2016年【隼人】8 隼人のセクハラの成分

 目の前で遥は、虚をつかれたように口をポカンと開いていた。怒りもどこかに霧散したようだ。顔を逸らして、頭をかきむしっている。


「あー、もー、ばか。ありがとう!」


「よしよし、大声出して落ち着いたか」


 うんうんと頷く遥を見て、隼人の石化が解ける。体温が上昇している。自分の顔を手で仰ぐ。


「えっと、なんの話してたんだっけ?」


「不良どもとなんで遊んでたのか、説明をしてもらいたかったんだけど」


「そうだった。そうだった。あのね、倉田くんがこいつらに呼び出されたの。で、顔合わせるなり、すぐに揉めだしたと思ったら、いきなりそこの筋肉に腕つかまれたの。それだけでも気持ち悪かったのに、この筋肉が隼人の言いそうなセクハラ発言してきたのよ」


「マジか。最低だな、こいつ」


「それって、隼人があたしに最低なこと言ってたって自覚してたってことなの?」


「オレのセクハラには愛があるだろ」


「愛?」


「あい。あ、う。愛嬌だ、愛嬌」


「ああ、愛嬌ね。はいはい」


 彼氏持ちの幼なじみとの会話は難しい。いままでとちがって、うまく噛み合っていない気がする。このストレスを発散する相手が、ちょうど車の近くに転がっている。


「おーい、倒れてるけど大丈夫か?」


 死亡確認をすべく、ムキムキ男に近づく。筋肉の鎧が伊達でなければ、顔を踏みつければなにかしらの反応があるはずだ。

 顔面を踏み込む前に、足を掴まれる。


「マジではねるとは思わなかったぞ。いかれてるな、このガキが」


 ムキムキ男は、寝そべった状態で文句を口から垂れ流す。

 力任せに隼人は手を振りほどこうとする。だが、びくともしない。


 隼人の足を掴んだままの状態で、ムキムキ男は立ち上がる。バランスを崩して隼人は倒れる。数秒とかからずに、立場が逆転してしまった。


「ちょっと、隼人をはなしなさいよ!」


 遥が叫ぶのだが、完全には同意しかねる。

 ムキムキ男に掴まれている間は、遥に被害が出ない。ならば、これはこれで構わない。

 だが、だからといって、いまにも泣き出しそうな遥の顔は見たくない。強気な言葉に反して、なんだその表情は。


「大丈夫、大丈夫。そんな顔すんなって、遥」


「女の前で、どこまで強がるつもりだよ」


「事実だから仕方ないだろ。自慢の筋肉かもしんねぇけど、オレのオヤジのほうが力あるからな」


「ほざいてくれたな。もっとも、自分のものでもない女の前でカッコつける奴の言葉なんざ、俺には響かんがな」


「遥がオレのもんじゃねぇとか、本人を前にして言ってんじゃねぇぞ、コラ!」


 ムキムキ男の煽りは、隼人でさえも予想しない力を目覚めさせる。

 階段をのぼるような簡単な動きだけで、足を掴んでいる手を引き剥がせた。


 隼人は立ち上がるとすぐに、遥の元に駆け寄る。遥を背中にまわして、ムキムキ男と対峙する。


「守ってくれるんだね」


「あたりまえだろ」


 背後からの遥の声に、隼人は笑ってこたえた。表情を見るのはムキムキ男だけなのに、強がってしまう。


「本当に納得いかないな」


「なにがだよ?」


「女心ってのが、よく理解できないなって思っただけだ」


「あ?」


「それからやっぱり、倉田って野郎がゆるせねぇと思う。お前もそうなんじゃないのか?」


 ああ、それはわかる。でも、彼氏の悪口を言うような幼なじみにはなりたくなくて、隼人は沈黙に徹する。


「まぁいい。別に俺らの仲間にスカウトしようって訳じゃないからな。それに、はねられた分の痛みは、他の連中が来る前に返させてもらわんとな」


 ムキムキ男が、指の骨をポキポキと鳴らす。手の甲から指の第二関節にかけて濃い毛が生えている。チン毛みたいだ。


 あの拳で殴られたら、剛毛がクッションになるかもしれない。だとしても、あんな汚らわしいものに触れられたくない。精神的なものから痛みが倍増しそうだ。


「覚悟しろ。俺のパンチは車の衝突よりも痛いぞ」


「それはこわいな――」


 でも、上等ォだ。と、続けて隼人が発言する前に、横槍が入る。


「もっとも、当たらなければ関係ないだろうがな」


 カッコいいことを言いながら、倉田が登場した。無傷で応援に来てくれたことで、発した言葉のイケメン度が跳ね上がっている。

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