2016年【隼人】35 スクール水着の人魚姫
緑の塊は、潜水状態で近づいてきて、隼人の目の前にばっと現れた。
これほどまでに自然な緑色の髪は、アニメでしか見たことがない。そして、そんな衝撃がすぐに霞むほどの、整った顔立ちだ。ファンタジー世界から飛び出したような存在のくせして、服装だけは日本人に馴染みがある。岩田屋中学校でも体育の時間で拝めるスク水を着ている。
上半身だけを見た限りだと、異国の美人さん。もしかしたら、下半身は見間違えたのかもしれない。
好奇心に逆らえず、隼人は水中に潜って目を開けた。スク水は、途中で切られている。股を隠す必要がないからだ。つなぎ目がどうなっているのか分からないが、スク水から下の部分はまさに魚だ。
ローレライ! メロウ! 人魚!
いったい、なんと呼ぶのが正しいのだろうか。
テンションがあがる。隼人は水中で鼻息を荒げた。結果、水をのんでしまう。溺れそうになったとき、腕を組まれる。
そのまま引っ張られる。水の中で引きずられるのは、空を飛ぶのとはちがう苦しみがある。水中内で目を開けていられない速度だ。
やばい。いきなり下半身を見るのは、彼女を辱める行為だったのかもしれない。しらんけど。情報が少なすぎる。昨日、総江に借りた本の目次には人魚の項目もあったが、そのページをまだ読んでいなかったのが仇となった。
得意な泳ぎの披露と同時に、人魚の目的地に到着する。移動してきた道筋は、隼人から流れた血で水に赤い線が引かれている。
人魚は隼人から手を離すと、別の男に抱きついていた。少年は、水に浮かんでいた。
「なんだ、これ? まさか死体? もしかして、おもてなししてくれてるの?」
人魚は人間を餌にしているとか。隼人を気に入ってくれたので、一緒に食べようとかいう提案をしてくれているのではないか。だとしても、遠慮します。
「んん」と言いながら、人魚は首を横に振っている。隼人はホッとしたあとに、ハッとなった。
「てか、言葉わかるの?」
「ん!」
意思疎通の成功に、人魚も嬉しそうにうなずく。どうやら、言葉は喋れないようだ。
「うん。いいね。笑顔が素敵だ。おっふ」
いきなり頬をビンタされた。異種間のコミュニケーションは難しい。遥の家で飼っている猫のみやむと遊ぶほうが楽だ。
「え? なに、なに? なんでビンタされたの? わかんないんだけど」
痛む頬を、人魚がぺろぺろと舐めてくれる。
「情緒不安定すぎるだろ。なに? 手当てしてくれてるつもり?」
「ん! んんー!」
目を輝かせて、人魚はうなずいた。隼人のいまの言葉に、人魚が伝えたいことが入っていたようだ。
「不安定?」
「んん!」
鼻息を荒げて、首を横に振る。ちがうようだ。
「手当て」
「んー、んー!」
人魚はうなずき、そしてバンザイをする。バシャバシャと、水を叩くものだから、飛沫が隼人の顔にあたる。
言葉がわからなくても、この子をひどい目に合わせる奴は、そうはいないだろう。無邪気な子供を見ているように、優しい気持ちになる。と同時に、エロい感情も湧き上がる。
無意識に、隼人は舐められていないほうの頬を自分で叩いていた。
「あ、こっちも痛いぞ。ほら、手当て。こっちのほうも舐めてもらえる? あ、なんでもないです、ごめんなさい」
無茶苦茶さめた目を向けられてしまった。その冷静な顔のまま、人魚は浮かんでいる男を指差す。
「あー、わかった。もしかして、あいつの手当てをしてほしいのか? いや、でも。オレのほうも手当てもしてもらいたいんだけど」
叩いた頬のことではなく、水の中の太もものことだ。いつの間にか血は止まっているようだが、まだ痛みは続いている。
「ん!」
察してくれたのか、人魚が潜水する。隼人の太ももの傷口に唇をつけると、嘘のように痛みがなくなる。わけがわからないけれども、傷が治ったようだ。
「こんなことが出来るんだったら、君が手当てしたほうがよくない?」
「んん」
人魚がそれはできないのだと、力強く首を横に振る。いままでの可愛さがなりを潜め、動きに風格が漂っている。
風格というものに、隼人は弱い。遥が巫女服を着ただけで、どんな無茶な要求にも隼人は従ってしまうぐらいだ。あのときの遥を隼人は『岩田屋の巫女』と勝手に名付けている。
同じように、風格漂う人魚の呼び方を変えることにした。
「わかりました。従いますよ、人魚姫」
水に浮かぶ少年に近づきながら、隼人は自分の頬をさする。太ももは完治したが、自分で殴った頬は痛いままだ。
「いてて。帰ったら、遥に舐めてもらえたらいいんだがな」
気持ち悪い泣き言を口にできるだけ、隼人は恵まれたほうだ。
水に浮かんでいるのは、高校生ぐらいの少年だ。意識を失っているようだが、指先が微かに動いていた。左の二の腕に刻まれた痣をかきむしっている。何度も二の腕に爪を立てたのか、血が出ている。
他に目立った外傷はなさそうだが、どんな手当てをするとしても、まずは水からあげるべきだろう。あとのことは、陸で考えよう。
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