2016年【隼人】55 隼人は隼人で、遥も相変わらず

 強がって歩き出したのに、隼人はすぐによろけた。倒れそうになった体を総江が抱きしめてくれるが、この腕の中で終わる訳にはいかない。


「僕は部長のことをよく知らないし、そこまで興味があるわけじゃないんです。でもまぁ、同じ夢を目指してる仲間だとは、思ってますから」

「一生の付き合いをするには重要な絆が、すでに出来上がってるのかもね」

「ははは、いってきます」

 総江から解放された隼人は、七月の太陽の下で走り出す。


 思えば、隼人と総江は不思議な関係だ。

 恨まれてもいいと思っているし、そこまで深いところに興味を持たなくてもいい。それでも、目的が同じだから信頼に足る間柄になり得ている。


 たとえるならば、隼人にとっての総江とは地図だ。

 道に迷った時に開けば、進むべき場所を教えてくれる。未来へと向かう目的地が地図に示されている。


 これから先、隼人はUMAを追いかけて無茶をすることが幾度とあるはずだ。

 その度に、総江は立ち上がれるように手を差し伸べてくれる。

 盲目な恋愛感情とは別の関係性で、隼人と総江は繋がっている。おそらくは、どちらかが死ぬまで続くのではないか。


 角を曲がる。

 曲がった先で、遥は傷ついていた。歩けないほどなのか、中学校の塀に手をついていた。ゆっくりと振り返ってきたので目が合うが、互いの気持ちは裸にならない。


「なんで追いかけてくるのよ」

「話があるから」

「こないでよ。あたしとキスするのを躊躇った理由ならわかったから、もう放っといてよ」


 また走り出される。逃がすか、追いかける。

 学校からのいつもの帰り道を走っていると、どこにでも遥との思い出が存在するのに気づく。

 隼人と遥の二人には関係をすすめるチャンスが、いくらでもあったのだ。

 ポストの前、自販機の横、壊れたままの街灯の下――様々な記憶を置き去りにして駆けていく。

 陸上部の女子の背中は離れていくものの、言葉は肉体よりも速く移動する。


「理由がわかったってなんだよ、それ。勘違いしてる絶対に」

「勘違いじゃないもん。だって、特別な存在だって言われて否定しなかったじゃない」

「だから、それは、ちょっと、止まって。走りながらじゃ、きびしい」


 走っていると呼吸が荒くなって、うまく反論ができなくなる。仮に遥のもとに届いても意味をなさないのではないか。


「なんなの? 本当に嬉しかったのに。あたしバカみたいじゃない。さっき二人きりのときに言ってくれたことで、相思相愛なんだって思えたんだよ、バカ!」


 遥は走りながらも思いを口にする余裕があるのに、隼人は遥に食らいつくのに必死だ。喋る余裕がない。どんどん、遥の背中は小さくなる。反面、返ってくる声は大きくなり、叫びとなる。


