2016年【隼人】29 獣の烙印

「そっちやのうて、ウチがいうてるんは出世魚のトドのことやで」


「出世魚? ブリとハマチは知ってますけど」


「ボラって魚は知らんのか?」


「名前は知ってますけど、特徴は知らんすね。食ったこともないと思いますし」


「まぁ、ボラの名前を知っとるんやったら説明は簡単や。ボラは成長に応じて名前が変わるんや。始まりと途中をようは覚えてないけど、オボコ、ボラ、トドみたいな順番やった。トドは、これ以上大きくならん形態のことをいう」


「へー。でも、オレもオボコは知ってますよ。未通女と書いて処女ってことですよね」


「そーいう話には強いんやな」


「はい。保健体育は百点満点とりましたから」


「自慢にならんで、キモいだけや」


「じゃあ、百点は嘘です。零点でした」


「いや、点数の問題ちゃうからな。アホなんか、自分?」


 ツッコミをしたあと、里菜は咳払いをして表情を引き締める。


「話を戻すで。浜岡博士が提唱した『プロジェクトエヴァー&エヴァー』には獣人計画があったんや。簡単にいうたら、至高の獣人ビッグフッドを養殖しようって計画やな。巖田屋会ではそれを皮肉って『とどのつまり計画』と呼んでんねん」


「獣人UMAを作る? 捕まえるじゃなくて? ずいぶんとぶっ飛んだ発想ですね」


 引き締めたばかりの里菜の顔が、隼人を見つめていたら吹き出してしまった。


「ぶっ飛んだ行動した自分が、よう言うわ。笑わせんといてくれるか?」


「えっと、どのことに関して言ってるののか、わかんないんですけど」


「お嬢の『計算』を越えて、コトリちゃんを助けにいったことや。あれのせいで、獣の烙印を刻まれてる自分をここに連れてくるハメになったんやからな」


「獣の烙印?」


「聞きなれん言葉やからこそ、いまは説明せんで。下手な予備知識を与えるよりも、専門家にいちから教わるほうがええやろ?」


「意味がわかんないことばっかですよ。だいたい、その専門家ってのは?」


「興奮しとるモスマンでも、素手で簡単に捕まえる男のことや」


「んな人がいるんですか? すげぇ」


 筋肉ムキムキでハリウッド映画に出てるような男を妄想した。もっとも、父親の浅倉弾丸でも、モスマンをなんとかできるだろう。だが、くそ親父の場合は勢い余ってモスマンを殺しかねない。


「話の続きは、あとにさせてもらうで。ダウンロードがすんだから、これでここから動かせるはずやからな。よっしゃ、ほなやるで!」


 嬉々とした表情で、里菜は端末を操作する。アダルトビデオのパッケージになっていてもおかしくないほどに、素敵な顔だ。


 いきなり、部屋の電気が消えた。と思ったら、すぐに点灯する。

 明るくなって照らされた里菜の表情から、笑顔は消えていた。


「あ。え! マジかい。嘘やん!」


 叫びながら、里菜はタブレットを叩く。それでも苛立ちはおさまらないのか、タブレットを投げ捨ててしまった。

 中学生たちの目の前で取り乱した里菜はハッとして、わざとらしく咳払いをする。


「きみたち、機械強かったりしませんか?」


 下手くそな標準語を口からひねり出す。いまの里菜は普通でなかった。


「オレが使ってるのガラケーですからね。ポケモンゴーもできませんので、機械は弱いですね」


「使えん、雑魚やな。ほなら、生身で強かったりせん?」


 関西弁に戻った途端に、ぼろ糞に言われてしまう。


「もしかして里菜様。二重扉の鍵を切り替えるのを失敗しましたか?」


 ここまで焦る理由に関して、コトリには思い当たる節があるようだ。いままで黙っていたのに、聞き耳を立てていたとはさすがだ。


「いや、そこは成功や。成功なんやけど、喜べんねん。鍵のロックが、目的の箇所だけやのうて、マンションの部屋全部が逆転してもうてな」


 隼人にもなにがやばいのか理解ができた。


「つまり、閉まってる部屋の鍵が、全部開いたってことですか?」


「せやで、最悪やろ。今度こそモスマンが他の部屋で好き放題するかもしれへんってことなんや」


「好き放題って?」


「虐殺と交尾やな」


「なるほ――」


 隼人が相づちを打つ前に、コトリがソファーから立ち上がった。


「浅倉、里菜様! 後ろ、後ろ!!」


 全部の部屋の鍵が逆転した。

 となれば、この部屋も例外ではない。


 背後を確認せずに、隼人はその場から走る。壁にたどり着いたところで振り返る。やはりモスマンが玄関から入ってきていた。ドアノブを回せる程度の知能はあり、手もあるということか。よく見れば、体から羽のような体毛が生えているわけではないようだ。羽根がたくさんついた服を身にまとっている。


 冷静に観察している場合ではない。対処法を考えろ。モスマンの目撃事例にヒントがあるかもしれない。


 思い出したのは、有名な逸話だった。

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