2016年【隼人】42 綺麗な女の子の泣き出しそうな顔

「でもね。私は誰よりも隼人には期待してるのよ。成長したあなたは、私の『計算』をはるかに超えた存在になってるかもしれない。それまでは、私の手であなたを『獣の烙印』の呪いから守るつもりだった。そして、きちんと私の口から呪いについても説明責任を果たすつもりだった」


 だった。過去形になっている時点で、守れていないということに、ほかならない。


「散々偉そうに言っときながら、部長だってたいしたことないじゃないですか。オレが倒れて、ここに運ばれたのって、明らかに呪いのせいでしょ?」


 決まりが悪くなっても、総江は顔を逸らしたりしない。隼人と目を合わせたのち、深く頭を下げる。逃げたわけではなく、誠意を見せてくれた。


「ごめんなさい。私は、隼人を侮っていた。なんのことはなかったわ。あなたはすでに『計算』から外れている。予定は狂ってしまったの」


 頭を下げた状態の総江は、いったいどんな顔で床を見ているのだろう。

 とどのつまり、彼女は隼人のことを見下しながらも、利用しようとしたのだ。

 理解すると、腹が立つ。


 でも殴れない。

 触れたら、死ぬから。

 ちがう。


 そんなことは関係ない。女性には手をあげるなと、兄貴のように慕っていたMR2のドライバーから教育を受けている。だが、この教えには抜け穴がある。言葉の暴力に関しては、自由を与えられたままだ。

 口から糞をひねり出すように、暴言を垂れ流すぐらいは、構わないはずだ。


「部長から借りた本を読んで寝落ちしたとき、そのUMAたちが夢に出てきた日があったんですよ」


 開いた口から出てきたものは、自分でも拍子抜けするような内容だった。

 自らの表情が優しくなっていくのを感じながら、隼人は落ち着いた口調で続ける。


「そんでもって、夢に出てたUMAが、現実にいるってのも知りました。いま、ムカついています。それも激しく。でも、足を突っ込めたことに、ありがたいと思ってる自分もいます。二律背反ですよ、まったく」


 さげたままの総江の頭が、かすかに震える。もしかしたら、罵られるほうが総江にとっては楽だったのかもしれない。

 総江は勢いよく頭をあげる。勢いをつけたことに、隼人は意味を感じた。

 彼女が噛んでいた唇を解放するのにも、意を決する必要があったはずだ。


「私は間違っていたのかもしれないわね。隼人に頼むだけで良かったのに、遠回りをした。できもしない背伸びをやろうとしてたってことかしら。父のように『計算』を組み合わせることで、新たな答えを導き出す必要はなかったのね。難しく考えすぎて、失敗したのかも」


 取り返しのつかない後悔は、いつも冷静沈着な沖田総江を、ただの中学三年生の女の子に変える。

 だからこそ、いまならば中学二年生の失恋男にでも励ますことはできるのだ。


「部長の失敗なんて、たいしたことないですよ――オレが遥に愛してるって言えなかったことに比べたらね」


 総江から目を逸らしたのは、隼人なりの優しさだ。

 後にも先にも、総江のこんな表情を拝む機会はないとしても、見る必要はない。UMAよりも珍しいものだとしても、価値があるとは思えない。

 できるならば、綺麗な女の子の泣き出しそうな顔を見たくはない。


「もう、間違えない。失敗しない。もっと強くなる。だから力を貸して、隼人」


「上等ォ」


 従順を誓ったあとになって、隼人は後悔した。どうしても知りたいことがひとつあった。交換条件として、訊ねておけばよかった。

 いまさら遅いかもしれないが、駄目で元々の精神を前面に押し出す。


「部長がそこまでして、捕まえたいUMAってなんなんですか?」


「サンダーバードよ」


 遥が見たUMAと同じだ。


「嬉しいですね。サンダーバードの存在を信じてくれてるなんて。もしかして、部長も見たことがあるとか?」


 総江は曖昧に微笑むだけで、なにも答えなかった。そして聞かれてもいないのに、隼人は秘密を安売りするのだ。


「遥は見たことがあるらしいですよ」


「まるで自分が目撃したみたいに、話すのね」


「そりゃ、何度もその話を聞かせてもらいましたしね」


 隼人が熱くなるのに比例して、総江の冷静さが戻っているように思えた。だが、見慣れたはずのクールな総江に、わずかながら違和感を覚える。


「そっか。隼人は見ていないのね」


「でも、見てるかどうかは些細なことですよ。だって、オレにとってサンダーバードは夢の原点なんですからね」


「それはどうかしら」


「へ?」


「とどのつまり、サンダーバードは、隼人が最低限、到達しなければならないUMAって話よ」


 なるほど。

 総江がなにを言っているのか、わからないことが、よくわかった。

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