2016年【隼人】44 ボーイ・ミーツ・ガールに負けないで
「沖田センパイ。あんたがヤクザの娘って噂マジバナだったんだね」
「ええ。ちなみに、山本大介は、私の運転手ですよ」
「ははは。当然のように、アタシが騙ってたのを知ってるのか。狭い世界だね。で、アタシたちはどうなるの?」
いまのコトリは、どんな絶望でも受け入れる準備ができているみたいだ。もっとも、そんな風に肩に力を入れる必要はどこにもないのだと、はやく教えてやろう。
「どうなるもなにも、帰れるみたいだぞ。良かったな、コトリ」
「あんたも一緒に帰れるんだよね?」
「そりゃな。なんだよ? 一人だけで帰る気だったのか?」
「逆よ、逆。あんたが囚われたままだったら、アタシも日常に戻れないから」
「いや、だからお前は日常に戻れるんだって。だいたい、オレが外に出れて囚われたままでも、コトリには関係ねぇだろ」
「外に出ても囚われたままって、どういうことよ? あと、関係ないって言い方もなによ。ムカつくんだけど」
ぷりぷりと怒りながら、コトリは隼人に近づいてくる。そんなに慌てて動いたら、バスローブからおっぱいがこぼれかねない。
ドキドキしながらも視線を胸から逸らさずにいたのに、コトリの乳首は拝めなかった。あまりにも近くに寄られたせいで、コトリの鎖骨から上しか見えなくなっていた。
「まさかとは思うけど。また、アタシのために変なことしてんじゃないよね?」
総江や里菜には聞き取れない声量だったので、隼人もそれに合わせて答えることにした。
「あ? んなわけねぇだろ。というよりも、いままでコトリのためになにかしたことなんて一度もないし」
「助けてくれたじゃない」
里菜が銃を持って暴れまわる中、コトリが仲間に見捨てられた時のことを言っているのだろうか。
「そんなかっこいいもんじゃねぇから、あんなの。嫌がらせをした結果で、コトリが助かったってだけだろ」
「里菜様との一件だけを言ってるわけじゃない」
「じゃあ、いつの話だよ。ヒントをよこせ、ヒントを」
舌打ちをしながらも、こころなしかコトリの頬が紅くなったようにも見える。
「その手には乗らないわよ。わかってるくせして、ヒントにかこつけてアタシを辱めようって魂胆でしょ。あんなことやこんなことまでしてくれたのに、忘れてる訳ないもん」
「は? どういうことだよ。本気でわかんねぇんだって。考えてもみろよ。なんだかんだで、コトリとは遥の次に付き合いの長い腐れ縁なんだからよ」
目を丸くしながら、コトリが隼人の胸ぐらを掴む。これから、またなんか文句を言われるのかと覚悟した矢先、ギャラリーと化していた里菜と総江が騒ぎ出す。
「いまの発言は悪手ちゃいますかね。お嬢はどう思いました?」
「久我銀河あたりと違って、隼人は誰彼構わず口説くつもりはないから、あれでいいのよ」
え? もしかしていま恋愛のフラグをへし折ってしまったのだろうか。いや、まさかそんな。コトリに限って、それはない。
付き合いが長いからこそ、わからなくこともあるけれど、わかることだってある。
いまわかるのは、胸ぐらを掴んでくるコトリの顔が、オスとして思わず抱きしめたくなるほどに可愛いってことだ。
誰に対してかわからぬ舌打ちを残して、コトリは総江に近づく。
わざと足音を立てるようにして歩いている。今度は総江の胸ぐらを掴みそうな険しい表情だ。
「あんたは、これから浅倉を危険な目に合わせるんでしょ」
「女の勘かしら?」
「勘なんて生優しいものじゃなくて、確信を持ってる。浅倉にとってはハルの次だとしても、アタシにとったら浅倉が一番付き合いの長い腐れ縁だから。いっつも見てきたの。自分の命にまでも無頓着なバカなところをさ」
「本当に、よく知ってるみたいね」
「余裕ぶってるのが最っ高にムカつくけど、あんたに忠告しといてあげる。浅倉を色仕掛けで、どうにか出来ると思ってるんだったら甘いから」
「失礼ね。隼人がそんな安い男だと思っていないわ」
