朱美からの質問に止まって答える時間はないようだ。
「僕のベッドの枕元に、ノートパソコンを置いて」
「一緒のベッドで寝ながら見てたってことよね? それで、なにもないなんて信じられないって」
「それが、ないんですよ」
「なんで嘘つくのよ。いまは、正直にお母さんに話しておかないと、訳わからなくなるでしょ。だから、正直に言いなよ。寝てる時に色んなところむっちゃ触ってきてたでしょ。主に太ももをね」
「てか、起きてたんだったら、その場でなんか言えよ」
「本当にやばかったら抵抗してた。それに、多少は許しとかないと、ナデナデに被害がいくかもしれないし」
「まぁまぁ、遥。被害者ぶるなら、隼人と遊ぶときだけスカート履くのをやめなきゃね」
「でもきいてよ。一本目の映画で寝落ちしなきゃ、お風呂入るから寝間着になってるもん。スカート履いてないから」
「それ、言い訳になってる? だいたいさ、うちで寝てる時の格好だとしても、勝負下着を持っていってるはずよね。それで、触られてたって言ってもさぁ、誘ってるじゃん」
「お母さん暴露しすぎ」
「そもそも、毛が生えそろう前だから、やりたい放題なのかと思ってたのに。案外、純情なのね」
そういえば、遥と一緒に風呂に入った撫子がいっていた。誰かさんがパイパンだとか、なんとか。
「もう一度確認するんだけど、付き合ってなかったのね?」
隼人と遥も言葉につまる。
いつもの二人の関係性というのは、客観的に考えれば恋人関係と呼べるのではないか。
とはいえ、当たり前のこと過ぎて、どういう関係性だったのか、具体的な例がすぐには出てこない。
「だったら、追加の確認していくよ? ほらさ、学校の行事でお弁当が必要なときは、隼人のために遥がお弁当を作ってたけど、そんなことしてても付き合ってないと?」
運動会、遠足。回数を重ねる度に遥の手作り弁当は上手になっている。隼人の好物をつめこんでくれていた弁当箱は、賞味期限のある宝箱だ。
「あれは、ナデナデに渡す分も作ってるから、隼人のためだけって訳じゃないし」
「手作りでいえば、バレンタインのチョコを毎年あげてるよね」
「チョコこそ、ナデナデと交換して余った分だから」
「久我家の男連中が、余ったチョコがあるなら、くれって言ってたの知ってるよね? なのに、残りを全部、隼人にあげるんだ」
「食べざかりなのよ、隼人が」
「バレンタイン以外のイベントって、誰と過ごしてるっけ? クリスマスや花火大会とか誕生日とか二人で過ごしてない? でも付き合ってないんだ?」
第三者目線から与えられた二人の思い出を積み重ねるだけで、麻雀でいうところの数え役満のようになっていた。
つまり、これより上が存在しない関係といったところだ。
これでは朱美だけでなく、コトリや有沢も勘違いしても仕方ない。
「遥、僕らって本当は付き合ってたんじゃないのか?」
「それはない」
「あっさり断言するんだな。でも、同世代の健全なカップルより恋人同士っぽいだろ」
「だとしても、告白されてないし、告白してもないでしょ。せいぜい、小学校の卒業式に第二ボタンもらったぐらいだし」
入籍していない事実婚を遥は認めないのかもしれない。
正式な結婚に憧れているのは、父親が誰なのか知らずに育っているせいか。そういう理由がなんとなくわかる隼人ならば、言わなくてもいいだろうという考えを持ってはいけなかったのだ。
「遥には悪いんだけど、告白されずに、付き合うってのもあるからね。あんたらが秘密基地にしてるMR2の持ち主は、そういう奴だったわ」
「お母さんは、そんなんで付き合ってるって、どうして思えたの?」
「言葉よりふれあい求めて突き進んでこられたからかな」
直接的な表現を避けたようだが、隼人は察した。
たとえば毎日キスしていたら告白したとか関係なく、付き合っていると安心できるのだろう。
もしもキスでおさまらず、最後まで毎晩していたら、言葉でなく心で理解できそうなものだ。
「でも告白に憧れる気持ちはわかるわ。難儀な血を引き継いじゃったのかもね。まるで呪いのように、遥を縛ってるみたい」
呪いといわれて、隼人の頭をよぎったのは『獣の烙印』だ。烙印とは違った形の呪いがあるのを、隼人は知っている。改めて思い出した。自分だって、縛られている。
高校一年生になったら、遥に告白しようと思っていたのも、川島疾風の影響。呪い。
そんな男の青春の遺物が、見えてきた。話しているうちに、神社の駐車場まで帰ってきていた。
「朱美ちゃん、ここで降ろしてくれる?」
「うちに寄ってもらうつもりで、隼人の家を通り過ぎたんだけど。なんか用事あったの?」
タイミングよく、MR2のそばで車は停まる。
