最終話

 その日、校内ではまた髪のことが騒ぎになっていた。おもに男子のあいだで。


「なあ! 日下さんのあの髪、なに?!」

 隣の席の町田が、教室に戻ってくるなり勢い込んで訊いてくる。

「……なにと言われても」

「つーか、あれ!」そのままの勢いで、ばん、と俺の机に手をついた町田は

「あれこそ、ぜったいお前のせいだろ!」

「……いや、それは」

「ふざけんなよ。清楚な日下さんが!」

 悲痛な声を上げるのは、目の前の町田だけではなかった。教室のそこここで、男子が同じ話題を口にしていた。皆、どこかショックを受けたような顔で。そして皆、どこか俺を責めるような目で。

 春子の言っていた「想像の五十倍」を、俺はそこでようやく実感していた。


 その日。

 桃ちゃんが突然、茶髪になっていた。

 春子の金髪みたいな奇抜な色ではないけれど、オレンジがかった、なかなか明るい茶髪に。

 黒髪だった頃とはさすがに印象がずいぶん変わっていて、多くの男子が嘆いていた。黒髪のほうがよかった、と。


「桃ちゃん、それどうしたの」

 昼休み、廊下で顔を合わせた桃ちゃんを呼び止め、ちょっとどきどきしながら訊いてみる。

「傷心アピール」

「えっ」

「なんて。冗談だよ」

 思わず固まってしまった俺に、桃ちゃんがおかしそうに笑う。そうして前髪をいじりながら

「なんかね、うっとうしくなっちゃって」

「うっとうしい?」

「大人しそうとか従順そうとか、見た目で勝手にいろいろ判断されるの。それでイメージと違った、なんてがっかりされたり、なんか面倒くさいなって。それで」

 さばさばとした口調でそんなことを言ってから、桃ちゃんがふとこちらを見た。

「ね、智くん」ちょっとだけ照れたような笑顔で、茶色く染まった毛先を軽くつまんでみせる。

「どうかな? これ」

「いいと思う」

 迷いなく即答する。本心だった。

「ほんとに?」

「うん。似合ってるし、かわいい」

 さすが素材が良いと少々派手な色でもちゃんとなじむんだな、と感心した。

 清楚を好む多くの男子からは不評のようだったけれど、正直、俺はこっちのほうがいいと思った。黒髪だった頃より、表情が明るく見える。それは髪の色のせいというより、桃ちゃん自身がどこか吹っ切れたような表情をしているせいかもしれないけれど。


 よかった、と桃ちゃんはやわらかく笑って

「女の子からはね、わりと褒めてもらえたんだ、この髪」

 たしかにうちのクラスでも、男子とは対照的に女子からの評価は高かった。皆、かわいいと言っていた。桃ちゃんがクラスの女子になにか話しかけられている姿も見かけた。髪のことで褒められているみたいだった。

 クラスの女子なんてどうでもいいと言っていた桃ちゃんだけど、そう告げた笑顔はどこかうれしそうで、俺もなんだか温かい気持ちになりながら

「そっか。よかったね」

「男子からは受け悪いみたいだけど」

「え」

 そんなことないよ、とも言い切れずに俺が返す言葉に迷っていると

「でも、智くんにそう言ってもらえたから、それだけでいい」

「……えっ?」

 なんて、と桃ちゃんは楽しそうに笑ってから踵を返した。

 今度は、冗談とは言わずに。



「ひどくない?」

 隣を歩く春子は、さっきからずっと同じ愚痴をこぼしている。

 黒に戻った髪の毛先を、くるくると指に巻きつけながら。

 春子の髪色の変化については、今日一日、ほとんど騒がれなかった。ああ戻したんだ、意外と早かったな、ぐらい。それより周囲は、完全に桃ちゃんの茶髪のほうに気を取られていた。春子の友達ですら。


「金髪から黒髪になったんだよ? 劇的な変化じゃん。桃ちゃんのなんて、ただのイメチェンじゃん。桃ちゃんがあれぐらいの茶髪にしたって、ただかわいいだけじゃん」

「たしかに。かわいかったな」

「――は?!」何とはなしに打った相槌に、春子が勢いよくこちらを振り向いた。

「なに、なにさ智、黒髪が好きって言ってたじゃん! 茶髪のほうがよかったの?」

 愕然とした表情で訊いてくる春子の顔を見ながら、俺はちょっと考える。

 もし頷けば、春子は今度茶髪にするのだろうか。一瞬だけそれも見てみたい気がして、だけどさすがにそこまでさせるのは心苦しいので

「春子は黒がいいよ。それがいちばん似合う」

「ほんと?」

「うん。ありがと、戻してくれて」

 うん、と頬をゆるめかけた春子は、そこでふとなにかに気づいたように

「……は?! いや、べつに智のために戻したわけじゃないから!」

「え、俺のためだろ? 俺が黒髪が好きだって言ったから」

「違うよ! ただ私が戻したくなっただけ! 自惚れないでってば!」

 この期に及んでまだ否定してくる春子に、俺はいっそ感心する。答えなんて、黒髪に戻した時点でもう出ているのに。

 だけどきっと、今なにを言っても春子は認めないのだろう。桃ちゃんへの遠慮もあるのかもしれない。春子のことだから、どうせ。


 だから代わりに

「前に春子がしてた髪型、あれ好きだったな」

 と何気ない調子で呟いてみれば

「え、どれ? いつしてたやつ?」

 案の定、春子は全力で食いついてきた。真剣な顔で俺のほうを見る。

「なんかこう、横のほうの髪だけねじって、後ろでまとめてたやつ」

「ハーフアップのこと?」

「わかんないけど、たぶんそれかも」

「こういうの?」

 春子が髪を片手で軽くまとめてみせて、訊いてくる。とても真面目な顔で。

 俺の好みを知ろうと必死なその顔に、覚えのある息苦しさがこみ上げる。喉の奥が甘くつんとする。

「……や、ちょっと違う」

「ええ? じゃあこういう感じ?」

「うーん、それもちょっと」

 俺が首を捻っていると、春子は困ったようにスマホを取り出した。軽く操作してから、画面をこちらに見せてくる。そこにずらっと並んでいたのは、似たような髪型をした女性の画像だった。たぶんその「ハーフアップ」とやらで検索したのだろう。

「この中にある? 智の言ってた髪型」

 俺は春子の手からスマホを受け取ると、並ぶ画像を眺めていった。春子にはどれが似合うだろう、なんて考えながら真剣に吟味して

「あ、これ。こんな感じの」

「なるほど」

「今度してくれる?」

「いいよ。明日してくる」

 春子は俺の選んだ画像を開いてしばらく眺めたあとで、保存までしていた。うれしそうに。

 それがなんだかくすぐったくて、歯痒くて、――かわいくて。

 思わずそのほころんだ横顔から目を逸らしていた。やっぱ好きじゃん、とは心の中でだけ叫んでおく。ここまで弟の好みを気にする姉がいるかよ、とか、突っ込みたくなった言葉もぜんぶいったん呑み込んで。


 どうせ明日、春子は俺が好きだという髪型をしてくるだろうから。

 もう二度と、あんな、おそろしく似合わない金髪になんてさせないから。

 気が済むまで意地を張っていればいい、と、そう思う。




end.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼なじみがグレました。 此見えこ @ekoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