2016年【隼人】43 バカを極めようとしていないと
15
コトリの待つ部屋の前に来たところで、エレベーターの開く音がした。
エレベーターから降りてきた里菜は、大きなあくびを途中で噛み殺す。
「あれ? お嬢、来てたんですね」
「なんて、格好をしてるのよ。あなたは」
「似合いませんか?」
くるりと里菜が回転する。見慣れた岩田屋中学校指定のスカートがヒラリとひるがえった姿を見て、隼人の鼻の穴が広がる。
「うん、似合ってますね。最高です。ぜひ、オレのクラスに転校してきてください」
「待ちなさい、隼人。そういう問題じゃないから。里菜をつけあがらせないで」
「せやけど、うちの若さやったら、中学におっても違和感ないと思いませんか? このまま編入できたらええんやけど?」
「いや、想像してみたらエロすぎました。男子の童貞が、ほとんど里菜さんに奪われることになりそうで、穴兄弟学級になるんじゃないですかね」
「それに里菜が中学にいくなんて知ったら、弟も嫌がるでしょうしね」
「弟? いるんですか、里菜さんに?」
目に見えて、里菜の顔が青くなった。下ネタ発言をしているときに、家族の話はしないでほしいのだろう。
「ほら、頭を冷やせたなら、小鳥遊さんに、服を返しましょうね」
「ええ、ええ。お嬢のおおせのままにやりますよ」
しょんぼりと近づいてくる里菜の足取りは重たい。見ていて気持ちのいいものではない。いちファンとして、なんとかして笑顔を取り戻してあげたい。とその前に、いちファンとしての欲望を満たしておきたくもある。
「里菜さん、里菜さん。コトリに服を返すまえに、その格好でツーショット写真を撮ってくれませんか?」
お願いしながら、隼人はポケットを漁る。携帯電話がみつからない。そういえば、まだ私物を返してもらってなかった。
「探し物は、これかしら?」
さもありなんと言った感じで、総江が財布と携帯電話を差し出してきた。手渡しで受け取るのに抵抗がある。
触れたら、死ぬ。単純明確な呪いは、日常生活に支障が出る。
たとえば小学生が帰宅時に白線を歩いて遊ぶことがあるだろう。だが、白線程度の横幅の鉄骨を高層ビルの間に設置したら、途端に歩けなくなるものなのだ。それは、カイジを読んでも明らかだ。
鉄骨渡りと同じように、普段できていたことをするのに恐怖を覚える。総江から物を受け取るのがこわくてたまらんのだ。
「なんだったら、携帯を返す前に、写真を撮ってあげましょうかね。ほら、里菜。笑顔になって」
隼人の考えを汲んでくれた総江に甘える。隼人が里菜の傍までいく。元AV女優は撮影前のようにやる気なさげにたずねてくる。
「ポーズはどないする? 立ちバッグしてるような感じにする? さっき頑張ったからサービスしてあげるで。なんやったら、おっぱい触ってもええし」
嫌いな男優相手にも、こんな会話を交わしていたのだろうか。想像すると、隼人の気持ちが滅入ってくる。考えるな。思いの丈をぶつけてしまえ。
「里菜さん! おっぱい触るんだったら、直でいっていいすか? 乳首をいじりたいんですけど!」
「おもろいこと言うやんか。逆にええで、そういうん。それでこそ中学生や!」
ノリのいい里菜は、嬉しそうに笑ってくれる。里菜の笑顔を見ていると、隼人もテンションが上がってしまう。
パシャ。
携帯電話の撮影音が廊下に響く。総江がディスプレイを確認しながら、頷いた。
「うん。仲良さそうに話してるところが撮れたわよ」
総江のいうとおりで、笑顔で話していたところだっただろう。けれど、おっぱいを触れたかもしれないのに、おあずけをくらったのは残念すぎる。
「こらこら、隼人。そんな顔してたら、待ち受けの子に申し訳ないんじゃないかしら」
携帯電話に視線を落としたまま、総江は淡々と述べた。
カメラ撮影をされたのだから、携帯電話の待受画面を見られていてもおかしくはない。でも、それをわざわざ言って隼人に罪悪感を与える必要はなかったのではないか。
「なんすか、お嬢。気になる言い方やんか。うちにも見せてもらえますか?」
「だめです。待ってください」
里菜が先に隼人の私物を回収する。マラソンの給水ポイントで飲み物を受け取ったように、そのまま里菜は廊下を走っていく。隼人は追いかけるが、待受画面を見られるのも時間の問題だった。
「なんや、この子が好きなんか? あれやで。髪がみじかーてこんだけ可愛い子は、顔のパーツがええ証拠やで。化粧もしてなくて、この顔面クオリテーやし。いまから結婚の約束しとってもええんちゃうの?」
「勝手なこと言ってないで、返してくださいよ」
里菜を廊下の端まで追い詰める。観念したというよりも、里菜はからかい飽きたようだ。隼人の手に私物が戻ってくる。携帯電話の待受画面は、表示されたままだった。
待受画面は、子猫のみやむを抱っこしている遥だ。いまの里菜と同じ制服姿。見比べると、遥の可愛さに度肝を抜かれる。
あくまで隼人の主観だ。感想には個人差があるだろう。だが、ひいき目でどうしても女神に見てしまうのだ。
待受画面に表示されている情報、つまりは不在着信や受信メールが、ひいきしてしまう理由のひとつになっている。
昨日、家に帰らなかった隼人を心配してくれるのは、遥しかいなかった。
不在着信履歴の数や、受信メールの短い文面ひとつひとつに、優しさがにじみ出ている。
こんなものを見たら、もう我慢できない。
「あの部長。お願いがあるんですけど!」
廊下の端まで来ていたので、総江とは距離があった。隼人の叫び声は聞こえたようで、総江が体をこちらに向ける。
「今日、帰ったら遥を抱こうと思うんで! 近くにいてくれませんか!」
総江がため息をつく。距離があって隼人の耳には届くはずがないのに、落胆の「はぁ」が、聞こえた気がした。
失言はしてませんよと、隼人は真面目な顔で総江のもとに歩いていく。並んで歩いてくれる里菜が、道中でポンと肩を叩いてくれる。
「いやー、気に入ったで。バカを極めようとしてないと、いまの言葉は出てこん。うん、うん。やっぱ自分、うちの処女を奪った元カレに似とるで」
「里菜さんの処女を奪ったって。あれですよね? インタビューで言ってたのを覚えてますよ。Vシネマ時代の共演者なんでしょ」
「あんた、ほんまにうちのファンなんやな。ビックリしたで。あんまりVシネマ時代のことを言われることないからな」
「おい、アホ二人。扉を開けるわよ。はやく来なさい」
「お嬢、そこ鍵かかっとると思いますよ」
「私の『計算』だと、開いてるはずだけど」
総江の言うとおりで、鍵はかかっていなかった。
なんだかんだで、コトリも戦ってくれていた。隼人がいつでも帰ってこれるように、鍵をしめずに居場所を用意してくれていたのだ。
ずいぶんと時間がかかって、部屋に戻ってきた。拉致されて連れられてきた場所なのに、いまはリビングまで戻ってこれてホッとしている。
「あれ? おらんやんか」
「おい、コトリ。無事か?」
寝室に繋がる扉が開く。ひょこっと、コトリが顔を覗かせた。バスローブ姿だ。
「無事に戻ってきたんだな」
強気な口調で視線を動かしていたコトリだが、総江に気づくと目を見開いた。
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