「MR2に用事があるんだ。ここまで、ありがとうね。朱美ちゃん」
隼人が車を降りようとすると、遥が手を伸ばしてきた。隣に座られていたら、隼人の腕を掴まれていただろうが、一足はやく隼人は下車する。
「おやおや。土壇場で遥の別れたくないって素直な気持ちが爆発したみたいね?」
「じゃなくて、MR2でなにするんだろうって思っただけ」
「大事なものを身につけてくる。遥だけ持ってるのはズルいから」
答えながら、遥の胸元に隼人は視線を向ける。そこに隠されたペンダントを見つめるつもりだったが、それ以上におっぱいのほうが気なっているのは内緒だ。
「待って。あたしも降りる」
「だーめ。遥は許可しない」
「なんで、お母さんが決めるのよ」
「運転手だからよ。それとも、走り出した車から飛び降りてでも追いかけるつもり?」
「やったろうじゃないの」
シートベルトを外した遥は、本当にやりかねない顔だ。
「危ないからやめなさい」
「じゃあ、降りていいでしょ」
「でも、ダメ。あたしの娘には、誰よりも幸せになってもらいたいのよ。親としてできることをさせて。いまのあんたらには、作戦が必要よ。うちの神社で受け継がれている初夜服を授けるから、それを着てからにしなさい。ね?」
「いらないって。そんなことより、いま追わせてもらうのが一番だから」
隼人が車のドアを閉めると、遥の文句も乗せて、車は発進する。
「聞き間違いじゃなかったら、初夜服とか言ってたよな」
初夜服なるものが、どんな服装か想像すらできない。ただ、名前から察するに、最終的には脱がせるものだろうから、そんなものを遥が着て、隼人の前に現れたらまずい。いろんな意味で死ねる。
なんにせよ、切り替えろ。いまは、MR2でペアリングを回収するのが最優先だ。
どうせ助手席のダッシュボードの中にあるのだろうと思っていた。が、なかったのでちょっと焦る。
あてが外れたとはいえ、MR2に収納スペースは多くない。すぐに見つかるだろう。
運転席と助手席の間の収納スペースを漁りならがら、隼人は川島疾風のことを思い出す。
彼の人生最大の後悔は、隼人の人間形成に大きな影響を与えていた。
疾風は高校一年生のとき、好きな女の子に、素直な気持ちを伝えられなかったのを悔いていた。
どんな流れであれ、子供の隼人に話す位だから、彼の中で大きなしこりとなっている出来事でもあったのだろう。
『オレはさぁ、高校に入ってから好きになった女子に告白しておくべきだったんだよ。変な意地にならずにな。だったら、すぐに恋人関係になれてたかもしれないのに。そうすりゃ、あんな思いを互いにせずにすんだはずだ。そりゃよ。高校一年の時に付き合えたとしても、様々な問題はふりかかってきただろうよ。でも、朱美とならオレは、大恋愛の後に結婚できたはずだから』
子供の時にきいたので、ほとんど意味を理解できていなかった話だった。
でも、大事なことだとはバカなりにわかって、忘れてはいなかった。
記憶に残っていたからこそ、いまになって疾風の伝えたかったことを、ほんのちょっとだけ理解できた気がする。
少なくとも、幼い頃にその話をきいた隼人が、馬鹿な頭で勘違いしたのだけは把握した。
当時の隼人は、高校一年生になったとき、好きな人に思いを伝えれば幸せになると勘違いしたのだ。だから逆に、それまでは好意を相手に伝えるのは我慢すべきだとも考えるようになってしまった。
つまり、遥のことを死ぬほど愛していても、告白するのは高校一年生だと決めた。
それまでは遥のそばにいて、一番の恋人候補ポジションを維持し続ける。途中、どんなにムラムラするようなことがあっても、セクハラ程度におさえる。手は出さない。とにかく、高校一年生になるまでは我慢する。
そうすれば、大恋愛の末に遥と結婚できる。
なんて、馬鹿な考えだ。
子供の頃に見た映画を、久しぶりにレンタルして見返したら、意味がわかる。そんな感じに似ている。
高校一年生に告白すれば、幸せになれるという話をしてくれた訳ではないのだ。
一番大事なところを、間違ってはいけないところを、隼人は違った解釈で大事にして成長してしまった。
だから、遥にきちんと思いを伝えなかった。そのせいで、遥が倉田に告白される状況になったのだ。
隼人は疾風に呪いをかけられていたのかもしれない。それも『獣の烙印』とはまたちがったえげつなさを持つ呪いに。
いまとなっては、赤いサングラスの特徴しか思い出せない人に縛られている。
遥が持つリングの相方さえ見つかれば、そんな縛りも打ち破れる気がする。
だが、見つからない。他にどこを探せばいいのだと車内を見渡す。
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