「なによりムカつくのは、これでも隼人のことが嫌いになれないってことよ! だから、言うね!」

「いいから――」黙ってくれ。


 息を乱しながらでは、最後まで言葉にすることすらできなかった。

 だから、遥は止まらない。遠くへいってしまう。


「隼人、おめでとう。美人の恋人と仲良くしてね」


 そんなんじゃない。僕が恋人関係になりたいのは、遥だけなんだよ。なんで、そんな単純なことすらわかってくれないんだ。ふざけんなよ。

 怒りが隼人の中で眠る力を呼び覚ます。


「もう、頭きたぞ」


 あくまで、怒りは起爆剤だ。そこからの馬鹿力を持続させるのは、中二の性欲。


「覚悟しろ、遥! いまから、追いついたら犯してやる!」

 触れあえば『獣の烙印』のせいで、死ぬならあば、触れ合わずにやればいいだけだ。

 体に触れず行為に及ぶのは不可能ではない。遥はいつもタイツを履いている。いまも例に漏れず。黒いタイツを白い精液で汚すわけですね、わかります。


「ちょっと、なんでじりじりと追いついてきてるのよ!」

「出会って●秒で合体のように、前戯なしでやってやる!」

「なにそれ。互いに恋人がいるから、キスとかそういうのはナシってこと!」

「タイツを破って、下着をずらして、コンドームをつけたチンコを挿入するからな!」


 完璧な作戦だ。良かった。里菜が出演している出会って●秒シリーズを何度も見ておいたのが、こんな風に役立つとは思ってもみなかった。


「大声で叫ぶな。恥ずかしいでしょ」


 分かれ道を曲がる遥を追いかけながら、隼人は気づいたことを訊ねる。


「なぁ、遥。さっきから、ひとけのない道を選んでることないか? もしかしたら、もしかしたらだけど」

「なんか、勘違いしてるでしょ。誰かにきかれたら、隼人がレイプ魔だって思われかねないから、あたしは気をつかってるの。って、また近づかれてるし」


 そんな心配をする必要はないだろう。いまの隼人と遥みたいな二人がいて、わざわざ首を突っ込んでくる奴がいるとは思えない。

 岩田屋町に正義の火があるとしても、それは風が吹けば消えてしまうようなものだ。つまり倉田だけの正義では、風が吹けば炎になるとは考えにくい訳で。


 だから、いまの隼人らの追いかけっこに首を突っ込んでくるのは、おのずと知り合いになると想定できる。隼人と遥は共通の知り合いが多い。そのため、いつものノリだろうと思われるだけで、見て見ぬ振りされるに決まっている。


 前を走っていた遥が、ついに足をとめる。

 観念したのかと思ったが、遥の前方には人影がある。大人の男だ。誰か知らないが、遥に近づくな。焦った隼人は、今日一番の速さで走る。


「大丈夫か、遥。変なことされてないか?」

「どの口が言ってるのよ。バカなの?」


 たとえバカだとしても、隼人は男らしく、遥と大人の間に割って入る。


「なんか、色々聞こえてきたから気になってたんだけど。遥ちゃんのために警察呼んだほうがいいかな?」

「遥ちゃんだ? なに馴れ馴れしく呼んでんだよ。遥は僕の大事な人だぞ」


 相手がどこの誰かわからない成人男性でも隼人は怯まない。

 遥との関係性において、些細なミスも許されないと思っている。


「ちょっと隼人。黙っててくれる? ややこしくなるでしょ」

 言ってるそばからミスを犯したようだ。ここは言われた通り黙っておかねば、これ以上、嫌われる訳にはいかないのだ。


「いえ、警察とかは大丈夫です。隼人は変態でどうしようもない奴ですけれど、悪い奴ではないので」

「変態でどうしようもない時点でアウトなんじゃ?」


「それは、あんたじゃないのか? わかってんだから。中学生が好きで、ばちくそ可愛い遥とお近づきになりたくて、声をかけたんだろ。この変態め」

 しまった。我慢できなくて、つい口を出してしまった。遥には睨まれてしまうのだが、大人はいくつかの修羅場をこえてきた人生経験があるのか、冷静なままだ。


「初対面なのに、えらい言われようだな。これが、お菓子を食べたらなんでも出来ると噂の幼なじみか?」

「何年前の話ですか、それ。でも、そいつです。浅倉隼人です」

「成長して、お菓子なくてもなんでも出来そうな雰囲気が出てるぞ。それこそ、本当に叫んでいたことをやりそうな男の顔だ」

「いやまぁ、でも大丈夫ですから。西野さんの心配には及びませんので、あたしたち行ってもいいですかね」


 西野は腕を組んで少し考えたあと、手を伸ばして脇を行こうとする遥の進行を妨げる。


「やっぱり、ダメだ。彼のことをよく知らないから、冗談か本気かも区別がつかないんだよな。そんなんで、いっていいよと見過ごしたら朱美ちゃんに怒られかねないからさ。あ、そうだ。朱美ちゃん呼ぼうよ」

「そっちの立場もわかりますけど、わざわざお母さんを呼ぶようなことじゃないですし。だよね、隼人。てか、最初は吠えてたのに、なんで黙ってるのよ。ここは喋って力を貸してよ」


 黙れだの、喋れだの、どうすればいいんだ。いや、変に考えてしまっての判断は間違えてばかりなので、素直に生きてみるか。


「考えてみたら当たり前なんだけど、遥に僕の知らない男の知り合いがいるのって、いやだなぁと思ったら、つい黙っちまってた」

「あたしが言ってほしいのは、そういうことじゃないんだけど」

「てか、らちがあかんぞ。僕のほうから朱美ちゃんに電話するぞ。走って疲れたから車で帰りたいし、一石二鳥だろ」


 隼人が携帯電話を取り出したところで、遥に睨まれる。


「本当に、隼人って隼人だよね」


 どういう意味だろう。

 遥は隼人よりも隼人を知っているが、逆は違うから意味がわからなかった。

 呆れたような表情を見ても、彼女の心がわかるはずもない。遥が目を逸らすまで見つめ続けたところで、バカな隼人にわかるのは、せいぜい限られている。


「遥も相変わらず、可愛いよな」

「いま言ってほしいのは、それじゃないもん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る