2016年【隼人】33 夢が現実になると、痛みをともなう

 モスマンに命中した弾が、体から飛び出てきた。

 弾は虫のようにうねうねと動いていたが、地面に転がって止まると動きやしない。なるほど。筋肉の力だけで、弾を外に吐き出したってわけか。


「にしても、筋肉ぶ厚いなぁ。百時間をこえる総集編のエロDVDのケースかよ!」


 長いツッコミが不服だったのか、モスマンは足の指で隼人の太ももを掴む。肉に食い込んでいく足の爪は、猛禽類のカギ爪のように鋭い。


「いって、はなせ。いや、撃たれたほうが痛かっただろうけど、これもやばいって。あんたは筋肉が仕上がってんだから、全身凶器ってわかって」


 体にめりこんで沈んでいくのは爪だけにとどまらない。足の指自体も入ってくるようだ。やめろ。傷口に汚物を塗りこまれたら、洒落にならない。


「マジでやめろ。破傷風になるだろうが」


 生きて帰れたら、この瞬間を教訓としよう。

 夢が現実になると、痛みをともなう。

 だから、そのときが来る前に覚悟をしておかねばならない。気を抜いては駄目なのだ。


 モスマンは足で隼人を掴んだまま、階段へと飛び降りる。空気の抵抗を受けながらも、一向にモスマンのカギ爪は太ももから抜けない。


 痛い、痛い、痛い。喋って抵抗するのなんざ、無理そうだ。


 どんどん、安全だった部屋が遠くなる。

 もう戻れないのかもしれない。

 UMAと触れ合ったことのなかった頃が、太古のように思えてきた。

 凄まじい速度で、隼人は遠い場所に向かっている。

 階段を降りた隼人は、地面に転がった。だが、解放された訳ではない。モスマンは隼人を靴のようにして、廊下を歩いていく。


 モスマンが足を上げる。瞬間的にカギ爪が抜けそうになるのだが、足を下ろされると、一歩前よりも奥にカギ爪が押し込まれる。

 童貞だから想像の域は出ないのだが、これはマンコにチンコを挿入したときと同じではないか。出し入れするチンコのように、入れたときと抜くときでは別の感覚がやってくる。


 痛みの中、隼人は『1』からはじまる三桁の部屋室を幾つも見た。部屋番号の数字がどんどん小さくなっていく。『103』号室の前でモスマンは足を止める。

 意気揚々と、モスマンはドアノブに手をかける。まさか、この部屋に住んでいるのか。部屋に連れ込まれるのは危険だ。貞操の危機とかじゃなく、命が危ない。


 だが、なかなかドアは開かない。やがて、苛立ち混じりに、モスマンはドアを叩きはじめる。拳にこめる力が強くなる度に、全身にも力がこもる。隼人とモスマンが繋がっている箇所は、すでに血まみれになっている。


「残念やったな。そこは、もううちがカギしめてもうたわ。門限守らん悪い子は、外で一晩過ごさなアカンって教育うけてこんかったんか?」


 制服姿の里菜が、廊下に立っていた。右手だけが、透明マントに包まれて消えている。武器がどこにもないのを見るに、透明マントにライフルを包んでいそうだ。


「にしても、どないしたんや。男を部屋に連れ込んでなにするつもりなんや? 清純派からギャルに好みが変わって、いまは男になったんやとしたら、迷走し過ぎやで。だいたい、化粧落としたうちに触手が動かんのか? その程度の好意でナンパしてきたんやったら正直、ムカツクで。なぁ? きいとるんか、守田くん?」


 守田って、誰だろう。撫子の友達で転校した守田澄乃って女の子ぐらいしか、その苗字に心当たりがなかった。

 なにか関係があるのかどうか、訊ねることはできない。モスマンが里菜のほうを向いたことで、また新しい痛みの波がやってくる。叫ばないように耐えるので必死だ。


「ほれほれ、見てみ。その子は呼吸するんも苦しそうやで。そんなことお兄ちゃんがやりよるって知ったら、妹さんが悲しむんとちゃうか?」


「いもうと――」


 モスマンが日本語を喋る。里菜が話しかけていたことには、ちゃんと意味があったのだ。


「せや。思い出し、あんまりアホしよったら、ユウジにしばかれるで。あんたは、無茶やるユウジをあずきちゃんと一緒に止める係とちゃうんか?」


「――ゆうじ」


 その名前をモスマンが口にした瞬間に、マンションの出入り口と思しき扉からノック音が聞こえてくる。


「噂をすればなんとやらやな。さすが専門家。もう来たみたいやで」


 はじめは優しかったノックは、回数を重ねるごとに力強くなっていく。

 気のせいかもしれないが、建物が揺れたように感じた。それとも、この音におそれをなして、モスマンが震えているのか。

 どちらにしても、なにかとてつもない存在が、扉の向こう側にいるのは間違いない。それこそ、モスマンでも壊せない扉をぶっ壊してきそうだ。


 振動と音が響くたびに、モスマンは「キィキィ」とうめいている。やがて、それは明確な名詞に変化する。


「ゆうじ。すみの。しっぷーさん。あああああああああああああああああああああ」


「あかん。煽りすぎてもーたか」


 後悔するのならば、黙っておいてほしかった。

 里菜が煽ったばかりに、隼人は床から体が離れた。

 解放されたわけではない。隼人を掴んだ状態で、モスマンは羽ばたく。


 モスマンの赤い瞳、すなわち胸筋が震えた。筋肉をフルに使って、羽根まみれの服を握って腕を振っている。鳥人間のような動きで、力任せに宙に浮かび、飛んだのだ。


 飛行速度は、どんどん上がっていく。

 壁が近づいてくる。このままではぶつかる。と思った瞬間に、隼人はカギ爪から解放される。


 バカ野郎。このまま壁に激突したら、死んじまうだろうが。


 隼人はモスマンの腰を掴んで離れまいとする。さっきまで掴まれたままだと、いずれ死ぬと思っていた。だが、いまは離れてしまったらすぐに死んでしまう。


 モスマンは廊下を横切ると、自由になった両足を壁についた。

 水泳のターンの要領で加速する。勢いをつけて階段をおりていく。

 両腕を振って、更に速度を上げる。

 振り落とされまいとして、隼人はモスマンにしがみつく。


 いまの状況は、まるで人生の縮図だった。

 夢が現実になって、チャンスに飛び込むというのは、こういうものなのだろう。

 不器用な男は、夢にしがみついておかないと、人生において大怪我をおうか、あるいはシンプルに死ぬ。


 とはいえ、このまま夢に振り回されるだけではダメだ。

 次のチャンスに経験を活かすために。どうにかして着地して、生き残ってみせる。

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