2016年【隼人】20 日常からはみだしてしまう
二人がけのソファやガラス製のおしゃれなテーブル。高そうな家具で自炊した食事ができそいだ。
オーブン付きのカウンターキッチンの近くには、冷蔵庫や電子レンジや電気ポットといった家電のほかに、食器棚もある。
目立つのは、左手側の白い壁だ。窓はおろか、壁掛け時計などのインテリアすらついていない。部屋の一面がおそろしく白い。
壁に背を向けてリビングを歩いていく。床のカーペットの生地はふかふかだ。素足に伝わる感触が心地いい。毛触りを楽しむように歩いていると、カウンターキッチンの前まで来ていた。
キッチンまわりには、乱雑にカレーや丼などのレトルト食品が置かれている。勝手に食べていいのならば、食事には困らないだろう。
冷蔵庫を開けてみる。飲み物が所狭しと入っている。辛口カレーを食べ過ぎて、喉が渇いてもへっちゃらな量だ。ほとんどがアルコール飲料だが、こんな状況では未成年は飲酒禁止とか言ってられないだろう。
冷凍食品も数多くの種類が揃っている。ご飯をサランラップにくるんで冷凍しているものもあり、これをチンすればカレー用のご飯にも困らない。
レンジを使いながら、レトルト食品を湯煎するというのもひとつの手だ。蛇口からは水が出る。ガスコンロをひねると、ボっと点火した。
「おい、コトリ。火があるぞ」
寝室のベッドが軋む音がした。引きこもっていたコトリが、動き出したようだ。彼女はおそるおそる扉を開けて、リビングに顔をのぞかせる。
大きく見開いたコトリの瞳が、部屋を一望する。驚きを隠しきれていない。
「なに、この部屋? アタシの家が落ちぶれる前に住んでたマンションよりもリビング広いんだけど」
「部屋に窓がないのは、なんとも気味が悪いけどな」
口にしてから、隼人はある考えに至る。白い壁に駆け足で近づき、壁を叩いていく。
「なに謎の行動をしてんの?」
「いや、窓がないのに、こんなでかい壁があるって怪しいだろ。隠し扉でもあるんじゃないのかなって」
「バカでしょ、あんた。天井見てみ」
コトリに言われるがまま隼人は顔を上げる。天井にはプロジェクターが設置されている。
「なるほど、白い壁はスクリーンの役割を果たすわけか。でも、あんなのに、よく気が付いたな」
「露天風呂のあるラブホにも、こういうタイプのプロジェクターがあったからね」
「へー」
ラブホに行ったことがないので、話を広げようがない。それに無駄話に興じる暇もないのだ。散策を続ける。
リビングには合計で三つの扉がある。寝室に繋がる扉が一つ目。残りの二つは、カウンターキッチンの近くにある。すりガラスと木目調の扉だ。
まずは、すりガラスの方から開けようとする。鍵がかかっていた。木目調の扉は鍵がかかっていなかった。脱衣所につながっている。
洗面台には、未使用の歯ブラシや化粧品が置かれている。脱衣所にも扉が二つある。片方は、風呂場に繋がっている。浴室につかりながら、テレビが見える仕様だ。
「ここらへんも、ラブホっぽい。てか、無茶苦茶いい部屋だよな、ここ」
いつの間にか背後についていたコトリが、ぼそぼそと感想を口にしている。だから、ラブホは遥と行けなかったから、よくわからんのだって。
風呂場の扉を閉める。隼人はコトリから逃げるように残った扉に向かう。
最後の部屋はトイレだ。ここも、なかなかに広いスペースだ。これだけの広さがあれば、暮らしていけるとさえ隼人は思った。
設備も最先端だ。ウォシュレットがついているだけでなく、トイレに入ったら自動で電気が点灯する。便座が勝手に開く。
いたれりつくせりの中で、隼人は窓をみつける。
丸い形の窓だ。デザイン重視の弊害で、開閉が不可能になっている。単なるガラスでもなく、マジックミラーのようだ。
太陽が高い位置に昇っていた。そういえば、どの部屋にも時計がなかった。正午ぐらいだと、いまの時刻がわかったのも散策の賜物だ。
ほかには、なにか情報はないのか。たとえば、この場所が特定できるもの。目立つ看板とか、地名がわかるような有名な建物を探す。
宇宙船の丸い窓から銀河の海を眺めるように、隼人は希望を肉眼で捉えようとする。
見知ったものが目にうつる。
馴染みのある学校だ。
隼人らが通っている岩田屋中学校。
夏休みに入っているのに、部活に励んでいる連中は多い。
外周を走っているのは、陸上部だ。
遥をみつけた。短パンに黒タイツの見慣れた格好は、遠くからでも目立っている。
「あ~、良かった」
ホッとして出た隼人の言葉に、コトリが舌打ちする。
「何が良かっただ。バカにもほどがあるだろ。もしかして、自分がヤクザに拉致られていることを忘れてたの?」
「ああ、忘れてた。遥をみつけたら、あいつのことで頭がいっぱいになってた」
不良から逃げ切ってから、どれだけの時間が経ったのかは不明だ。でも、遥が部活のできる安全な場所で生きているのは喜ばしい。
一緒に拉致られたのが、コトリで良かったとさえ思えた。遥が危険な目にあわないに越したことはない。
隼人の肉眼で捉えられる距離の遥が、果てしなく遠いように感じた。
トイレの窓は分厚い。蝉の鳴き声が遮断されているほどに、完璧な防音。
窓の向こう側とこちら側では、まるで別世界のようだ。
日常の横に、非日常は転がっている。きっと、いまに始まったことではない。気づいていなかっただけなのだ。
日常からはみだした隼人は渇望する。
遥の元に帰りたい。
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