2016年【隼人】32 弾丸に信念をこめて、撃ち出す

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 今回、部屋から外に出る際の必需品は、ちっぽけな勇気やで。と、里菜が語った。

 そんなことを思い出しながら、隼人は左手でドアノブを握り、深呼吸をひとつ。


 モスマンに襲われたらどうしよう。右手で握っている拳銃でどうにかできるのか。いや、その前にモスマンに襲われるというのは、そんなに悪いことか。それはそれで面白い経験だろう。前向きに考えてしまえ。


 ドキドキしている。不安からくるものか、好奇心からくるものか、わからなくなっていた。


 魚眼レンズを覗く。モスマンの姿は確認できない。外に出るチャンスだ。


 扉を開ける。複数車線の道路を横切るときよりも真剣に、左右の安全確認をおこなう。

 右はすぐに壁、左には廊下。このマンションの廊下は横に長い。学校の教室で換算すると、三つか四つはありそうな長さだ。廊下は汚れており、変なにおいがしている。おそらく、あれが里菜の足跡だろう。


 このフロアの廊下には、モスマンはいないようだ。


 目の前に下りの階段がある。踊り場には、汚物を踏んだモスマンの足跡が残っている。階段には、ひとつもモスマンの足跡がなくて、隼人は生唾を飲んだ。


 おそらく、モスマンは踊り場までひとっ飛びしたのだろう。生半可な運動神経ではない。もしかして、人の姿を保ったまま飛んだりして。


「おっふ」


 里菜にチンコを掴まれた。

 あっさりと、隼人の役目は終わってしまった。残された仕事は、いつの間にか里菜が閉めていたドアを開けて、部屋に戻るだけだ。

 隣の部屋の入口でピッという電子音がした。カードキーをかざすだけで、外側から鍵をかけられるという話を里菜がしてくれた。纏ったものの姿を視覚できなくさせる透明マントの生地越しでも、カードキーは使えるようだ。


 里菜は次々に部屋をロックしていく。廊下に電子音が響く度に、彼女はあくまでも見えないだけで、存在が消えた訳ではないのだと隼人は実感する。

 下の階では、おそらくモスマンが廊下を徘徊している。その横で里菜は鍵をしめていく。見えないとしても、気づかれないとは限らない。


 せめて、この階の廊下にモスマンがいてくれれば良かったのに。隼人が慌てて部屋に戻る姿を見たモスマンが、もう誰も外に出ていないと、思い込んで里菜の存在を欺けたかもしれないのだから。


 廊下に電子音が響かなくなる。ほどなくして、階段を降りる足音がきこえる。廊下の両端にそれぞれ階段があるようだ。隼人の目の前にある階段とは真逆に位置する階段を使って、里菜は更なる危険地帯に進む。


 隼人はコルトパイソンを両手で握る。


 里菜が語った通りで、部屋から外に出る際の必需品は、ちっぽけな勇気だけで良かったのかもしれない。

 両手で握ったままのパイソンも、弾丸に込める信念も必要ない。

 けれども、どちらも欠けていないのが、この世界の浅倉隼人なのだ。


 拳銃を持った人間が、この階にいることを主張すべきだ。モスマンが発砲音に気づいて興味を持てば、うまく誘き出せそうではないか。成功すれば、里菜の戸締りも捗るはずだ。

 これぞまさに、援護射撃。


 踊り場に残った足跡に向けて、発砲。

 弾道は速く、狙った場所に当たったかどうかを把握できない。結果がわからない以上、これからも射撃が特技だと、いっていいのかもわからない。てか、そんなことよりもだ。


「本当に撃っちまった」


 何故か遥に怒られるような気がした。バカじゃないの、ほんとバカ。と頭の中で勝手に遥の声が再生されて叱ってくれる。


 頭に続き、徐々に感覚も発砲を理解していく。反動がすごかった。両手が痺れている。

 音がうるさかった。パイソンを片手に持つ。それぞれの手を、キーンとなった耳に近づけていく。顔に拳銃が近づくと、独特なにおいがした。これが、硝煙のにおいか。花火の火薬が燃える時のにおいに似ている。


 花火を思い出したら、いやな気持ちになる。

 今年の夏祭りの花火は、次の機会に持ち越しとなった。

 その次の機会にも、遥と一緒だと思っていたが、はたしてどうなるだろう。その時まで、生きているかもわからないので、考えるのは無駄だ。


 いまは生き残ることを考えろ。

 音でも臭いでも、拳銃を持っている誰かがいると主張し終わったのだ。この階にモスマンが興味を持つ可能性は高い。


 などと隼人が考えている間に、モスマンが階段をのぼってくる。のそのそと歩いている姿を見て、思わずつっこまずにはいられない。


「飛んでこないのかよ!」


 モスマンは赤い目でこちらを観察している。いや、赤い目にみえるあれは 、ただの奇形おっぱいか。なんでもいい。とにかく、赤い目を的にして、パイソンの狙いを右手だけで定める。同時に左手は、ドアノブに伸ばしている。


 視線で穴をあける勢いで狙い定めていたが、ぜんぜん足りない。もっとモスマンを観察したい。

 でも名残惜しいが、これ以上は危険だ。


「じゃあ、またな」


 ドアノブを回す。モスマンが一歩踏み出す。ほぼ同時に動いた。この時点では、部屋の前と階段の踊り場という圧倒的な距離があった。

 だが、隼人に扉を開く時間は与えられなかった。


 たった一歩だ。

 モスマンは、踊り場から隼人の目の前までやって来た。


 夢を叶えるための存在、UMAがわざわざ向こうから近づいてきてくれた。嬉しい。

 喜びを感じている場合ではなかった。これも軽いパニック状態に陥ったといえる。

 気づいたら、引き金を指にかけて発砲した後だった。


「あ、ごめんなさい。つい」


 赤い目の下あたりに当たった。

 さっきはこれで里菜が追い払った。だから、今度も逃げてくれるはずだ。


 それにしても、夢を自らの手で傷つけるとは後味が悪い。さらにいえば、あろうことか離れていくのを願っているとは。夢を叶えたかったはずなのに、いざとなるとびびってしまう。

 遥との関係と同じだ。もしかして隼人は、明確な結果を出すよりも、現状維持を選ぶタイプなのかもしれない。


 なんにせよ、モスマンと遥はちがう。

 向こうから関係を進展させてくれる。

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