「隼人、隼人って馴れ馴れしくて、うるさいのよ」
相手がヤクザの娘だとわかった上で、コトリは苛立ちを隠なさい。総江をにらみつけるだけでは飽き足らず、宣戦布告するように、ビシッと指差した。
「とにかく、覚えてて。浅倉とハルの二人が、ぽっと出のボーイ・ミーツ・ガールに屈するところを、これ以上アタシは見たくないんだから」
「そうね。順番的には私にじゃなくて、あなたを助けるチャンスが先にあって然るべきかもね」
「何の話よ。とにかく、浅倉に、ううん、隼人になんかあったら、アタシが承知しないって覚えてて」
「言いたいことは終わったかしら?」
「だとしたら、なんだ?」
「だってさ、里菜。着替えを返してあげて」
「はいはい、お嬢」
里菜は返事をしながら、一触即発な総江とコトリの間に体を割り込ませる。
「なんや、おもろい感じになっとるやんか。どーして、浅倉から隼人に言い直したんかも興味深いで。さ、さ。おねーさんと向こうで裸になってちちくりあって語り合おうや。うちは、コトリちゃんの味方やから、そこんところよろしゅう」
「え、ちょっと待ってください。里菜様、里菜様ぁ」
コトリの抵抗を里菜はものともしない。里菜はコトリのバスローブを脱がしながら、寝室に消えていった。
「着替えかえしてやるんやから、嫌がるなや。ほれほれ」
寝室の扉が閉まりきっていない。
艶やかになったコトリの声が聞こえてくる。
「ちょっと、そんなの無理ですから。んっ」
先程の人魚みたいに「んっ」と言っているだけなのに。それだけなのに、童貞には刺激が強いことが扉の向こうで繰り広げられているのだろう。
「隼人。なんて顔をしてるのよ」
「いや、知ってる奴のああいう声を聞くのって、なんかあれじゃないですか。こんな近くでされたらドキドキしますし」
「廊下で私になにを言ったか忘れてるのかしらね?」
総江が寝室の扉を閉めた瞬間、隼人の記憶の扉から失言が飛び出るようによみがえる。
――今日、帰ったら遥を抱こうと思うんで! 近くにいてくれませんか!
「ごめんなさい。最低なことを強要してたんですね」
「わかってくれればいいの。それに、隼人らが行為に及んでいるときに、ここまで近くにいる必要なんてないからね」
「言われてみれば、さっきまで合流してなかったのに、オレは健康そのものでしたしね。ていうか、今更なんですけど、最大でどれぐらいまで部長から離れて大丈夫なんですか?」
総江ならば、隼人が『獣の烙印』が原因で倒れたときの距離を正確に把握しているだろう。そう思ったからこその質問だった。
「岩田屋中学校や岩田屋高校といった、学校の敷地内の端から端ってところかしらね。あくまでおおよその距離だから、参考程度と考えておいて」
普通ならば答えに困るだろうが、そこは総江だ。あらかじめ用意していたかのように、丁寧に答えが返ってきた。
「てことは、つまりですよ。近所に住んで、登下校を一緒にしてたら、今までどおりの生活が送れるってことですか。なんだ。てっきり、軟禁状態になるのかと思ってましたよ」
「隼人、もしかして感覚的に気づいているの?」
「なにがですか?」
「近所に住んで、登下校がどうこうって言ったじゃないの。それって、あなたを生かすも殺すもできる存在が、誰なのかわかってるから出てきた訳じゃないの?」
「なに言ってんですか。オレに刻まれてる『獣の烙印』の特効薬って、部長でしょ?」
総江はいつになく真剣な顔で、隼人の顔を碧眼にうつしこむ。
「白状するわ。そもそも、里菜と隼人があのとき発作が出たのは『計算』ちがいだった。私もUMAに関することだから完璧な『計算』ができなかっただけかもしれない。でも、別の可能性もあるの。UMAなんて関係ない。単純に隼人を信じている人がいるかどうかって話よ」
話が見えてこない。総江のくせに、説明が下手だ。
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