2016年【隼人】36 あずきバーを食べる片手間で

 少年の服を引っ張っりながら、隼人は水の中を歩く。水際まできたら、先に自分だけで岩場にのぼる。少年の体は小さいけれども、水を吸った服は重たいので、引きあげるには勢いが必要だった。


「ええい。これぐらいどうにかできんと、結婚式で遥をお姫様抱っこするのも夢で終わるぞ、ボケが」


 独特な方法で気合を入れて、隼人はパワーアップを果たす。

 岩場で横たわる少年を見下ろす。水が滴るのは、女性に限ると隼人は思った。

 星野里菜の温泉シリーズや南の島での作品、あれはどちらもエロかった。まさに、水も滴るいい女を具現化してくれていたっけか。


「隼人、無事か?」


 モスマンが開けたままにした扉から、里菜が歩いてきていた。


「里菜さん。べつにAVのことは考えてませんから、許してください」


「なんの話やねん。で、なんや、そこにおるん――」


 言葉を失った様子の里菜は、目を見開いて駆け寄ってくる。


「嘘やろ。いつの間に、逃げ出してここまで来たんや」


「どういうこ――」


『地下一階デス』


 隼人がたずねきる前に、機械的なアナウンスが聞こえた。エレベーターのほうを向くと、扉が開こうとしている。


「まずいですよ、里菜さん。あれには、モスマンが乗ってる!」


 焦っている隼人を無視して、里菜は岩場で倒れている濡れた少年の脈を確認している。

 隼人は応戦の準備をはじめる。コルトパイソンを探すのだが、どこにもなかった。落としてしまったようだ。


 モスマンは待ってくれない。エレベーターから、ゆっくりと出てきた。

 ゆっくりと、前のめりに倒れる。

 動かない。

 エレベーターの扉が時間経過でしまろうとする。だが、倒れたモスマンが邪魔で、また開いている。


「おい、なにしてんだよ? こっちは終わってんだ。はやく連れてけよ」


 モスマンの体をまたぎながら、赤いサングラスの男がエレベーターから降りてきた。気だるそうに歩きながら、あずき色のかたそうな棒アイスに歯をたてる。

 まさかとは思うが、あずきバーを食べる片手間で、モスマンを倒したとでもいうのか。


 サングラスの男は隻腕だ。歩くと、左腕の袖が鯉のぼりのように宙を泳ぐ。鎧のように、ずっしりとした重たい接触音が聞こえる。フード付きのパーカーのように見える服を着ているくせに、素材は単なる布ではないように見えた。


「おい、聞こえてねぇのか。里菜?」


「ちょっと待ちーや、ユウジ。せかすなや。二人いっぺんは、無理やからな」


 複数プレイは苦手。なにかのビデオのインタビューで里菜が答えていた気がする。


「二人いっぺんって、どういうことだよ? 別にオレは3P強要してる訳じゃねぇぞ。さっさと守田を部屋にだな」


 ユウジと呼ばれた赤グラサンは、倒れている少年に気づく。あずきバーを一気に食べると、舌打ちをした。


「おい、里菜。守田を優先させろ。これは命令だ。ジェイロは放っておけ」


 不機嫌な口調での命令に、隼人はお腹が痛くなるほどこわくなった。関係ないのに、心のなかで「わかりました」と答えてしまう。

 問答無用で従うべきところでも、大人の女性はちがう。


「なんやねん、あずきバーがなくなったから、テンションが下がりまくりやんけ。考えてみ、ジェイロをこのまま放っておくのは、あまりにもアレやんか」


「いいんだよ。呪いくらって、まだ生きてるってことは、今回は死にたくても死ねないってことだ。こいつの苦しみは一時的なものだから」


 岩場で倒れているジェイロを見つめているだけだった人魚姫が潜水する。次の瞬間にはユウジのすぐそばで水から顔を出す。瞬間移動したかのように一瞬だ。陸上最速は自動車だと思っているので、水上最速はレベルがちがう速さだ。


「よう、イリヤ。元気そうだな」


「ん!」


 イリヤと呼ばれた人魚姫は、ジェイロを指差した。ジェスチャー付きで「ん」「ん」と何度も言うだけで、ユウジは全てを理解したように苦笑いを浮かべる。


「言い訳してんじゃねぇよ。お前のせいでもあるんだぞ、イリヤ」


 頬を膨らませて、イリヤは陸にあがった。岩の上で尻尾をピチピチと跳ねながら、いや、それよりも巨乳だ。スクール水着が苦しそうなほど、巨乳じゃねぇか、おい。


「んだよ、それ。オレが相手にしないから、ジェイロにいったってのか。それで、オレに責任があるって言いたいのか? ふざけんなよクソが」


 ユウジは人魚相手に容赦がない。巨大魚を捕まえるように、尻尾を掴んだ。そのまま人魚を持ち上げて、ジェイロと呼んだ少年の近くまで歩いてきた。


「なんだ。思った以上に、顔色はいいな。おーい、ジェイロ、朝だぞ。いま起きたら、焼き魚なら食い放題だぞ」


「んー! んー!」


 二人の呼びかけに反応するように、ジェイロは目を開ける。ジェイロの瞳は、左右で色がちがった。片方は日本人のように黒い瞳だ。だが、もう片方はカラコンを入れているように赤い色だ。


「おはよう、ジェイロ。さっそくだが説教だ。なんでこんなところにいるんだよ? オレと一緒に大陸を旅してて、まだ『獣の烙印』の危険性を理解してねぇのか? ここに住んでもらってるのは、お前を守るためなんだからな」


「誰が、そんなことを頼んだ?」


「目覚めて最初の発言が、なんとも生意気だな、ガキが。一発殴ってやろうか?」


「それやったら、うちにしばかせてーや、ユウジ」


 ジェイロの言い方に、ユウジよりも里菜のほうが怒りを覚えたようだ。関西弁が止まらない。


「えらそうにすんなや、ガキが。三食、晩酌付きで、好きなもんも用意してやっとるのに、わがまますぎるで。しばきまわすぞ、ボケ」


「一番欲しいものから遠ざけておいて、勝手なことばっかり言うなっての。こんなものを自由っていう国は、むー大陸にはなかったぞ」


「あかん、しばきたい。このガキ」


 拳を握る里菜と、隼人は目が合ってしまった。ジェイロを殴る代わりなのか、隼人は頭を叩かれる。


「痛ぇ、なんでオレが? 理不尽すよ」


「やかましい」


 反論したら、すぐに殴られた。だから、今度は殴られても黙っていることにした。でも関係ない。


「だから、痛いですって」


 結局は、殴られてしまう。

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