2016年【隼人】34 地下の水棲UMAエリア


   12


 階段を降りた先には、廊下がなかった。地下一階は、いままでのフロアとはつくりが違う。モスマンにしがみつきながら隼人が見るのは、半開きの扉。

 飛行するモスマンの体当たりで、地下の扉が簡単に開いた。里菜の戸締まりも、地下までは間に合っていなかったのだろう。


 豪快に訪れた部屋は、天然温泉をイメージさせる室内大浴場のような場所だ。

 床がいくつもの天然岩で出来ており、それらを組み合わせることで水場が確保されている。学校のプールにも引けをとらない大きさだ。ところどころに、座りやすそうな岩が配置されており、作り手の優しさが垣間見える。


 なんにせよ、隼人にとっては好都合だ。硬い床に着地するよりかは、着水のほうがマシだろう。意を決する。

 隼人はモスマンから手を離す。


 惰性で滑空した後、つま先が水面に触れる。冷たい。十月のプールのように、水温は低い。

 下半身が水の中に入っても、勢いは殺せない。

 このままだと、どこかにぶつかるまで止まらない。

 浴場のふちの岩が近づくにつれて、世界が、ゆっ、くり、す、す、む。


 水の飛沫ひとつひとつまで鮮明に見えてきた。

 モスマンから逃げたつもりだったが、これでは自殺だ。


 頭のてっぺんまで水中に入ったのに、まだまだ止まる気配がみえない。

 抵抗を続ける。勢いを殺すように体を固くした。あがいたところで、隼人が全力で泳ぐよりも速いスピードで水中を移動する。水の抵抗が激しすぎて、目を開けていることもできなくなる。


 ぎゅっと目をとじる間際に、水中内で不思議な影を見た。

 闇の中で、影を形にし、色をつけていく。

 水の中で、隼人に並行して泳ぐ緑色の髪をした女性が完成する。

 幻覚でないのならば、手を伸ばしたところにいまもいるのかもしれない。


 腕を伸ばした。誰かに掴まれた。あろうことか、カップルのように、腕を組んでくる。胸に肘が当たる。なかなかの巨乳だ。

 肘の感触に意識を集中させる。

 こわさや苦しさが軽減されていく。

 意識が水の中に溶けるように時が進む。

 流れに身を任せているうちに、隼人は水にぷかぷかと浮いていた。

 どこにもぶつかっていない。

 誰かが助けてくれた。


 肘の感触が夢ではなかったという証拠になるのかわからないが、隼人の股間は大きくなっている。


「違うんだ、遥。僕はお前のおっぱいが最高だと思ってるから」


 生き残った隼人が、最初にやりたいと思ったのは、遥の胸を肘でぐりぐりしたいという内容だった。

 もっとも、生き残っただけで、まだ危機が去ったわけではなかった。


 着地したモスマンが、落とした隼人を回収すべく、壁をガンガンと叩きながら近づいてくる。

 どうして、ここまで執拗にモスマンに狙われなければならないのだ。まるで、恨まれているようだ。モスマンを殺したこともなければ、家族に手をだしたこともないぞ。


 ガンガンガンガン、ドンドン。


 壁を叩いていた音が、途中で変化した。材質が変わったのが原因だ。『ガン』は壁で、『ドン』はエレベーターの扉だ。

 デジタル表示の『1』の数字が点滅する。表示が『B1』に切り替わると、機械的な女性のアナウンスが発せられる。


『地下一階デス』


 モスマンが扉を叩こうと振りかぶった豪腕は、タイミングよく開いたエレベーターの中に入っていく。

 硬球がキャッチャーミットにおさまるような鋭い音が響く。


「んだよ。危ねぇな」


 モスマンの姿が邪魔でエレベーターに乗っている人物の顔は見えないが、そいつは片手でモスマンの拳を受け止めていた。


「再会の挨拶にしては、どーかと思うぞ? 説教だな、こい」


 あろうことか、そいつはモスマンをエレベーターに連れ込んだ。

 エレベーターの扉がしまる。

 モスマンと密室。誰だかわかりませんが、死んだら線香をあげにいきます。


 デジタル表示の数字が、どんどん大きくなっていく。表示が天国とかにならないとしても、内部でモスマンに惨殺されている可能性はある。同情はする。だが、隼人が助かったのは紛れもない事実だった。爪がめりこんで水に血が滲んで痛い。だが、死んでいたら痛いもくそもないのだから。


 まさに嵐が去ったあとの静けさだった。

 先程までのが嘘のように、静かになっている。

 それまでは気にもならなかった水のはねる音に、隼人は敏感に反応する。


「誰かいるの?」


 訊ねた後になって、言葉が通じない相手かもしれないと、不安になった。

 人間がこの部屋にいるとは限らない。

 ここは、UMAのマンションだ。だから、もしかして水棲UMAが、このプールに集められているとしてもなんらおかしくない。


 さきほど、水の中で見たのは緑色のなにかだった。

 尻子玉を抜かれるのをおそれて、隼人は肛門をおさえる。緑色のUMAといえば、カッパに決まっている。

 またしても、水がはねる。波が立つ中心で、魚の尻尾が見えた。

 どうして、カッパという発想しかなかったのだ。

 美人で歌の上手い水棲UMAが、いるではないか。


「任侠と書いて、なんて読むんだっけ?」

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