2016年【隼人】18 八重歯の女子にまさぐられ

 睡眠中にも人間の身体は動いている。寝返りをうたない人が仮にいたとしても、呼吸はするし、心臓の活動も止まらないので、血液は体内を駆け巡っている。


 男の場合、血液はメンテナンスやストレス解消のために、一箇所に集まる。保健体育のテストで百点満点をとった隼人は、そういうことだけは博識だ。


 とどのつまりは、これが『朝勃ち』だ。


「意外といいもん持ってるじゃんか」


 寝ぼけている隼人でも、誰かに褒められているのはわかる。


 初めて見る天井。なんとも気持ちのいい寝心地のベッド。大の字になっている隼人の体を、服の上からまさぐる者がいる。

 いやらしい手つきの女は、まさかまさかのコトリだ。

 ここまで理解すれば、寝ぼけているという言い訳を自分にするのも嫌だ。


「お前なにやってんだよ」


「あ? うるせぇな」


 文句を言い終わると、舌打ちをされる。


「訊ねただけなのに、そんな態度とられるとは思ってもみなかったな」


「ま、起きたんならちょうどいい。汚いもんを触る必要もないしな」


「は? 人の寝込みを襲って、なに触ろうとしてたんだ。チンコか?」


「んなわけあるか」


 反論と同時に、コトリは睨んできた。目つきの悪い女は、苛立ちを隠しもせずに立ち上がる。タバコを口にくわえると、部屋をうろうろしはじめる。


 横になったまま隼人は、ベッドの上を転がる。コトリと精一杯距離をとったところで、ベッドに座り直す。


 うろうろしていたコトリだが、この部屋には椅子がなかった。結局は、ベッドの端に腰を下ろしている。きまりが悪そうにされているが、隼人にしても同じ気持ちだ。


「おい、浅倉。変な勘違いすんなよ。火を持ってないかと思って、調べてただけだから。ズボンのポケットを探してたら、どうしても手に当たるからな」


「ライター? んなの持ってねぇよ――たぶんだけど」


 反論したが、最後には歯切れが悪くなってしまった。ポケットの中をきちんと把握していない。ズボンを洗濯するときに、ポケットの中から色んなものがでてきて、自分でも呆れた経験がある。


 もしかしたら、ライターはなくてもマッチはあるかもしれない。遥と喫茶店に入ったとき、記念にマッチをもらっていた。念のため、ポケットに手を突っ込んでみる。


 残念。なさそうだ。なにもない。

 おかしいぞ。財布も携帯電話もなくなっている。


「コトリてめぇ、やりやがったな。オレが寝てる間に財布とっただろ?」


 くわえていたタバコが、コトリの口からポロリと落ちていった。それを拾い上げるよりも、隼人に文句をいうのを優先させてきた。


「ふざけんなよ。盗むわけないだろ。だいたい、アタシも被害者だ。浅倉と同じで私物とられてる」


「嘘ついてんじゃねぇよ。信じられっか。いったい、だれにとられるってんだ。お前はいつだって搾取する側じゃねぇか」


「あんた覚えてないの? なんで、こうなったかを?」


 隼人はぼんやりとした頭をフル回転させる。コトリがカーペットの上に落ちたタバコに手を伸ばす。そんな様子を眺めている場合か、視野を狭めて考えろ。


 意識を失ったのは、どうしてだったか。

 すんなりと思い出した。

 勃起したチンコがしぼんでいく。肛門がきゅーっと引き締まる。


「そうだ。撃たれたはずじゃなかったっけ?」


 真剣な表情で、隼人はオロオロする。対照的なもので、コトリは足をバタバタさせて盛大に笑う。


「ねねね? あれってプラシーボ効果なのか。弾が当たったわけじゃないのに、あんた苦しんで意識を失ったんだよ。やばい。あのときは、スルーしたけど、いま思い出したら、むっちゃくちゃ面白いじゃん」


「うるせぇ、笑うな。口をバカみたいに開けてるから、上の歯の牙が目立ってるぞ」


「牙って言うな。八重歯だから。これが、アタシのチャームポイントだし」


「んなの、どうでもいい。それよりも、ここがどこか教えろよ」


 見たところ、どこかの部屋の寝室だ。大人が二人並んで横になっても、まだスペースが余るほどに大きいベッド。こんなものがあるのに、この部屋を別に狭いとは感じない。


「教えろって言われても、そんなのアタシが知る訳ないでしょ」


「オレが眠ってる間に連れてこられたんだろ。だったら、オレよりも情報持ってるだろうが。なんでもいいから教えてくれよ」


「たいしたことはなかったよ。あのあと、すぐに車に乗せられた。で、走ってる途中で変な薬をかがされて、ここにいるの。知ってるのは、それだけ」


「おお、そうか」


「なんなの? その微妙な反応」


「いや、なんでもねぇ」


 こんなあっさり情報を与えてくれるとは思ってもみなかったので面食らった。もっとも、コトリから情報を引き出せたとしても、鵜呑みにはしない。この女は、平気で嘘をつく。信頼できる相手とは言い難い。


 猜疑心を最初から持っているからこそ、隼人はすぐに矛盾点を発見した。

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