2016年【隼人】22 なかったことにする生存戦略

 タバコの灰がフローリングに落ちそうになっている。しったことか。コトリは黙って隼人の言葉に耳を傾けている。


「ちがうんだよ。自分より下をみつけて、安心するお前とは頭の構造がな」


「ムカつくな。いつも、そうだ。ハルを貶めるような内容に関しては反論しやがってからに。ヒーロー気取りもたいがいにしろ。なんなんだ。なんで無条件で味方になるんだ?」


「味方もなにも、オレは事実を言ってるだけだからな」


「好きだからって言えよ、ばーか」


「うっせぇな。好きだよ。惚れがいのある女なんだよ、遥は」


 遂にタバコの灰がフローリングに落ちてしまった。

 床が汚れた。

 冷蔵庫の物に手を出した以上に、ヤクザの逆鱗に触れるだろう。

 そんなことに考えがまわらなくなるぐらい、コトリには言いたいことがあるようだ。


「でもさ、ハルは自分の幸せのためなら、家族を捨てるような女でしょ。そんな奴のどこがいいんだ?」


「言うにことかいて、なにぬかしてんだ。家族を捨てた? 父親に見捨てられたのは、遥のほうだろうが」


「だとしたら、あの本質は顔のわからない父親から受け継いだのかもしれないのか。捨てられたほうは、まだまだ恋心を持ってるってのに、世界の歪みを感じるな」


「ちょっと待て。お前がいう、遥の家族って、もしかしてオレのことか?」


 それ以外にいるかと言いたげに、コトリが鼻で笑った。


「昔、ハル本人が言ってたのよ。単なる幼なじみというよりも、浅倉隼人は家族みたいなものだって」


 嬉しい。と同時に、遥と一線を超えれなかった理由が、そこに『も』あるように思えた。


「なるほどな。キョウダイみたいなもんだから、恋愛に発展しなかったってことか」


 家族だからダメ、と。遥は自らに言い聞かせていたのではないか。

 隼人が『約束』にこだわっているように、遥にも譲れないものがあったのかもしれない。


「家族はキョウダイだけじゃないでしょ」


「それもそうだな。じゃあ、なんだ。親子か?」


 隼人の母親が死んで以降、時おり、遥から母性を感じるようになった。それとなく探りをいれたところ、遥は遥で、父性を隼人に感じたことがあると言っていた。お互いの足りない親のかわりを、自然と隼人と遥は演じていた節があるのだ。


「キョウダイ、親子、どっちもちがう。だって、どう考えたってあんたらは夫婦だろ。アタシたちは、あの教室で二人の誓いのキスを見届けた。だから、それ以外にないでしょ」


 掃除時間の教室で、隼人と遥はクラスメートの前でキスをした。

 顔のない獣をちゅうでやっつけたあの行為には、当事者が思っている以上に、深い意味があるのかもしれない。

 だとしても、コトリが言ってるのはおおげさ過ぎやしないか。


「ち、誓いのキスって。バカかおまえ。結婚式じゃあるまいしよ」


 舌打ちのあとに、コトリは髪をかきまくる。

 拉致られたから風呂に入っていないのに、コトリの髪の毛はサラサラだった。それが、ものの数秒でボサボサになる。


「結婚式じゃないのに、だいそれたことやった奴が、いまさら照れるな。死ね」


「そんなんじゃねぇよ」


「だったらなに? 思い出して勃起した? 死ね、死ね」


「エロい気持ちになる思い出じゃねぇよ。あれは、もっと。純粋な」


「しっかり記憶に残ってるのは、間違いないのね」


「たりめーだろ。忘れられるわけねぇ。ファーストキスだぞ、ファーストキス」


「でも、あんたらのファーストキスを忘れてる奴も大勢いるのよ。知ってる? 弱い動物はショックを受けると仮死状態になるって話?」


 隼人の強がりを悟られたのかと思ったが、ちがったようだ。

 実際のところ、隼人もあのキスを鮮明に思い出すのは不可能に近い。


 唇の感触、匂い、唾液の味、色々なものが曖昧になっている。


 なくしたものをみつけるために、屋上から飛び降りようと本気で考えたぐらいだ。

 隼人でもそんなものだから、傍観者だった連中が忘れていても無理はない。


「生存戦略の話になるんだけどね。外界からのストレスをやり過ごす方法として『鈍感になる戦略』を現代の若者たちは無意識に採用してるんだってさ」


「つまり、UMAを信じてない奴は、仮に見たとしても気にもとめないとか、そういう話と同じだな」


 コトリはタバコを空き缶の中に入れる。口は半開きのままで、小首をかしげた。


「あのさ。つまり、って銘打つんだったら、せめてわかりやすい例えだしてよね。余計にわからなくなった気がするんだけど」


「いや、だから。そうだな、今度はUMAでたとえるよ。仮死状態になるって言われてるUMAがいるんだけど。アルガーー」


「もういいから喋るな! つまりね、あんたらの誓いのキスは、弱い人間には刺激が強すぎたのよ。キャパを超えたから、鈍感になって『なかったこと』として処理した奴もいるってこと」


 他人事ならば、それも仕方がないのかもしれない。

 だが、隼人からすれば、思い出が曖昧になっていくのが恐怖でしかないのだ。それこそ、あのときのキスを冷やかし目的でもいいから誰かが携帯電話でムービーをとっていてほしかったと、いまになっては思っているぐらいだ。


「当事者のオレからしたら、なかったことになんて出来ねぇけどな」


「浅倉にとってはそうでも、ハルにとってはちがったのかもよ」


「いや、受け止めてくれたはずだ。なかったことになってるはずがねぇ」


「あんたの言うとおりで、ハルもなかったことにできないって考えてるんなら、そっちのほうが最低だ。だって、浅倉じゃなくて倉田を選んだんだからな!」


 大声で叫ぶコトリを目の前にして、隼人は面食らってしまう。

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