2016年【隼人】7 遥に触れた代償を払え

 左耳から電話のコール音を、右耳で蝉の鳴き声を聞いている。


 やがて留守番電話サービスに繋がる。

 女性のアナウンスの前振りが長い。メッセージを残すために、ピーッという音を待てということだろ。知ってるよ。あと、蝉。お前らもうるせぇ。どいつもこいつも、上等ォ――


『ピーッ!』


 いざメッセージを残すとなると、言葉が出てこない。苛立っている暇があったら、考えをまとめておくべきだった。


「遥、オレだ。あのな、遥。オレ、お前のことを――あ? なんだ、いまの?」


 大事なことを言えそうだったのに、邪魔をされる。

 蝉のうるさい鳴き声の中に、女性の悲鳴が混じっていたように聞こえたのだ。

 遥の悲鳴だとしたら、自転車では遅い。


 赤いMR2ならば最速なのに、この黒い車で我慢するしかないようだ。


 エンジンをかけっぱなしだった車内は、夏から切り取られた空間のように涼しい。

 隼人はMR2を秘密基地のように利用している。運転席には座りなれているからこそ、足元のペダルが二つしかなくて戸惑った。シフトレバーも知っているものとちがっている。そうか。これは、朱美が運転する軽四と同じで、オートマチック自動車なのだ。


 オートマなんてゲームと同じだから、ガキでも運転できる――MR2の本来の所有者は、そんなことを言っていた。もっとも、川島疾風はいまの隼人の年齢でマニュアル車も無免許で転がしていたそうだが。


 手探りでロボットを動かす主人公のように、勘を頼りにシフトレバーを動かす。MR2はマニュアルで五速だった。オートマのチェンジにも『1』というものがあったので、その位置で固定する。


 動かない。

 ブレーキがかかっているようだ。ペダルは踏んでいない。となると、サイドブレーキだ。

 サイドのレバーをおろすと、のろのろと動き出した。


 タイヤがまっすぐ向いていなかったのか、右に進んでいく。ハンドルを切り返すのに手間取って、フロント部分が原付にぶつかる。続けてぶつかった自転車は、接触して倒した挙句に踏んづけてしまった。こんなところに駐輪してるのが悪いから、気にしない。でも、ごめんなさい。


 林の脇道は、自動車が通るには狭い。サイドミラーがなにかにぶつかって、折りたたまれてしまう。

 後ろを見る必要はないので、構わない。

 興味があるのは、前だけだ。

 自動車が、かろうじてすれ違える程度の、ひらけた空間が見えてきた。


「遥! いた!」


 着衣に乱れがないが、安心できない状況だ。遥の二の腕を掴んでいるムキムキの男がいる。倉田も近くにいるのに、なにをしているのだ。四人の不良に囲まれる暇があったら、遥を助けろよ。


 遥らと不良が、どんな風にもめていたのかはわからない。でも、大したことはなかったはずだ。自動車が乱入したぐらいで動きが止まるのだから。


「いや、止まってる場合か! ブレーキ踏んだけど、そこ危ないぞ。どけよ、ぼけ!」


 窓があいていないから、隼人が叫んでも聞こえない。

 そのはずだが、遥にだけは通じだ。ムキムキ男から腕をふりほどき、車から逃げるように走る。

 遥をとり逃がしたムキムキ男は、車が近づいているのに立ち止まったままだ。


 ばかやろう。

 遥をタダで触れると思うな。

 衝突の直前になって、ムキムキ男も考えの甘さに気づいた。自慢の筋肉をフルに使って、両腕を前に出して車を止めようとする。


 無意味。


 いまにも止まるような速度だったのに、ぶつかった衝撃は相当なものだった。車にこづかれて、ムキムキ男はダウンする。

 はねはしたが、轢くつもりはない。すぐにブレーキを踏みこんだ。


 道の真ん中で停車させる。車を中心に道を分断した形となった。運転席側には、遥と倒れているムキムキ男しかいない。他の連中は倉田を含めて助手席側だ。

 隼人が車から降りると、遥が一目散に駆け寄ってくる。


「ありがとう、隼人」


 お礼を口にするような表情ではない。文句があるようだ。しかも、これは我慢せずに溢れ出すと思う。


「でも、助かったけどやりすぎよ。いきなり来たと思ったら、なにしてんのよバカ」


「大丈夫だって。これだけの筋肉つけてて、あれぐらいで死ぬ訳ねぇだろ」


「そういう問題じゃなくてさ」


「それよか、いまの状況について教えてくれ」


「いや、そもそも隼人が車に乗って現れた状況が、よくわかんないんだけど」


「それは、お前の悲鳴が聞こえたような気がして、やって来ただけだっての!」


 思わず叫んでしまった。体がカチコチに固まる。顔を逸らしたいのに、動けない。

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