2016年【隼人】21 獣に劣る親の子供たち

 ガラステーブルの上に、ティッシュ箱を置く。エアコンのリモコンは、その箱から拳で二つ分を離した距離に置いた。

 ソファに腰かけながら、隼人は自分で作った地図もどきを眺める。


 ティッシュ箱が岩田屋中学校の校舎だ。拳二つ分の距離は運動場で、隼人らが拉致られている建物がリモコン。


「まー、だいたいこんな感じか」


 位置関係を把握しても、脱出のための突破口はみいだせない。


 部屋を調べるのを中断して、こんなものをつくっているぐらいだ。いまだ部屋から出る方法はみつかっていなかった。


「どしたどした? 息巻いてたけど、あきらめたの?」


 トイレから帰ってくるなり、コトリが煽ってきた。反射的に舌打ちをした隼人だが、まだ腹の虫はおさまらない。


「あきらめるわけねぇだろ。ちょっと、休憩してるだけだ」


「休憩だったら、コーラ飲む? それとも酒のほうがいいか?」


 冷蔵庫を開けて、コトリは缶コーラと缶チューハイを取り出す。火がついていないタバコをくわえている口の端が歪む。微妙な笑みを浮かべたまま、ソファに近づいてくる。


「そういや、コトリ。お前、まだタバコ吸ってねぇんだな。最後の一本だから、惜しくなってんのか?」


「んー、まぁそんなとこだ。それより、ほい。飲め飲め」


 コトリは片手に一本ずつ握っていた缶を、二本ともテーブルの上に置く。ずいぶんとばらけた位置に置いたものだ。にしても、この配置、なんとなく引っかかるものがある。


「あれ? いらなかったのか? それとも、アタシが用意したもんは飲めないっての?」


「いや、そういう訳じゃねぇよ。せっかくだから、お言葉に甘えるけど」


 喉が渇いていたので、コーラに手を伸ばした。缶を掴んだときに、ティッシュ箱が自分の腕で隠れた。

 不意に引っかかりを覚えたことの答えをひらめく。


 さきほどのように、ティッシュ箱の位置を学校だと想定する。コーラがある位置は、隼人や遥の家があるあたりだ。だからなんだという気持ちの中で、プルタブを開ける。


 口をつける前に、缶チューハイと学校の位置関係にも答えを出した。UMAを見た湖のあたりに缶チューハイが置かれているのだ。スッキリしたものの、別にどうでもいい。脱出の方法には、なにも関係がない。


 喉が渇いていたので、隼人はコーラを一気飲みする。


「いい飲みっぷりだな」


 コトリにお礼を言おうとしたが、ゲップが出て、タイミングを逸した。


「いやほんと、すごいな。ヤクザの部屋にある冷蔵庫の物を平気で飲むなんて。アタシにはこわくて、到底真似できない」


 飲みきったあとに、不安を駆り立てないでもらいたい。


「いや、あきらかに飲まないと失礼な雰囲気出してたの、コトリだろ――てことは、あれか。オレをはめたのか。卑怯だぞ、お前も飲めよ、おい」


「はいはい。毒が入ってなかったみたいだし、飲むよ。それに、缶チューハイも浅倉が飲んだってことにすりゃ問題はないしな」


「どういう教育受けたら、そうなるんだ。親の顔が見てみてぇ」


「親の顔をみても意味ないぞ。ある時から、なんの教育もされなくなったからな」


 瞳の色に憎悪をこめて、コトリは缶チューハイを飲んでいく。彼女の親は、酒も煙草も二十歳になってからということすら教えていないのだろう。


「だとしても、素行の悪い言い訳に家庭環境を持ち出すのは、どうかと思うぞ」


「でもさ。アタシが小鳥遊の家の子供じゃなかったら、いまのこのヤクザに拉致られた状況にも希望が持ててたはずだからな」


「なんだ? 今度は足掻かない言い訳に家を持ち出すのか?」


「言い訳じゃなくて、明確な事実だ。浅倉もアタシも、親から育児放棄されてるだろ。一日ぐらいなら、家に帰らなくても問題にならない環境で生きてる。だからこそ、あんたは必死になってるんじゃないか。誰も期待できないから、自分の力で脱出しないといけないって思ってるんでしょ?」


 その通りだ。指摘されて、隼人は素直に感心した。

 隼人の母親は死んでいる。父親は何年も家に帰っていない。妹とは喧嘩したままだ。もしかしたら、妹の撫子にいたっては、隼人が帰ってこなくてせいせいしているかも。


 となると、救助の期待を寄せられるのは遥だけだ。あいつがお節介を発揮してくれれば、なんとかなるかもしれない。


 だが、ヤクザとのごたごたに遥を巻き込むぐらいならば、おせっかいは必要ない。いまみたいに、何も知らぬまま部活動に励んでくれたほうがいい。


 遥は彼氏とともに、汗を流していればいいのだ。

 汗まみれの遥をイメージしているのに、鼻で感じるのはタバコの臭いだ。どうやらガスコンロを使って、コトリはタバコに火をつけたようだ。


「知ってるか浅倉? 育児放棄って、虐待なんだってな」


 コトリは隼人が飲み干した缶コーラを持っていた。空き缶の中に灰を落とすと、隼人の返事を待たずに続ける。


「動物でさえ子育てするのに、情けない親だと思うよね。うちも、浅倉も、ハルのところも、獣に劣る親ってことだよな」


「そいつには、同意できねぇぞ。遥のところはちがう。朱美ちゃんは頑張ってるぞ」


「片方が頑張ったところで、普通の家庭環境にはなれないだろ。だいたい、父親がいないだけじゃなくて、顔も知らないんでしょ。ハルのところが、一番おかしいよ」


「顔は知ってるだろ。走り屋の兄貴だ」


「アタシもその人は知ってる。でも、父親っていう確信はないはずでしょ?」


 見事に論破された。タバコを吸っている女に言い返せない。


「なんか悔しいよね? アタシや浅倉よりも、ひどい家庭環境からはじまってたのに、いまは逆転されたなんてさ」


「そんな言い方はないだろ。コトリがさっき言ったように、遥の始まりが底辺だったとしても、あいつはそこからのぼっていったんだ。不幸でなくなろうと、遥は努力した」

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