2016年【隼人】9 悪影響を与える存在

「オレの仲間がいたのに、よく逃げてこられたな。そういや陸上部の主将だったか? 足の速さには自信があるってか?」


 隼人と遥は顔を見合わせる。ムキムキ男だけが、勘違いしているのだと理解しあった。


「教えてくれ。ぼくが誰から逃げる必要があるというのだ?」


「だれって、そりゃ。俺様の仲間だ。もっとも、格闘技してる剛力から無傷で逃げてきただけでもたいしたもんだがな」


「どいつが剛力だったのかはわからんが、全員向こうで眠っているぞ。起きたら伝えておけ。格闘技なんて下手な技術を身に付ける前に、走り込みからやりなおせとな」


 部活動のキャプテンらしい物言いだ。憎たらしいほどの余裕っぷりは、言動だけに留まらない。あろうことか、ムキムキ男のすぐ近くでしゃがみこんだ。どうやら、靴紐がほどけていたらしい。


 この状況は、隼人となんとかの再来が夏祭りで喧嘩になったときと似ている。

 ムキムキ男からすれば、走り出して勢いをつければ倉田の顔面を蹴れる。

 貧弱を誇る隼人でさえ、なんとかの再来を倒せた黄金パターンだ。

 圧倒的有利な立場を利用して、ムキムキ男は倉田に蹴りを見舞う。


 蹴りを行ったはずのムキムキ男の巨体が宙を舞い、近くの木にぶつかる。

 ピクリとも動かない。

 車ではねられた時よりも苦しそうな顔のまま意識を失っている。もしかしたら、死んでいるのではないか。隼人はそんな心配をしてしまう。


 倉田からすれば、ムキムキ男が死んでいても関係ないのだろう。マイペースに靴ひもを結び直し、ゆっくりと立ち上がる。


「ひとついいか、浅倉?」


 倒れた敵に一度も目を向けず、倉田は隼人を睨んできた。


「こんな雑魚をどうして倒しておかなかったんだ? もしかして、君も彼らの味方なんじゃないのか?」


「え? 言ってる意味が半分も理解できないんだけど」


「そんな訳ないでしょ、倉田くん。隼人は悪い奴じゃないって」


 隼人がポカンと口をあけていたからか、遥が代わりに反論してくれた。ありがとう。


「それには、同意しかねるな。浅倉が無免許運転をしていたことに対しては弁解の余地がない。こんな悪が、君の自慢の幼なじみなのか」


 自慢の部分は、嬉しい。でも、幼なじみどまりと彼氏様に断言されるのは、面白くない。


 遥が黙り込んでしまったのも、なにか思うところがあるからだと信じたい。

 さりとて、遥の横顔を見ても心の内はわからない。倉田みたいに、冷たい目をしてくれていたら、どんなにわかりやすいことか。


「浅倉も、車に乗ってぼくをはねようとして失敗したのじゃないのか。前にもこんな風に襲われたことがあったんだよ」


「ビックリしたカミングアウトしますね」


 隼人のツッコミに、遥も笑いそうになっている。彼女は不自然に首を振り、緩みかけた表情を引き締めなおす。


「でも、そうやってなんでもかんでも悪とか正義とかでわけるから、今日みたいなことになったんでしょ?」


「どうしたんだ、久我? 今日はやけに反抗的だな」


「いや、いつも遥はこんな感じだろ」


「ボソリと言っても聞こえてるから。隼人は黙ってて」


「あー。へいへい」


 隼人の気のない返事に、遥が舌打ちをする。倉田はつまらなそうに隼人と遥を観察してくる。


「つまり、久我の様子がおかしいのも、浅倉のせいなのか? ずいぶんと悪影響を与えるお友達だな」


 この短い間に、幼なじみから、お友達に格下げとなった。


 ええ、ええ。たしかにそのとおりですよ。遥に酒を飲ませたり、補導される時間帯にもレンタルビデオ屋に連れて行ったこともあるよ。でも、全ては遥を楽しませるためにやってきたことだ。


 それを悪だと言うのならば、勝手にしろ。否定はしない。する気もない。むしろ、大正義・倉田和仁に歯向かえるのならば、悪で十分だ。

 倉田を殴ろうかという考えが、初めて頭に浮かぶ。


 一触即発。


 同じ女を好きになったはずなのに、こんなにも性格がちがう。むしろ、同じものが好きだからこそ、相容れないのかもしれない。


「ほらほら、睨みあってないで。いまのうちに帰ろうよ。これで終わりじゃないんでしょ?」


「え? どういうこと? こんな連中がまだ来るってのか?」


 隼人が生の疑問を口にすると、倉田は首をかしげた。


「事情がわかってない隼人はともかくとして、なんで倉田くんがそんな反応するのよ」


「いや、誰が何人来ようとも問題にならないと思うのだが」


 隼人と遥が、お互いの呆れた顔を見合わせた。同じタイミングで疲れた笑みを浮かべる。まるで鏡のようなものだ。いや、鏡よりも長年連れ添った夫婦という揶揄のほうがいい。

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